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 事務所に到着すると、既にみんな集まって倉庫の方で準備をしていた。
 吉田もあわてて倉庫の方に向かった。
 その時、事務所の執務室から、けたたましいやりとりが聞こえてきた。
「係長!ボンベを見つけるには、わかかぜで行くべきやっしょお」
「しかし、杉山さん、ボンベは三百本も流れてるんですよ。小さいわかかぜが、そのボンベだらけの海に巻き込まれたらどうなります。機雷に囲まれたようなもんですよ」
「わかかぜに自分が乗り込んで、ボンベを近づく前に発見すればええんやしょ」
「今の海の状態でそれができるかい、杉山さん!真っ茶色な泥濁りの海の中から、どうやってボンベを見つけられるというのですか」
 中藤係長がそこまで言うと、杉山は拳を握って押し黙った。
「課長、わかかぜは今出すべきではありません。浮遊物追跡シミュレーションで私が推測します。結果が出るまでにはしばらく時間がかかるでしょうが、それを待ってください」
 前川課長は返事をせず、ずっと腕組みをしたままである。
 その横から杉山が再び口を挟んだ。
「待てやん!当たるかどうかもわからんコンピューターをあてにしてよぉ」
 その言葉を聞いて、前川課長の眉間のしわが一層深まった。
 それまで、横でずっと黙っていた谷口船長が、やっと口を開いた。
「課長、連中は待てる奴らじゃないやして」
「・・・うむ」
 前川課長は、吹っ切れたように両腕をほどくと膝において言い放った。
「直ぐにわかかぜを手配して出航する。わかかぜには、杉山航海士と吉田君の二名が乗船する。残りはきしゅうで出航。その間に中藤係長は全速力でシミュレーションを行うこと。その結果が出ればわかかぜはそれに従うこと。これでどうかな」
「了解!」
 じっと唇をかむ中藤の横で、杉山は威勢よく返事をすると倉庫へ小走りした。
 しばらくすると、わかかぜの秋山船長と内沢機関長が到着した。
 わかかぜは監視船といって、ゴミの不法投棄を監視する船であり、船体はわずか二十トンしかないが、スピードは最速二十四ノットと早く、小回りもきいた。
 杉山と吉田は、出航準備の整った、わかかぜに飛び乗った。
「杉山さん、生きて帰れるかいねぇ」
「まあ、運次第やしょ」
 乗船するなり、秋山と杉山の間で、冗談とも付かない会話が交わされると、不安げな吉田の顔がより一層曇った。
「で、どこ向いて行こらぁ?」
「友が島やしょ」
「え、大潮やして・・・」
「いや、友が島やしょ。ボンベはあそこでのたまわってるはずやして」
「・・・分かったっしょ。ほな行こらぁ」
 わかかぜのエンジン音が、ひときわ大きくなった。
 朝凪で、風はぴくりとも動いていない。
 ポンツーンの手すりに掻き付いて、前川課長だけが無言で見送った。
 きしゅうの前を通ると、船員達が一斉に手を振った。
「吉ヤン、誤って落ちたらボンベと一緒に回収したらっしょ」
 音ヤンのがらがら声と共に、船員達の笑い声が一斉に響いた。
 わかかぜのスピードが更に上がった。
 船着き場の前ですら、紀ノ川の水が混入し、コーヒー牛乳の色になっていた。
 わかかぜは、徐々に一文字堤の外海へと近づいた。
 そして、その外海の光景をはっきりとらえた瞬間、わかかぜの四人は一様に息をのんだ。
「な、なんやねこれは・・・わいら何年も海に出たけど、こんな海見たことないっしょ」
 秋山らの言うように、その光景はいつもの海とはあまりにもかけ離れていた。
 いや、そこはもはや海ではなかった。
 あえて言うならば、草木の無い、真っ茶色に広がる泥の大地だった。
 その泥の大地の中でうごめくおびただしいゴミ。そのゴミがぶつかり、絡み合いながら浮き沈みを繰り返していた。
 現実的でない光景を前に、四人は、しばし言葉を失った。
 昨夜の紀ノ川の洪水で、和歌山港の入り口付近に、ゴミを含んだ濁流が蔓延したのだ。
「す、杉山さん。ここは無理やして。プロペラにゴミでも絡んだら難破船やしょ」
「うむ、遠回りするしかないっしょなぁ」
 わかかぜは左に旋回すると、一文字堤に沿って、雑賀崎へと進路を取った。
 この間、杉山は事務所から得たデータをもとに、ボンベの行方を占っていた。
 と雑賀崎の突端にさしかかったとき、突然、吉田が大声を上げた。
「あ、あそこに。あそこにすごい流木です」
 気がついた杉山も目を丸くした。
「ああ、これはすごいやして」
 雑賀崎の突端に流木が寄り集まり、大きな木ぎれの浮島ができていた。
「吉ヤンあれは間伐材やしょ」
「え、間伐材・・・」
「そぉや、木の大きさが同じやしょ」
「そう言えば確かに・・・」
「最近、山の手入れができてないんやしょ」
「山の手入れですか?」
「そうやして。山の手入れがいきとどかず、間伐材が放置されてるんやしょ。それが大雨の時、一挙に海に流れ込んでくるんやして」
「なるほど。そしたら、この海の問題は山の問題でもあるわけですね」
「そうや。自然に境界なんてないんやしょ。だからわいらの仕事も、もっと川の人間とか山の人間と一緒に考えなあかんのやして」
「なんか石本さんもこの前、そんなこと言ってましたわ」
「ああ、音ヤンにこの手の話をさせたら長いっしょ。なんせきしゅうの博士やして」
 杉山は、音ヤンを思い出すように笑った。
 そして、口をつぐんで流木群に目をやると、
「ま、あれは後回し、今回はボンベが先やしょ」と元の表情に戻った。
 杉山は、ボンベの行方のことを、ひたすら考えていた。
 洪水のピークが夜中の一時頃、ボンベが流れたのもそのころであれば、ボンベは友が島沖に達した頃に、明け方の満潮の上げ潮で南から北、つまり大阪よりに運ばれている。
 一方、台風の吹き返しの風は、北から南へと上げ潮の向きと正反対に吹いているので、この二つの要素から場所を割り出せばよい。これまでも通常のゴミならば、ほぼ予測を的中させてきた。
 ところが、今回はよく分からない要素がひとつだけあった。
 それはボンベが受ける風の影響である。ボンベがどのような状態で、どのぐらい没水しているかが皆目分からなかった。
 吹き返しの風を受けた時、ボンベが北上する表面流と、南に吹く風のどちらに支配されるかによって、動く位置は大きく変わってくる。
 杉山は今朝の係長とのやりとりで勢いづいたことを、今更少しだけ後悔していた。
 ところが同じ頃、事務所でパソコンを操っている中藤も同じ事を考えていた。
 吹き返しの風が、ボンベの移動に与える影響を数値に換算することができず、その条件を少し変えただけでも、パソコンは全く違う進路を何ケースも出力してくるのである。
 つまり、二人の入った思考の迷路は、ガスボンベの回収という業務が、海面清掃の特殊部隊には、最初から想定されていない事を物語っていた。
「船長、まず沖の島の裏側に行こらぁ」
「了解。ちょっとの間揺れるっしょ」
 友が島とは、地の島と沖の島の二つの島を総称した呼び名だ。
 杉山は、ゴミの引っかかりやすい西側の沖の島に目をつけた。
 ここに行くためには、流速の早い、友が島水道を渡らなければならない。
 ちょうど下げ潮にかかっており、わかかぜの小さな船体は、急流を遡るようにガタガタと激しく揺れた。
 やっと、小さな岬に到達したわかかぜは、梶を大きく右にきった。
 風ひとつ無い静穏な入り江が、山の方からゆっくりと開けてきた。
 わかかぜのエンジン音に驚いた海鳥の群れが、一斉に飛び立った。
 次の瞬間、秋山らの歓声が船内に響いた。
「やったぁ、ボンベや、一発やしょ!」
 確かに、均一でおびただしい数の物体が、河川水で薄茶色に染められた入り江を、覆い尽くしていた。
 しかし、歓喜する三人とは対照的に、双眼鏡をのぞく杉山は黙っていた。
「ちがうっしょ。こらぁボンベやないやして・・・」
 双眼鏡を降ろすと杉山は腕組みをした。
「え、じゃあ杉山さん、こんなぎょうさん何やして?」
 一転不安な表情で秋山が聞いた。
「何かはわからんけど・・・。とにかくもう少し寄ってもらえるかのし」
 腕組みをしたまま杉山は首を傾げた。







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