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海の子ども文学賞部門大賞受賞作品
海ん婆
菅原 裕紀(すがわら・ゆき)
本名=同じ。一九六六年岩手県生まれ。二児の母。第七回海洋文学大賞海の子ども文学賞部門佳作。岩手県水沢市在住。
 
海ん婆の伝説
 
 山ん婆は山に住んでいるけれど、海ん婆は海に住んでいる。海と言っても、海辺のほったて小屋に一人で住んで、役場に頼まれた仕事をしている。砂浜やキャンプ場のゴミ拾いの仕事だ。
 海ん婆は、元々、有名な「北限の海女」だったらしい。「海女」というのは、海に潜って、あわびやウニや海草なんかを採る女の人のことで、北限というのは、その中でも一番北の海女ということだ。海女が潜る場所は、地形が複雑で、波や潮の流れも複雑だから、船は使えない。だから海女達が潜る。「潜る」と簡単に言うけれど、ここの海は夏でも冷たい。僕らだって入る瞬間は震え上がる。プールなんか、温泉みたいなもんだ。海ん婆はよく言う。
「んだせえで、女が潜るのさ。男にはできない。我慢強い女にしか出来ない仕事さ」
 海ん婆の伝説はたくさんある。漁をしていて、何分も上がって来なくて、みんなが慌て始めた時、平気な顔をしてぷは〜っと上がって来た、とか、一回の漁で人の何倍もあわびを採った、とか、いい加減年をとってからも続けていて、海女の中でも一番の年上だった、とか。だけど息子さんが心配して、無理矢理やめさせたとか。
 海ん婆は今でも言う。
「今だってお前達のようなのさは、潜ったって、泳いだって、絶対負げない!」
 そして海ん婆は、今でも伝説を作り続けている。とにかく、並外れた体力と怪力の持ち主だ。一度、役場の男の人がキャンプ場にある鉄製のベンチを動かそうとした時、
「こら、そったに重いものを持ったら腰を痛める!」と言って、海ん婆が軽々と移動させたことがある。普通逆じゃないか?と僕らは思った。こうして海ん婆は一日中、浜にいる。一日中歩いて、ゴミを拾ったり草刈りをしたり、浜に目を光らせている。
 
海ん婆の謎の家
 
 海ん婆には息子が一人いる。とてもよくできた秀才で、この息子の方も、地元の中学や高校で、伝説の人物だ。
「オレのたった一つの財産だあ」
が、海ん婆の口癖だ。今では東京の立派な会社に勤めている。この秀才が海ん婆を心配して送ってよこす色々なモノのせいで、海ん婆の家は、全く「謎の家」になっている。
 仏壇に供えられた携帯電話。秀才が近所中の人に番号を教えてまわったけれど、仏壇に供えられた携帯電話なんかに、誰も電話するはずがない。
 金庫の役割をしている電子レンジ。誰でも金庫破りが可能だ。
 仕事用の作業着や作業ズボンの置き場所になっているマッサージ椅子。自慢の「ツボ押し」どころか、椅子の仕事もしたことがない上に、狭い畳の部屋で、一番偉そうに場所をとっている。
 仕事の合間に食べるおやつの隠し場所になっている最新式の炊飯器。海ん婆は、ご飯は今だに釜で炊く。
 その他にも、正しく使われていないモノ達をあげたらきりがない。さらに、見向きもされないものだってある。秀才の奥さんが、毎年母の日に送ってよこすスカートやきれいな洋服は、決して着られることはなく、けれども人目につく居間に、ハンガーでつるしてある。
 僕は断言する。海ん婆がスカートなんてはくわけない。今までも、これからも。
 
海が怒るということ
 
 カッチャンとドジと僕は、おさななじみだ。小学校に上がる前から、この浜で遊んでいる。
 その時にはもう、海ん婆はこの浜でゴミを拾ったり草刈りをしたりしていた。ある日僕らが海に向かって砂や棒きれを投げて遊んでいたら、
「こらっ!海が怒るぞ!波ささらわれっぞ!」と言いながら大股で近づいて来たのが海ん婆だった。それはもう、すごい迫力だった。浜風で白い髪はボサボサ、顔は真っ赤、目も鼻も口も大きいその顔は、絵本で読んだばかりの「山ん婆」にそっくりだった。
「海が怒るわけねえべ!はははん」
 カッチャンがちゃかしたその時だった。さっきまで足元にス〜ッと忍び寄るだけだった波が、気がついたら僕らの腰あたりまできていて、後はもうわけがわからなかった。海ん婆に脇の下をつかまれて、放り投げられたような気がしたけど、上が下になって、右が左になって、僕はあの時本当に、波にさらわれるかと思った。よせる波のスピードも、返す波のスピードも、さっきまでの波と大違いだった。カッチャンとドジは、足をすくわれずに、なんとか自分で立ち直ったらしかった。
 それから僕らは、海ん婆の家に行って、シャワーのないお風呂で、砂まみれの体を洗った。
 
「いいが。砂浜の砂さついた波の跡を見でみろっ。さっきお前達が立っていたところよりもず〜っと後ろの、道路の近くまでも波が来た跡があるべ?海さ砂だのゴミだの、面白がって投げたりすると、ず〜っと沖の方で風を起こしている海の神様が、怒って大風を吹かせて、その風を受けた波が大波を起こすんだぞ」
 海ん婆は静かに、海が怒るということを、教えてくれたのだった。カッチャンはシュンとしていた。
 それから僕らは、絶対に海に砂や棒切れを投げたりしなかった、というわけではない。試しに、何回か実験してみたんだ。そしたら海ん婆の言うとおり、砂や棒切れを投げた何回か後の波は、必ず大波になって僕らに襲いかかってきた。だから僕らは、今では絶対にそんなことはしない。
 
カッチャンとドジと僕のこと
 
 カッチャンは漁師の息子だ。泳ぎは一番上手い。魚のことも何でも知っている。だけど、もっともっと色々なことを知りたいと思っている。「この海の向こうの、知らない国さ行ってみたいなあ」というのが、カッチャンの口癖だ。「遠洋の船さ乗ればいい」と、カッチャンのお父さんは言うけれど、カッチャンが知りたいことは、もっともっと大きいと思う。
 ドジの本当の名前は「トシユキ」だけれど、ドジが多いからドジと呼ばれている。ばあちゃんと二人暮らしだ。両親が離婚して、お父さんは出稼ぎに行っているからだ。ドジの住む地域は山の方だから、ばあちゃんは、お父さんから送られてくるお金と、農業で、ドジを育てている。ドジのばあちゃんと海ん婆は友達だ。
 僕の家は漁業でも農業でもなくて、父さんは役場の観光課で働いている。
「ここの砂浜とキャンプ場くらい、きれいなところは他にないよ!」と、父さんはいつも言っている。
 当然だ。海ん婆が掃除してるんだから。
 一度、カッチャンとドジと僕の三人で、朝から海ん婆の仕事を手伝わされたことがある。この経験だけは、もう二度とごめんだ。暑い夏の日、朝八時に浜に集合した僕らは、夕方五時まで、海ん婆と一緒に歩き続けなければならなかった。休めるのは昼とちょっとの休憩の時だけ。あとはひたすら歩き続けた。海ん婆はタバコ一本、ティッシュの切れはし一つ見逃さない。浜の北側から歩き始めて、南端まで行って、今度はキャンプ場になっている松林を歩いて、とにかく僕らはゴミを拾い続けた。一通り拾ったらまた元来た道をたどるのだ。その合間には観光客のカップルなんかに「こらっ!今日は浜が荒いせえで、そったに波の近くさ行ったらさらわれっぞ!」なんて大声で注意する。僕らは僕らで、「こらっ!ぼけ〜っと歩くな!そっちさマッチ棒があるぞ!」なんて気合を入れられる。海ん婆はやはり人間じゃない。その日、僕は夕飯も食べずに朝まで眠った。こんなことになったのも、あの事件がきっかけだった。
 
かもめ岩でうんこをする
 
 ある日、川で、ゴムボートに乗って遊んでいたら、夢中になり過ぎて海に近づき過ぎてしまった。気がついたら僕らは、お風呂場に迷いこんだアリのように、大きな波のうねりの中にいた。陸に戻ろうと、カッチャンと僕はボートを降りて必死に押したけれど、返す波の力で、一ミリだって進むことはできなかった。ドジはボートの上で、大声で泣いていた。あの時、泣きながら「カッチャ〜ン」って言っていたのか、それとも「母ちゃ〜ん」だったのかは、今でも謎だ。とにかく、僕らは絶体絶命だった。カッチャンが必死でボートを押しながら、ドジに向かって「脱げ!」と叫んだ。
「何?何?」
 ドジはパニック状態だ。
「脱ぐモノは海パンしかねえべ!脱いで、陸に向かって、振れっ!」
 さすがカッチャンだと思った。クラスのほとんどの男子の海パンは紺か黒だったけれど、ばあちゃんが選んだドジの海パンは赤だった。そのことでいつもばかにされていたドジだったけれど、こんな場合に危険を知らせるにはもってこいの海パンだった。ドジは泣きながら海パンを脱いで、泣きながら振った。
「お〜い!お〜い!」
 その間も、カッチャンと僕は必死でボートを押し続けた。
 それを見つけたのは、とにかく休みなく浜を歩いてゴミを拾っている海ん婆だった。海ん婆が慌てて、誰かに知らせに行こうとしているのが見えた。助かった、と思った。カッチャンも僕も、そろそろ体力の限界だった。疲れと怖さに震えながら、助けを待っていると、何か白いものが、すごいスピードで僕らの方に向かってくるのが見えた。
 海ん婆だった!波の高い北側からじゃなく、割とゆるやかな南側から、顔を上げたままのクロールで、ものすごい勢いで僕らのボートに近づいて来た。
「海ん婆だ・・・」
 その姿は、まさしく「海ん婆」だった。白い髪、日焼けした赤黒い顔。太い眉、大きな目、鼻、口。(海ん婆に食べられる!)一瞬、そんなことを思った。
「波が荒くて陸には帰れないすけえ、このまま沖さ泳いでかもめ岩まで行ぐぞ!」
 海ん婆はそう言うと、僕らをボートごと、ぐいぐいと沖に引っ張って行った。沖に向かって泳ぐのは、さっきまでよりずっと楽で、僕らは、いくつもの波を超えた。
 かもめ岩は、陸から見ると、すぐ近くに見えるけれど、実際はかなり沖だった。いつもカモメ達が休んでいる、小さな島のような場所だ。
「今に船が来るせえで、こごで休んでろっ」
 海ん婆はそう言って、僕らがカモメ岩によじ上るのを手伝ってくれた。
 それから僕ら一人一人の頭をグローブのように大きな手でなでながら、
「もう大丈夫だぞ」
と言って、ニッと笑った。カッチャンと僕もなんだか泣けてきて、声を出さないように泣いていたら、喉の奥の方が痛かった。
 ドジのしゃっくりみたいな泣き声が、だんだん小さくなってきた時、事件は起こった。
「・・・オレ、腹が痛い。うんこしたい」
 突然ドジが口を開いた。
「ええっ?」
 僕は耳を疑った。ドジにもほどがある。
「はっはっはっはっ!」
 海ん婆は大声で笑うと、そっちでしてこい、誰も見ないせえで、と言った。海ん婆が言い終わらないうちに、ドジは慌てて立ち上がった。
「腹が冷えだんだべ!」
 そう言って海ん婆はまた笑った。太平洋に海ん婆の笑い声が響き渡った。そう言えば、ドジはずっと素っ裸だったのだ。
 これだけならまだ、ドジのドジな話として、すむところだった。だけど実は僕らも、緊張と冷えで、どうしようもなく腹が痛くなっていた。
「オレも」「オレも」
 カッチャンと僕もどうにも我慢できなくて、三人が同じくらいの距離を保ちながら、結局三人でうんこをした。
「これが本当のクソぼうずだ!はっはっはっはっはっ!」
 海ん婆の豪快な笑い声を聞きながら、僕らは太平洋でうんこをした。
 カッチャンのお父さんの船に助けられたあと、僕らはこっぴどく叱られた。この事件の罰と海ん婆へのお礼として、僕らは、一日海ん婆の仕事を手伝うことになったのだった。







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