日本財団 図書館


『ギャンブルに関する学際研究』
日本リゾートクラブ協会スポーツ産業寄附講座
平成6年度研究報告シリーズ
松田義幸
3.ギャンブルの人間的側面
 
(1)ギャンブルの歴史
 ギャンブルの歴史は、人類の歴史に等しいという。ギャンブルはあらゆる時代、あらゆる文化に存在し、しかも、あらゆる社会階層の人びとがこれに参加してきた。これは歴史的文献、人類学における調査研究から明らかな事実である。以下、主としてクレメンス・J・フランスの論(J.C.フランス「ギャンブルの衝動」)に従いながら、“ギャンブルの人間的側面=ギャンブルの歴史”について述べてみたい。
 
 現代のギャンブルは古代からすでに見られたギャンブルが洗練された形になったものにすぎない(ボーレン)。ギャンブルがどのようにして人間の社会生活に定着したかについては定説がないが、原始社会における宗教的儀式、特に占い、がギャンブルの発祥と深いかかわり合いを持っていることは確かである。原始人に限らず、現代人でさえも無意識のうちに「不確実性の状態」(uncertainly)に対して強い関心を示す。宗教的儀式における占いはこの「不確実性の状態」を解消しようとする試みである。そしてこの占いに用いられたのがサイ(ダイス)である。古くから「不確実性の状態」を解消するために「サイは投げられた」のである。この「サイを投げる」という行為は「神のみがサイの運命を知っている」という考え方に基づいている。しかし、はじめに「サイを投げた」のは僧侶であった。その意味で、古代の僧侶がギャンブラーのはしりであるとも言える。
 また、ボーレンによれば、原始社会においては、罪をおかした犯人を探すのにも「サイを投げ」たり、「木の実をコマのように回して」占ったという。同じように、原始社会では病人が治癒するか否かを占ったという。このように、占いは神性あるいは魔力を持つと思われる媒介物を通して「不確実性の状態」を解消しようとする。ギャンブルも基本的には運命をにぎる媒介物を通して「不確実性の状態」を解消しようとする試みである。現代のギャンブルにおいては神性、魔力といった超自然的力に対する信仰は希薄であるが、現代のギャンブラーも「運」を信仰する点で基本的には原始人と変わらないのである。
 有史時代に入ると、ギャンブルに関する記録が豊富に発見されるようになった。ということは、人類が有史時代を迎えた時点で、すでにギャンブルが社会に定着していたということである。古代エジプトの絵画や墳墓にはギャンブルが行われた形跡が明瞭に示されているし、中国や日本で行われているギャンブルの原型と見られるものは紀元前2,100年頃、中国の楊皇帝によって発明されたという(フランス)。また、ウィーラーによれば、古代ヒンズー人も熱狂的にギャンブルを愛好したという。古代ヒンズー人のギャンブルは数日間たて続けに行われ、ギャンブルに負けた者は国外追放になるか、奴隷に身をやつす結果になったというから、これは熱狂的というよりもむしろ狂的と言わねばなるまい(しかし、その後のギャンブルの歴史を見るとギャンブルで自殺したり、射殺される者が続出しているから、これは古代ヒンズー人に特有の狂的現象とは言えない)。
 中国人のギャンブル好きも歴史的に有名である。ハックによれば「中国ではギャンブルは禁止されているが、いたるところで熱狂的にギャンブルが行われている・・・事実、中国そのものが大ゲーム・ハウスである・・・ゲームの種類もきわめて多い。中国人は昼夜の区別なくギャンブルを行い、ついにはすべてを失い、首をくくって死んでしまう」(ハック“中国帝国”1898年)
 古代ギリシャでもギャンブルはさかんであった。マケドニアのフィリップ王は、ギャンブルが国民道徳を腐敗させると知りながら、彼自身ギャンブルにふけったといわれる。アリストテレスは「ニコマス倫理学」中でギャンブラーを泥棒、略奪者と同格に位置づけているほどである。ギリシャ神話にもギャンブルが登場する。ゼウス、ポセイドン、ヘイデスが今でいうクラップ・ゲームを行って宇宙を分け合った。ゲームの結果、一番勝ったゼウスが天界を取り、ポセイドンが海洋界を取り、ヘイデスが地下界を取ったことになっている(ワグナー1972年)。
 古代ローマ人もギャンブルに熱狂した。スタインメッツによれば、古代ローマ皇帝のギャンブル好きは常軌を逸したものだったようである。アウグスッス、カリギェラ、クラウディウス、ネロといった歴史の古代ローマ皇帝のギャンブル熱に関する逸話が彼の「ゲーミング・テーブル」に紹介されている。たとえば、ネロは一回のゲームに400,000セスターも賭けたといわれる。アウグスッスも狂信的ギャンブラーであったらしく、ギャンブラーとしての名声を誇りにしていたという。そのため、古代ローマの市民も大いにギャンブルを楽しんだ。コンスタンチン大帝がローマを放棄したときでさえ、古代ローマ市民は、下層民にいたるまでギャンブルにうち興じていたという。
 古代ドイツ人のギャンブル好きも有名である。タキトウスによれば、古代ドイツ人は金はもとより自らの自由さえも賭けたという(タキトウス“ゲルマニア”)。さらに、近代ドイツはヨーロッパの賭博場の観を呈した。バーデン・バーデン、エムス、ハンブルグ、エクス・ラ・シャペル、ヴィースバーデンといった賭博場はヨーロッパで最も有名な賭博場に数えられている。スタインメッツによれば、これらの賭博場にヨーロッパ中の王侯、貴族が集まりギャンブルに熱中したという。この中には婦女子も多く含まれていたという(スタインメッツ“ギャンブリング・テーブル”)。
 初期フランスの年代記にも王侯、貴族のギャンブル熱に関する記述が見られる。シャルル6世はギャンブル狂として有名だが、このシャルル6世の時代(1522〜28年)に起こった「オテル・ドウ・ネスルの悲劇」は有名である。この戦いでフランス軍は、将軍から兵士にいたるまで、敵に囲まれた中でギャンブルに熱中し、ギャンブルに負けた将軍たちはあっさり降伏してしまったという。しかし、当時はまだギャンブルは上流階級が愛好するもので、下層階級ではさほど行われていなかった。ところが、アンリ4世の時代(1589〜1610年)になると、あらゆる階層のフランス人がギャンブルに熱中し始めた。そのため、ギャンブル禁止令が出されたが、これも効果がなかった。ルイ13世の時代(1610〜43年)にはギャンブルが厳しく禁止されたが、ルイ14世の時代(1643〜1715年)になると、またしても貴族階級にギャンブル熱が高まった。スタインメッツは当時の様子を次のように述べている。
 
 その前の時代までは、会話をみがこうとする努力が行われていた。だれもが読書により会話の上達をはかろうとした。しかし、ギャンブルが登場するにおよんで、男たちは一様にテニス、ビリヤードなど技術を要するゲームから離れ、ギャンブルに走った。そのため、男たちは柔弱になり、病弱になり、無知になり、粗野になり、放とう生活を送るようになった。女たちは、それまでは男たちの尊敬を受けていたのだが、夜を徹して男たちとゲームを楽しむようになり、男たちが自分たちに親しく接するのを許すようになった。ルイ14世が死んだとき、フランス国民の4分の3はギャンブルのこと以外何も考えていなかった(スタインメッツ“ゲーミング・テーブル”)。
 
 イギリス人のギャンブル好きはあまりにも有名である。モンテ・カルロの常連で一番多いのはイギリス人だといわれる。イギリスでダイスが用いられたのはかなり古く、サクソン人、デンマーク人、ローマ人がイギリスを侵攻した頃からダイス・ゲームが行われていたらしい。オルデリクス・バイタリス(1075〜1143年)は「聖職者や司教までがサイコロ遊びを好んでいた」と述べている。1190年に公布された勅令を見ると、当時すでに下層階級の間でもギャンブルが流行していたことがわかる。コットンの「賭博大全」にはエリザベス1世時代(1558〜1603年)に行われたギャンブルの模様が活写されている。
 アン女王の時代(1702〜14年)に入ると、ギャンブル熱はますます高まり、婦女子もギャンブルを行うようになった。当時の新聞には婦女子のギャンブルについての論評がさかんに掲載された。19世紀に入っても、イギリスにおけるギャンブル熱はいっこうに鎮まらず、首都ロンドンは一大賭博場と化した。当時発行されていたフレーザーズ・マガジンに次のような記事が出たほどである。
 
 このような場所には、泥棒や正直さ、恥といった感覚をすべて失なった不品行な連中がたむろしている。このような連中に囲まれ、フル回転しているテーブルは見るからに恐ろしい眺めである。人間の邪悪な性癖に属するすべての悪しき熱情がプレーヤーの表情の中に認められる・・・絶望的になった多くの者は、賭け金の代わりにするためか、プレーを再開するために質入れするためか、いずれにせよ、その場で衣服を脱ぎ捨ててしまう。そして多くの場合、この男たちは半裸で家に帰ることになるのである。
 
 また、イギリスは競馬がさかんである。イギリスでは競馬は「王のスポーツ」と呼ばれている。これを見ても、イギリス人が競馬に寄せる愛着がよくわかる。イギリスの“ダービー”にちなんだ競馬の名称がアメリカや日本にあることは周知の通りである。
 そのほか、ソ連、イタリア、スペイン、日本でも古くからギャンブルがさかんである。スペイン国王アルフォンツ10世は、1352年に軍隊騎士道精神法令を公布して、ギャンブル熱をおさえようとした。次いで1387年にはホアン1世が法令を出して、臣下がバックガモン(西洋スゴロク)やダイスをすることを禁止した。イタリアでは、1506年に国民のギャンブル熱に頭を悩ました10人会議がすべてのギャンブルを禁止し、同時にダイスやカードの販売を禁止した。しかし、これによってもギャンブルの害を根絶することはできなかった。19世紀末のベニスではギャンブル熱が最高潮に達した。現在でもイタリアでは国営富くじが行われている。
 独立国家として比較的歴史の浅いアメリカでもギャンブル熱はすさまじい。アメリカ人のギャンブル愛好癖についてスタインメッツは次のように述べている―「投機好きで、興奮しやすく、熱中しやすいアメリカ人が死にものぐるいでギャンブルに熱中するのは別に驚くべきことではない。実際、ギャンブル精神は、アメリカ人のすべての政治的、経済的、社会的活動に浸透している。」
(2)人類学上のギャンブル
 以上、文明国といわれる国々におけるギャンブルの歴史を概観したが、ここでもう一度未開社会ないし現在なおこれに近い文明度を維持している社会におけるギャンブルの実態を紹介したい。クレメンス・J・フランスは人類学上の資料に基づいてこの種の社会におけるギャンブルのウェートの大きさを指摘している。
 ギャンブル熱が最も激しいのは未開社会である。アメリカ・インディアンは世界でも最も過激なギャンブルを行う。ギャンブルで負けた者は所持品はもとより、妻子や自分の自由さえも失ってしまう。アメリカ・インディアンの家庭がひどく貧しいのはこのギャンブル熱のためだとも考えられる。メキシコ中部のナーウー族が行う民族的ゲームは1個のボールを中心に行われる。競技者はボールを投げて小さなすき間を通そうとする。しかし、実際には偶然に通る以外このボールがすき間を通過することはない。バンクロフトによれば、このゲームの勝者はオリンピックにおける優勝者のごとくもてはやされるという。そこで、このゲームの成り行きをめぐってギャンブルが行われるわけであるが、部族内のあらゆる階層の人びとがこのギャンブルに熱中するという。北米のヒューロン族のゲームは皿を使うゲームであるが、このゲームの模様をスティーブンスは次のように描写している。
 
 人びとは群をなしてこのゲームをしに集まってくる。ゲームの間、人びとは心の平穏のみならず、理性さえ失ってしまう。プレーヤーはものにつかれたようになり、見物人もまた同じように冷静さを失なってしまう。見物人の顔の表情は様々に変化する。見物人はサイコロに願をかけたり、相手チームのプレーヤーに呪いの言葉をやつぎばやに浴びせかけたりする。村中が泣きわめく声で充満する。
 
 アメリカ・ニューヨーク州のセネカ族はかつてある種のゲームは死後の生活において楽しむものだと信じていたという。これは、いかにこの部族がそのゲームを尊崇していたかを示す逸話である。ニューメキシコ州のズーニー族の間では「キックト・スティック」(Kicked Stick)と呼ばれる民族的ゲームが愛好されている。このゲームには5才の少年から40才の男まで参加するといわれる。このほか、男性に劣らず女性がゲームに熱狂する部族も多い。女性だけがゲームを楽しむ部族もあるといわれている。
 スマトラのマライ族でもギャンブルは重要なレクリェーションになっている。レクリェーションとはいえ、ギャンブルに参加する人は多額の金を賭ける。そのうえ、ときには妻子までかけてしまう男もいる。バタ族もギャンブルに熱中する。ギャンブルに参加する者は所持品はもとより、自分自身を賭け、負ければ奴隷になってしまうという。そのほか、ジャワ島人、バリ島人、スールー人、ブーギス人などもギャンブル好きで有名である。中央アジアの遊牧民、ウズベック人が愛好するゲームは「アシック」と呼ばれるが、このゲームでウズベック人はヨーロッパのダイスと同じやり方でプレーする。その時の彼らの熱狂ぶりは想像を絶するものである。
 とにかく、世界各地でギャンブルに関する話が聞かれるのである。メラネシア人、マウイ人、アラスカ人、中国人、ハワイ人、アフリカの黒人、ラテン・アメリカ人、南アメリカの原住民、マン島人、さらにアイスランドの原住民の間でさえもギャンブルの話が聞かれるのである。
 ギャンブルに参加する人たちの熱狂ぶりはどこに行っても信じ難いほどである。スタインメッツによれば「ギャンブラーはその熱狂が高じると、カードを食べてしまったり、ダイスを粉々に砕いたり、テーブルをこわしたり、家具を傷つけたり、あげくの果ては、とっくみ合いの喧嘩になってしまう。」ゲーム中に激怒してビリヤードのボールを口の中に押し込んでとれなくなってしまい、外科医にとってもらった男の話、ロウソクを飲み込んでしまった男の話、歯が木に深く食い込んでしまう程強くテーブルに噛みついてテーブルに釘づけになってしまったナポリのギャンブラーの話など、ギャンブルの熱狂ぶりに関する逸話は枚挙にいとまがない。コットンは、「賭博大全」の中でギャンブラーの熱狂について次のように述べている。
 
 ギャンブルは、人びとを怠惰と悪にひきこむ魅惑的な魔力である。それは、むずがゆい病気のようなもので、この病気にかかると頭をかきむしったり、タランチュラ(舞踊グモ)にさされたように死ぬ程笑い続けたりするようになる。最後には、中風病みのようになり、腕はきかなくなり肘をふるわせるばかりの状態に陥ってしまう。ギャンブルの最大の悪は、ギャンブルに熱中する人が真面目な行動をとれなくなり、さらに、いつも自分の状態に不満を持つようになってしまうことである。というのは、ギャンブラーは勝利して気違いじみた喜びの絶頂にいるか、負けて失望のどん底にいるかのいずれかを選ぶしかないからである。ギャンブラーはいつも極端な状態にあり、いつも嵐のような騒ぎの中に身を置いているのである。ある瞬間には、ギャンブラーの表情が非常におだやかで落ち着いているので、彼は何物にもかき乱されることはあるまいと思っていると、もう次の瞬間には非常に激しく狂暴になり、他人や自分自身の楽しみも奪ってしまおうとする。勝っては有頂天になり、負ければ高ぶる感情の大波にもてあそばれて、ついには、五感も理性も失ってしまう。
 
 ラ・プラゼットはこう言っている―「ギャンブラー自身の心の状態を明瞭に理解するためには、ただいつも揺れ動いている海のようだと言うだけでは充分でない。その動揺は5〜6個の向かい合った源を持っているということを考えなければならない。この動揺はそれぞれ独自の道すじを持っており、15分位の短い間でも、必ず入れかわり立ちかわりギャンブラーの心を占領するのである。」また、バーベィラックは次のように述べている―「少しの休息も許さず、また、それを仰えることが難しい激情という意味でギャンブルに勝るものを私は知らない。」バーベィラックによれば、非常な激情として「怒り」があるが、これにしても感情が長く続くものではない。「野心」にしても「愛」にしても同様である。これらの激情はその強さが休止し、また減衰する時がある。バーベィラックはさらに次のように述べている。
 
 しかし、ギャンブルの激情は、息つく暇もない位持続する。それは慈悲も休戦も与えない敵のようなものだ。それは荒れ狂い、根気強く人に迫ってくる。ギャンブルはすればするほど面白くなる。これをやめることができなくなる。そして、かろうじて生理的欲求を満たすためにほんの少しの時間、サイコロやカードのそばを離れるだけである。ギャンブラーにとって、ギャンブルをしていない時間は失われた時間のように思える。そしてギャンブラーは倦怠に陥ってしまう、ギャンブラーの頭の中は、別のことをしている時も、ギャンブルしかないように思われる・・・老年になっても、この激情は減衰するどころか、ますます激しさを増すのである(“危険な遊びに関する考察”)。
 
 このようなギャンブラーの激情は歴史上すぐれた業績を残した人物にも認められる。世界文学史において最高の作家の一人に数えられるドストエフスキーが悲惨な体験をしたことはあまりにも有名である。ドストエフスキーの場合、ギャンブルでの大敗が彼を創作へ駆り立てたともいわれている。作曲家のリヒアルト・シュトラウスも学生時代にギャンブルに熱中しすぎて、年老いた母親が持っていた年金をギャンブルで使いはたしてしまった。シュトラウスは当時の心境を次のように語ったという。「幸運に見放されて絶望的になった私は激情にかられ、気違いのようにギャンブルを求めるようになった。」ドイツの宰相ビスマルクも大のギャンブラーであった。ジョージ・ワシントンのギャンブル狂も有名で、彼はありとあらゆるギャンブルに手を出し、しかも非常に熱中した。彼は独立戦争中の野営でも毎夜のようにポーカーに興じた。このポーカー熱が兵士の間にも高まったため、部下の進言により、彼はポーカー禁止令を出したが、禁止令を出した本人のワシントンがその後もポーカーをやめないため大混乱になったという逸話が残されている。ジョージ・ワシントンは闘鶏、競馬も好んで、自分で賭けもしたが、闘鶏、競馬の賭元としても手腕を発揮した。
 前述のようにギャンブルの激情はともすれば否定的に解釈されるが、ギャンブルの歴史が人類の歴史と等しく、また、人種、文明度、社会階層を問わず、世界の各地でギャンブルが熱狂的に愛好されている事実を考えるとき、人間性の奥深く根ざしたギャンブル志向性を見過ごすことはできない。そこで次に心理学によるギャンブラーの心理の解明が必要になる。
(3)心理的考察
 ギャンブルの心理学については、エドマンド・バーグラーの「ギャンブルの心理学」が特に有名である。バーグラーの理論については、別の章で詳しく紹介するつもりなので、ここでは、その他の心理学者によるギャンブル論をまとめてみた。
 まず、ギャンブルについての本格的な心理学理論の数がまだ少ないことを指摘しなければならない。前出のスタインメッツはギャンブラー心理について、次のようなまとめ方をしている。すなわち、ギャンブルは、
(1)精神の自然な活動を喚起する刺激を求める欲求である。怠惰と空虚がこの欲求の原因となる。
(2)富の愛好である。
(3)虚栄心、好奇心、驚愕を喚起し、これを強める。
 
 「ゲームの解剖」の著者であるニムロッドによれば、ギャンブルは、
(1)貧欲―巨大な富を簡単に手に入れたいという欲望
(2)刺激の不足
によるものだという。
 また、リボットはゲーム一般ついて次のように述べている。
 
 この最後の項目(賭けごと)だけでも心理学者にとって魅惑的な項目である。これは、パスカルが「気晴らし」と呼んだ、受動的で、いくぶん鈍い形態をしており、仕事をしているように見せかけるやり方あるいは存在における空白を埋めるやり方である。暇をつぶす方法である。しかし、積極的な形態をとることもある。それがギャンブルの激情で、ギャンブルの激情の悲劇は人類の歴史と同様に古い。ギャンブルの激情は、未知で危険なものに対する好奇心、競争心、勝利への欲求、一獲千金の欲望からなりたっている。これらの要素を見ても分かるように、賭けごとにおいては、恋におけると同じように複雑な要素のからみ合いが激情をかきたてるのである。
 
 しかし、スペクテーター紙に掲載された「ギャンブルの衝動」と題する記事の筆者は「貧欲」をギャンブルの衝動とする論に反論している。この筆者は次のように述べている。
(1)本当に貧欲な人はギャンブルをしない。なぜならば、そのような人はギャンブルで損した分を支払わなければならないと考えただけで、ギャンブルの楽しみも、ギャンブルで勝つ楽しみも味わう気にならなくなってしまう。
(2)ギャンブルは内面の柔弱さ、努力せずに興奮したいという欲求のあらわれでもない。ビスマルクやカブアのような活動的な政治家がギャンブルを愛好した。
(3)ギャンブラーは人をだますような人物ではない。
(4)ギャンブラーを駆り立てるものは酒飲みを駆り立てるものと同じである。すなわち、興奮したい欲求、自己を忘れ、日常の単調さから脱け出したいという欲求がそれである。
 
 ドレームスの考え方もこれとよく似ている。彼はこう述べている―「プロのギャンブラーは浪費家で、また、特に困っている者に対して寛大である。この寛大さは宗教的、道徳的目的によるものである。」
 モリッツ・ラザルス教授はギャンブルについて次のように指摘している。
(1)緊張状態が求められるのであって、貧欲は二義的なものである。
(2)希望と恐怖が大きな要素である―なかんずく希望の占めるウェートが大きい。特に国営富くじの場合、貧しい人びとに希望を与えるというメリットがある。
(3)ギャンブルは多くの人たちの心の中に存在する危険に対する好奇心を満足させる。
(4)ギャンブルは「自分は幸福だ」という感情を満足させる。運命という概念が偶然という概念に勝つことが強調される。理性が放棄され、迷信が支配する。
 
 W・I・トーマスは「アメリカ・ジャーナル・オブ・ソシオロジー」誌に発表した「ギャンブルの衝動」と題する論文の中で次のように述べている。
 
 食べ物を確保し、生命を守るために攻撃的になったり防御的になったりすることはあるが、いずれにしても、危険で不安定な状況に対する関心がなければ生物は存在しえなかったであろう。このような関心を持たない生物は欠陥を持つ生物として自然淘汰されてしまったはずである。
 
 トーマスによれば、この「危険で不安定な状況に対する関心」こそが「動物としての健全な存続、種の保存」を確保するカギであるという。トーマスは、また日常性を排除したい欲求を重視している。その一例として、彼は人びとが、競争の激しい企業、株式取引、警官、消防官、探偵など危険をともなう職業にあこがれる事実を指摘している。彼はギャンブリングを「闘争に対する関心を維持し、また、大した労苦もなく闘争にともなう苦痛と歓喜が交錯した感情を確保するための手段」であると定義し、金銭獲得は二義的なものであるとしている。彼によれば、このギャンブルの衝動はすべての正常な人間に生来そなわっているものであり、人類が遠い原始時代に身につけた反射作用の一形態であるという。従って、このギャンブルの衝動は正常なものであり、人間の活動に不可欠のものである。ただ、その使い方が問題になる。トーマスによれば、プロのギャンブラーは知的で、高潔である。特定のギャンブラーのタイプというものはない。最悪のギャンブラーについても「ギャンブルの衝動から充分に乳離れしていない」人間と規定する以外にないという。
 クレメンス・J・フランスはギャンブルに含まれる要素を次のように分析している。
(1)不確実性の状態に対する異常な関心がギャンブルの出発点である―ラザルス教授は次のように述べている―「すべての賭けごとから得られる喜びは不確実性の状態における活動に起因する。たとえばダイス、ルーレット、ファロに興じる人は「7か11か? 小さな数か大きな数か?」という疑問を持つことから生まれる精神的緊張に最大の喜びを感じているわけである。この“―か―か?”が心理的に大きな力、魔力になっている。」これが好奇心に期待感―現在を忘れ、未来がもたらすものを期待する―が加わった心理状態であり、結果が出るのが遅れるとさらに期待感が高まる。そのとき、筋肉はスタートの合図を待つ競走選手のそれと同じように緊張する。
(2)金もしくはものを「賭ける」という要素が加わると追求という快感が高まる―ベインが述べているように、「不確実性の要素は追求心を刺激することによって追求の快感を高める・・・逆に絶対確実という状況は追求の快感を最大限にするために必要な精神的、肉体的緊張を緩和する。」のである。サリーは次のように述べている―「快感をもたらす刺激の最も純粋な形態は、どれが最も確率が高いかわからないいくつかの可能性を秘めた状況から得られる。」
 この「追求」はわれわれの人生において大きなウェートを占めている。人生は不確実なものを確実的にするため追求行為にみちみちているからである。作家のジョージ・エリオットは次のように述べている。
 
 われわれの生命の息吹きである疑惑、希望、努力を持続させるために、われわれの魂は隠された、不確実性の何かを絶えず必要としている。そのため、明日以降の未来がすべて明らかにされたら、すべての人類の関心は今日から明日までの間に残された時間に集中するだろう。われわれはただ1つ残された朝と午後における不確実性要素を必死に追い求めるだろう。われわれは最後の投機の機会を求めて証券取引所に殺到するだろう。政治予想屋が大挙して街頭に現れ、残された24時間以内に政治的危機が生じるか否かを予想するだろう(“上げられたベール”)。
 
 人類というものは不確実性の環境の中で進化してきたと言える。その結果、人類にとってこの不確実性の環境が不可欠のものになってしまった。油断なくきき耳を立て、鼻をきかせながら精神を緊張させている状態が、われわれ人類の生活においてきわめて重大な役割を果していることは疑う余地がない。この期待の状態は神経中枢を連結し、これらを不安定な平衡状態に置くばかりでなく、より高度な連合中枢においても予備的状態を生みだす。このように考えると、期待の状態におけるわれわれの頭脳と身体の双方の新陳代謝は増進され、その結果、特定の時間の潜在的効率が向上する、ということになる。かつての中国でギャンブル熱が異常に高まった事実がこれによってよく説明される。かつての中国人は日常生活で不確定要素に対する情熱を燃やすことができなかったため、ギャンブルにその情熱を燃やしたのである。
(3)希望と恐怖の葛藤において常に希望が優位に立つ―ギャンブラーの心理においては常に希望と恐怖が交錯しているが、ギャンブルに没頭している瞬間、ギャンブラーの胸中においては希望が圧倒的優位に立つ。これはギャンブルに限ったことではなく、われわれが不確実性の状況において行動をおこすときに常に経験する心理状態である。われわれの胸中において恐怖が優位を占めれば、われわれは行動をおこすことはできない。
 また、この希望と共にギャンブラーの胸中には競争心、攻撃精神、支配欲、相手をはずかしめたいという欲求が芽生える。そのため、ギャンブルに負けた者は強い嫉妬と羨望を感じることになる。アメリカでさかんに行われているドロー・ポーカーは特に闘争の要素が多い。このポーカーでは、相手が自分より強い手を持っていて、しかも自分が弱いことを知っている場合に、思いきりたくさん賭けて自分の手が非常にまさっているように見せかける、いわゆる「ブラフ」が重要な役割を演じる。この場合、そのギャンブラーの心理状態、態度が重要である。見事に「ブラフ」をできるギャンブラーは勝負に強く、相手は圧倒されてしまう。
 ギャンブラーが勝つための要因はいろいろある。危機に際して沈着、冷静でなければならない。負けてもすぐに敗北感から立ち直れなければならない。周囲に気を配って絶えず身構えていなければならない。相手を注意深く観察できるようでなければならない。これらの要因はその他の冒険的行動にも不可欠のものである。しかし、実際には、その他の冒険的行動は金銭的な理由で、また、危険度があまりに大きいため、ギャンブルがこのような心理状態と態度をきたえるのに最適なのである。数あるギャンブルの中でも特にポーカーがこれに最適である。
(4)「賭ける」ということがギャンブルの需要な局面である―この「賭ける」という行為は歴史が古い。「賭ける」という行為は未確定の出来事の結果について独断を下すことであり、ある一つの可能性に自分の運をたくすことである。「賭けてもいい」という文句は日常生活でよく聞かれる文句であるが、これは、われわれが日常生活においていかに多くの独断を行っているかの証左でもある。われわれは二者択一を迫られた場合、いずれかを選び、その選んだ方を信じる傾向が強い。
(5)射倖心もギャンブルの重要な要素である―証券取引や探検の動機をなす要因の一つが射倖心である。富くじに人気が集まるのも人びとの心の底にこの射倖心が存在するからである。イギリスの「南海のあわ」事件、フランスの「ミシシッピー計画」事件はこの射倖心が国家的規模で爆発した事件であった。
 「南海のあわ」事件とは南海商会(South Sea Company)が南太平洋の豊かな土地を獲得したと宣伝して株式を発行し、これにイギリス人がとびつき、一時株式は高騰したが、やがてこれが暴落して、多数の倒産者を出した事件であるが、この事件についてマッケイは次のように述べている。
 
 あたかも全国民が株の仲買人と化したようであった。利得に対する異常な渇望があらゆる社会階層をおかした・・・南海商会以外にも無数の商会がイギリスの各地で同じことを始めた。このような詐欺的計画の数は100近くにのぼった。しかし、人びとは投機熱によって催眠術にかけられているようだった。・・・この投機によって動いた金は150万スクーリング(英貨)近くにおよんだ。この投機熱が最高潮に達した頃、国の風紀は著しく乱れた。この結果生じたもろもろの悪弊を調査研究することは大変興味深いことである。個人と同様に、国家もまたなんらの害を伴うことなしにギャンブラーになることはできないのである。(“異常な妄想についての回想”)
 
 フランスにおける「ミシシッピー計画」事件は、フランスの財政を握っていたジョン・ローがアメリカのミシシッピー河畔の広大な土地の債券を発行したのが発端である。この計画は当初うまく行っていたが、ローが第二回目の債券を発行するにおよんでフランス国民の投機熱が異常に高まった。当時の模様をマッケイは次のように述べている。
 
 年令、性別、社会階層を問わず、すべての人びとがこの債券の値上り、値下りを見込んで投機を行った・・・サンシモン公爵とヴィラー元師を除く貴族の名士で、この債券の売買をしなかったのは一人もいなかったほどである。ルーレットのテーブルで商売をするギャンブラーは債券熱にうかれている群衆から債券をしぼりとった。(“異常な妄想についての回想”)
(4)根深い「運」に対する信仰
 ギャンブルの衝動に関連してもう一つの重要な要因を指摘しなければならない。それは「運」に対する信仰である。
 ここで言う「運」はきわめて広義なものでギャンブルの研究において重視される一群の事象を包括するものである。
 神父ラルモントはインディアンがギャンブルの準備をする模様を次のように描写している。
 
 彼らは、だれが一番魔力を駆使することがうまいかを見出すために震えながら夜を明かす。彼らは妻との性交渉をさしひかえ、食を断ち、同じ小屋で眠る。これはすべて幸運な夢を見るためである。彼らは、夢の中で自分たちに幸運をもたらすとわかったあらゆるものを袋に入れてゲームに出かける。彼らはまた、魔力を持っていると思われる何人かの老人をゲームに連れて行く。ゲームが始まると、全員が腰をすえて、祈ったり、ブツブツつぶやいたりし始める。そして、手や眼や顔全体を激しく揺り動かしたり、いろいろな身ぶりを見せ始める。これはすべて幸運を呼び寄せるためであり、心をしずめて勇気をふるいおこし、心配しないようにするためである。何人かが呪いの言葉を発し、悪い運が相手方に行くような身ぶりを示す。相手方の魔力をおどかすのである。
 
 これは人類学の文献に記されている儀式の典型的な例である。
 リチャード・プロクターはギャンブラーの「運」に対する信仰を次のようにまとめている。
 
(1)ギャンブラーはある種の人物をいつも幸運な人物―いつも「ついている」人物―とみなす。
(2)ギャンブラーは、強運を持ってギャンブル生活を始め、この強運を信じ込むようになり、やがてはこの強運を失くしてしまう人物がいると信じている。
(3)ギャンブラーは、自分の周辺にいる人間の運は変わるものと考えている。運の強い人物は、ギャンブルの世界の迷信に従えば、今後の成り行きを充分注意して見守らなければならない。
 「ついて」いないときにゲームを止めなければ、いずれは不運な連中の仲間に入ってしまうと信じている。
(4)ギャンブラーの考え方に従えば、いつも不運につきまとわれている人物がおり、この種の人物はゲームの前半は勝っても、後半にそれ以上負けてしまう。
(5)ギャンブラーは、はじめは不運でもやがて「ついて」きて幸運な連中の仲間に入る人物がいると信じている。彼らは、このような「つき」の変わり目はある種の行為ないし事件が契機になって起こると考えている。たとえば、結婚したが妻が口やかましい女性であった、チョッキを着始めた、といった事件によって「つき」が変わるという。「運」に対する信仰は次のような形をとることもある。何曜日は運がよく、何曜日は運が悪い、といったジンクスがそれである。
(6)ゲームの最中に強情をはかると破滅につながる。
(7)幸運の女神はその恩恵にばか喜びする人物を好まず、成功に有頂天になっている軽率な人物に対しては手痛いしっぺ返しをするものである。
(8)自分の金を賭ける前に、自分の「つき」について、またゲームの様々な可能性について充分研究しなければならない。
 
 このような迷信的な「運」に対する信仰を持つ人物の一例を紹介しよう。
 
 この男は、着物が「つき」に影響を与えると信じていた。彼は「ついて」くると、その時着ていたものを、天候にかかわりなく、着続けた。彼は、カードや席順もこだわった。また、他人が自分の運について話すのを嫌がったし、彼を応援するのもひどく嫌がった。だれかが彼のカウンター(カード・ゲームなどで得点を数えるのに用いる木片、金属、貝がらなどの小円板)に触れると、彼は非常に困惑した。また、いつも同じやり方でカードを切るのだが、このことで彼自身が気分を害することもあった。この男は偉大なカード・プレーヤーであった。(スタインメッツ“ゲーム・テーブル”)
 
 このような「運」に対する信仰には二つの重要な要因が含まれている。一つは、結果に対する手がかりを与える指導力が存在することを半ば無意識的に感じる感覚である。これは「運」に対する信仰の本質をなすものである。もう一つは、自分の力量に対する過信である。この二つの要因は互いに密接にからみ合っており、また、いずれも自信という感覚に基づいている。この二つの要因はギャンブラーや冒険家に共通する感覚である。この内なる感覚ないし予感はギャンブラーの場合特に強烈である。これが「勘」と呼ばれるものである。ソクラテスの言う「神の声」みたいなもので、ギャンブラーはこの「勘」に対して宗教的な信仰を持っている。
 この「勘」と密接な関係にあるのが「想像力」である。ラザルス教授はこう述べている―「運の特に魅惑的な力、勝っても負けても賭けへと誘惑する魔女、それはファンタジーである。」ルーレットにおいてギャンブラーはボールが転がる音を聞く。そしてボールが落ちるのを見、自分自身が勝利者になるのを見る。その時、彼はそれが希望でなく、あたかも現実であると考える。彼はそれを想像力の内なる眼と耳で感じとるのである。ギャンブラーははじめはこの内なる声を信じないが、やがてこの妄想を信じるようになり、これを信じなかった頃の自分を悔やむようになる。
 以上の事実から一つの結論が得られる。すなわち「運」に対する信仰にはもう一つの重要な要素が含まれている。それは「確実性」に対する渇望、安全であるという保証を得たいという強い欲求である。ギャンブラーは不確実な状態を望んでギャンブルをするが、その時でも彼の胸中には常に結末を予想しているのである。従って、逆にこう言うこともできる。ギャンブラーは、確実性を確かめたい情熱があまりに強すぎるため、繰り返し不確実性に身をさらして、安全性を試そうとする。ギャンブルでこれが成功すれば安全性に対する確信は強まり、逆に失敗すれば、成功を手に入れようとして再び試みる欲求がさらに強まる。このように、ギャンブラーは勝っても負けても確実性への執着が強くなる、少しばかりの成功が人間に本来備わっている確実性への執着をあおる結果になる。逆説的に言えば、ギャンブルは確実性を求めるための苦闘なのである。ギャンブルは単なる不確実性に対する欲求ではないのである。
 このように考えると、ギャンブルは本質的に科学や哲学や宗教と変わるところがない。科学においても、哲学に着いても、また宗教においても、不確実なものを確実なものにしたいという人間の欲求が強く働いているからである。特にギャンブルと宗教の類似性は多くのギャンブル研究者が指摘しているところである。本章の冒頭にも述べてあるように、ギャンブルの発祥は宗教的儀式における占いと深いかかわりを持っている。ギャンブルと宗教はその形態、心理的状況が酷似している。しかし、「神」に対する信仰を説く宗教は、「運」に対する信仰であるギャンブルと激しく対立することがある。たとえば、イギリスのピューリタニズムはギャンブルを激しく排撃した。
 いずれにしても、ギャンブラーの「運」に対する信仰はあまりに強烈であり、そのため、ギャンブラー特有の異常な楽天主義が生まれる。「運」に対する極度の信仰は、社会生活における人間としての努力を軽視することになる。人間性の根源から発生した故に、人類の歴史と等しい歴史を持つギャンブルが人間の社会において、それと本質的に類似する科学や哲学や宗教のような位置づけを得られないのは、ギャンブルがあまりに「運」に対する信仰を強調するからなのかもしれない。
松田義幸(まつだ よしゆき)
1939年生まれ。
東京教育大学卒業。
余暇開発センター主任研究員を経て、筑波大学教授、実践女子大学教授を歴任。
 
 
 
 
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