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三月三日、ひなまつりのこと
 
 冬の間、僕らの遊び場は、浜から山の方に変わる。海ん婆は、夏ほどではないけれど、浜の掃除は欠かさない。時々キャンプ場のある松林まで足を延ばすと、松の枯れ枝を拾ったり、歩道を丁寧に掃いたりしている。二月になると、太陽が一気にまぶしくなって、僕らはそろそろ、浜の岩場で遊びたくなる。
 そして春三月。いよいよ僕らは浜に帰る。
 
 その日は、三月三日のひな祭りの日だった。クラスの女子はなんだかうかれていたけれど、僕ら男子には関係のない話だ。
「海ん婆、いるかな?」
「いるに決まってる!」
 そんな話をしながら、僕らは浜に急いだ。
 だけどその日、海ん婆は、浜にいたことはいたけれど、いつもの海ん婆ではなかった。
 松林をぬけて、目の前にぱ〜っと海が広がった時、僕らが見たのは、海に向かって座っている海ん婆の背中だった。
「あ〜、さぼってる〜!」
 僕らが大声で叫びながら近づいても、聞こえないのか、ただ黙って海を見ていた。
 やっと気がついて、
「なんだ、久しぶりだなあ!」
と言った声も、なんだかいつもと違うような気がした。
「今日はひな祭りだぞ!」
 何を言ったらいいかわからなくて、僕はそんなことを言った。
 海ん婆は僕をじっと見て、
「そうだなあ。ひな祭りだなあ。ひな祭りっだったんだなあ」
と言った。
 それから僕らは、海ん婆の横に座って、今から約七十年前の、三月三日、ひなまつりの日の出来事を聞いた。
 
 あれは、三月三日になった夜中の二時半頃だったなあ。どすんというものすごい音で目が覚めだら、家がグラグラ揺れでいで、父ちゃん母ちゃんに連れられて、寝間着のまま慌てて外さ出だのさ。やっとおさまって、さあどうするかと思っていたら、浜の方がら、今まで聞いだごどもないような、おっそろしい音が聞こえできた。聞いだごどもないすごい音だった。ずっとずっと沖の方に、恐ろしい生き物でもいるのかと思った。夜明け前なのに、沖がぴかっと光ったど思ったら、
「津波だ〜!」
 下の家の方から叫び声が聞こえで、びっくりして港の方を見だら、いっつも船が留まってるあたりが、真っ黒ぐなって、何も無い。ただもう恐ろしくて恐ろしくて、誰も声が出ながった。無我夢中で、みんなで高台の方さ走った。母親は生まれたばかりの弟をしょって、オレは二つ下の妹の手を引いて、ただただ走った。あの光景は、忘れられないなあ。家も大きい岩もまるで、この砂の粒のように、簡単に流されだ。二度、三度と大きな津波が来て、まだ逃げていた人達を、子供も年寄りも、あっと言う間にさらって行った。オレも腰まで波さつかったども・・・なんとか助かって、今でもこうやって、しぶとく生き残ってるのさ。
 
「おっかねぇなあ」
 僕がつぶやくと、海ん婆は
「おっかねぇ、ってわがっていれば、何もおっかなぐねぇよ。海に助けられることもある」と言った。
 この町は、辛い経験をたくさんしている。明治と昭和の大きな津波。そして大きな山火事もあったそうだ。
「あの大火事の時は、こごらへんの人達は、みんな船で海に逃げだんだぞ。火が山を燃やしつくして、あっと言う間に家も焼げだ。みんな海さ逃げて、助かった。海に助けられだのさ」
「ばあちゃんから聞いたことがある!」
 ドジが言った。
「津波も山火事も見たせぇで、なんにもおっかないことはないって」
「ははは。そうさ。おっかないってわがっていれば、何もおっかなぐないのさ」
「津波の時には山に助けられて、山火事の時には海に助けられるんだなあ」
 カッチャンが感心したように言った。
 
 あとで、ドジがばあちゃんから聞いた話によると、この日、海ん婆が手を引いていた妹は、波にのまれて死んでしまったらしい。
 悲しいひなまつりだ。
 
海ん婆スカートをはく
 
 海ん婆の優秀な息子が、ゴールデンウィークの始めにこの町に来たのは、海ん婆を東京に連れて行くためだった。
 海ん婆はまだ東京の家を見たことがないから、休みの間、海ん婆を招待したのだ。海ん婆は乗り気じゃなさそうだった。
「この観光客が多い時にオレが浜をあけたら、大変なことになる」
 父さんだって、海ん婆と同じように仕事をしてくれる人はいない、と困ってはいたけれど、近所の人達はみんな、せっかくだから行ってこいと、一丸となって海ん婆を説得した。
 出発の朝、カッチャンとドジと僕は、用もないのに海ん婆の家のあたりをうろついて、時々チラチラ家の中をのぞいたりしていた。
 そのうち、道の向こうからタクシーがやって来るのが見えた。
「タクシーが来たぞー!」
 僕らは叫んで、海ん婆を呼んだ。
「なんだクソぼうず、タクシーが来たのか?」
 そう言いながら出て来た海ん婆を見て、僕らは声も出なかった。だって、海ん婆がスカートをはいていたから。
「げ〜っ!スカートはいてる〜!」
 そんなに変なわけじゃないのに、海ん婆と息子を乗せたタクシーが見えなくなるまで、僕らは笑い続けた。
 ゴールデンウィーク、僕らの浜にはまた、たくさんの人が来る。平気でゴミを捨てる人もいる。海に空き缶を放り投げる人もいる。とんでもない。海が怒ったら、大変なことになる。海が本気で怒ったら、人間はただの砂粒だ。僕らはいつの間にか、海ん婆の代わりに、この浜を見張っている。
 かもめ岩には、今日ものんきに、かもめ達が休んでいる。







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