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私はこう考える【公営競技・ギャンブル】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1996年 『ギャンブルフィーバー』中公新書
第一章 ギャンブルの役割
谷岡一郎
 
 エジプト、サッカラにある第五王朝最後の王、ウナス王(紀元前二三五〇年頃)のピラミッド内部には、現存する最古の宗教文書が書かれている。有名なエジプトの「死者の書」の基本部分を含むこの文書は、俗にピラミッドテキストとして知られている。その中にオシリスとイシスの物語がある。それによるとある日、月の神トートは天空の女神ヌートのために、太陽と宇宙の神ラーに、サイコロでの勝負を挑むのである。結局、不思議な力によって月の神トートが勝ち、太陽の光の約七〇分の一(約五日分)がヌートのものとなり、それまでの一年三六〇日の最後の五日間としてつけ加えられたのだという。ヌートはこの五日間を自分の子供たち五人に分け与え、それぞれの日を司るようにした。その五人のうち長男と長女が、のちに兄妹で結婚し、初代のエジプト王と王妃となる。これがオシリスとイシスである。
 神話の世界とはいえ、四〇〇〇年以上も昔の文書にすでに賭の記述があり、イカサマらしきものまで登場するのは、驚くべきことである。賭博や遊戯の歴史に詳しい増川宏一の『盤上遊戯』によると、上エジプトにあるアビドス地方からは、紀元前四〇〇〇年、つまり今から六〇〇〇年も前の遊戯盤と駒(らしきもの)が発見されているという。
 七一二年に成立したとされる『古事記』の応神天皇の章には、日本における神様どうしの賭け事が記述されている。秋山之下氷壮夫(あきやまのしたびをとこ)という神様が、伊豆志袁登売神(いづしをとめのかみ)という女の神様をどうしても口説き落とせない。そこでその弟、春山之霞壮夫(はるやまのかすみをとこ)は、自分が彼女を落とせるか、という賭を行なうのである。この弟は母親の知恵を借りて一計を案じ、トイレに飾った藤の花に我が身を変えさせる。夜中にトイレに起きた伊豆志袁登売神が「あら、きれいなお花」と言って自分の寝所に持ち帰るなり、強引に関係してしまう。二人のあいだに生まれた子供を証拠に、兄に賭の清算を迫るのだが、兄はふみたおしてしまう、というお話である。
 いみじくも、日本の神々のギャンブルもエジプトの例と同じく、正々堂々とは言い難い手段が平気でとられているのはおもしろい。しかし、夜這いを賭の対象とする点や、借金をふみたおしたりする点など、日本の神様によく見られる、おおらかな人間味あふれる話ではある。古いゲームや賭の話は枚挙にいとまがないので、ひとまずこの辺で止めておくが、興味のある人は前述、増川宏一の著作、特に『賭博I−III』を参考にするのがよいだろう。人類の歴史に新たな視点が加わるはずである。
 さてこの章の目的は、いわゆるギャンブルというものが、人類の誕生以来、歴史上どのような役割を果たしてきたのか、そして今の社会ではどんな役割を担っているのか、を概説することである。この章でいう「ギャンブル」とは広い意味での偶然に身をまかせる行為や、ものを賭けないいわゆる「遊び」も含まれている。ギャンブルを狭い意味で定義するなら、少なくとも賭けられるもの(財物)が必要であるが、それが行なわれるのはもう少し後に文明が誕生して、財産や交換という概念が生じてからのことである。この章での広義のギャンブルの定義としては「行為に『選択(オプション)』があること、その選択に『偶然(未知の世界)』が関与すること、そして結果が何らかの形で『人の生活に影響を与える』ものであること」の三条件で充分であろう。要するにこの定義でいくと、受験や結婚もギャンブルといえるのである。「人生すべてギャンブルさ」ということである。余談になるが、紀田順一郎の『日本のギャンブル』によると、「ウエッディング(結婚)はラテン語のウァディモーニウム、すなわち賭けものから出ている」そうである。
遺伝子を伝える役割
 少なくとも数万年の昔、人類が狩猟や漁業を中心に生活していた頃、人々は「偶然」という現象を概念として認識できていただろう、と考えられる。昨日はこっちの方角に獲物がいたのに今日はいないとか、突然雷が落ちて人が死んだとか、めったにない大雪で何人も飢えたりした時にである。なぜ今回はいつもと違うのだろうか? この漠然とした偶然という概念が、何らかの意味でギャンブルの原形をなすにいたったのは、いったいどんなプロセスだったのだろうか。これには、いろいろな説が存在する。
 例えばフィリップ・ジョーンズは、狩りの方角を棒で占ったのが最初のギャンブルではないか、と考えている。実際、北米のイヌイットの一部はいまだにポインターと呼ばれる輪を廻して狩りの方角を決めているという。また、ひろさちやは、共同の狩りの獲物を分配する方法として「くじ」のようなものができたのではないか、と考えている。いずれにせよ、ギャンブルの起源に関しての説は永久に水掛け論ではあるが、私はというと、一応、次のような説を持っている。
 人類はその歴史の曙から、他の動物から身の安全を守るために、集団で暮らしていたはずである。その中でボスになる者は、腕力の優れた、狩猟の上手な者であったはずであり、その者が自分の気に入った女性、あるいは全部の女性を所有していたであろう。さて、いずれ部族のボスも老い、そして次の若きリーダーの挑戦を受けることになる。またはボスが急死した時には、次の若き候補者どうしで決闘したかもしれない。いずれにせよ、レスリング、相撲、ボクシングなどに似た格闘技によって次のボスを決定したものと思われる。敗者はすべてを失うのみならず、場合によっては殺されることもあったかもしれないが、その決闘は彼の子孫を残すための重要なチャレンジであったはずである。というのは、勝者は女性を自分のものにできるからである。ところで視点を変えて、所有される女性たちや残りの男性たちにとってみれば、誰がボスでも良いというわけではない。好き嫌いによって、心の中で、または物理的に一方を応援することは、ごく当たり前のことと考えられるのである。どちらかを応援するということは、失敗すれば戦犯として断罪される可能性があると同時に、うまくいけば、自分の子孫を残す千載一遇のチャンスでもあったはずなのである。女性にとっては自分がナンバーワンの女性として、男性にとっては新しいボスから分けてもらえる女性によってである。こんなふうにして、ある人間に自分の人生を「賭ける」という行動が起こったのではないだろうか、というのが私の考えである。つまり人類最古のギャンブルの役割は、「自分の子孫(遺伝子)を伝える」ということではないか、ということなのである。
 この人間どうしが決闘に賭けるという行動は、その後、部族どうしの猟場の境界などのもめごとが起こった時、それぞれの代表が決闘で決めるという方向へと進んだのではないだろうか。私の考えでは、分配のくじを作るのは、もっと後の、共同の狩りが当たり前になる社会においてであろうと思うし、また、棒を倒して方角を決定するような「占い」を含む行為も、ずっと後のことであろうと思うのである。ただし、私のこれらの結論は、何をもってギャンブルと定義するかによるものである。
 私の説において、女性を「所有」したと述べたが、ここにおける所有は子孫を残すための手段を所有するだけのことであり、財の所有ではない。しかしながら、少なくとも何かを「所有」することがなければ、広義としてのギャンブルすら成立しえないのではないか、と思うのである。むろん自分の命を賭けて木の上の動物を捕まえにいくのもギャンブルだ、ということもできるだろうが、ここではまだ、行動の選択において偶然という要素は、頭の中に生まれえなかっただろうと考えるのである。
占いとしての発展
 人類が定住を始める頃までには、遊びをも含めて、ギャンブルは人々の間に定着したことだろう。自然の力による過酷な試練に繰り返し遭遇するうち、自分たちにはどうしようもない目に見えないパワー、すなわち神の意志を感じたはずである。その神の意志を何かのきっかけで知りたい。場合によってはコントロールしたい。そうすれば飢えや天災から逃れることができるかもしれない、と考えるのは当然である。
 エジプトに人々が集まりだした頃、ナイル川の氾濫という出来事が、天空の星の動きと関連のあることに気付いた者がいたはずである。アイザック・アシモフの科学エッセイによると、おおいぬ座のシリウスが太陽より早く地平線に昇る日を基準として、ナイル川の氾濫の日を予想したという。古代エジプト人たちが、カレンダーを驚くべき正確さで作ることができたのも、シリウスが昇る日を毎年観察したおかげである。彼らが天空を神と考えたのもむべなるかなである。
 エジプトで発達した初期のゲーム盤は天体を摸写したものである。前述の増川宏一によると、古くから各所で出土している双六(すごろく)に似たゲームは、「死者の書」に従って死者を天空の冥界にある星へと送り出すためのステップを摸写したものである、としている。ちなみにその星とはオリオン座であるとする有力な説がボーヴァル他(一九九五年)によって提唱されている。
 占いの道具として使用されたのは、遊戯盤やダイスばかりではない。中国での碁盤(もともとは陰陽五行説の占いに使われていた盤とされる――紀元前十世紀前後)や、インドで誕生したとされる将棋(チャトランガ)などもそうである。また、くじ引きもいつの間にか「神意」を代表する道具となっている。例えば古代ギリシアにおいては、アテナイ執政官の任命はくじで決定されていた(増川宏一『賭博III』)ほか、ローマ帝国やその他の国々でもこの方法は広く使われていた。そしていつの間にか、占いによって良い結果を予想したいがために、「常に良い結果を出せる人間」が重要視されるようにもなったのであろう。神官や巫女(みこ)の誕生であり、宗教の起源でもあったものと思われる。こうして文明と社会とが形成されていくプロセスにおいて、ギャンブルは神意を伝える道具として発展したのである。旧約聖書においても、サミュエルがサウルを王に決定する時(サミュエル記上一〇・二一)や、いけにえの選択(レヴィ記一六・八)など、随所にそういった記述が見られるのはよく知られているとおりである。
 ギャンブルの道具の偶然性を利用した神託と、ゲームとしてのギャンブルとは、もともと質の異なるものである、といえないこともない。しかし、ゲームとしてのギャンブルが生まれるプロセスとして、神託としての機能は避けて通るわけにはいかない過程であった。というのも、サイコロやくじによる神託は、歴史上の重要な決断をいくつもこなしてきたからである。詳しくは省略するが、くじによる政治的な決断は、少なくとも十七世紀のイギリスにおいても、まだ見られたほどなのである。
紛争解決の手段
 ギャンブルというものが、神意の伝達の手段として発展し、そしてそれはやがて「どちらが正しいか判らない時に、神に尋ねる」という役割を持つようになる。つまり紛争解決としての機能である。このギャンブル、あるいはその道具によって解決される争いにはいろいろなものがあるのだが、ここでは「分配」「裁判」「戦争」の三つを取りあげて説明してゆこう。
 
 聖書には、カナンの地を占領したヨシュアが土地を分配するにあたって、くじを使う記述がある。ひろさちやも述べているように、ずっとむかしの狩りの獲物の分配も、くじでなされていたのかもしれない。また聖書といっても新約聖書のほうには、十字架に架けられたイエスの衣服を兵士たちがサイコロで分け合う記述もみられる。このように物を分配する時などにくじを使用することは、神の意向を尋ねる手段として広く使われていたようである。ブレナー(一九九〇年)によると、そもそもくじを意味する Lot という語は、古代ゲルマン語で「財物の分配を目的とする小石」を意味する Hleut から来ているという。
 むろん不公平な分配もあるかもしれない。しかし小室直樹も述べているように、ユダヤの神(すなわち、キリスト教やイスラム教の神でもある)は大変気まぐれで「ワガママ」ものだ、との認識が民衆の間にあったことは確かであり、その決定に逆らうことはおろか、疑問を持つことも許されていなかったのである。このあたりが仏教や神道との大きな違いであることは、ひろさちやも指摘するところである。彼によると日本での神様や仏様は必然性の法則に支配され、因果応報の思想をもとに、人が努力を重ねることを要求する。しかし、ユダヤ教やキリスト教のように全知全能の神を持つ宗教においては、卑小なる人間には神の御意など計り知れないことだという認識を持っているのである。ひろさちやは次のように述べる。
 「偶然とは、換言すればデタラメである。したがって、偶然が神であれば、神はデタラメということになる。われわれ日本人からすれば、といっても、日本人はキリスト教の神のごとき宇宙に超越した神をもたないから、本当に西洋人の神を理解できないのであるが、それでも神がデタラメであるとはなかなか信じられない。神は、日本人からすれば、むしろ偶然とは正反対の『必然的』存在であるかに思える。
 けれども、われわれは、これまでの考察によって、アナトール・フランスの警句の意味を充分理解できるのではなかろうか。神は全知全能であり、人間的な理性をはるかに越えているが故に、低次の存在である人間の眼には神意が偶然=デタラメに写るのである。逆に、デタラメでなく、人間理性によって説明のつくものであれば、かえって神は人間的レベルの存在となってしまうのであろう。それでは神を矮小化したことにならないか。
 (中略)
 全知全能の神に対して、卑小なる人間。
 ――それが西洋人の神観念である。」(『賭けと宗教』一九九五年)
 ちなみにイスラム教のアッラーも、もとはといえば同じ絶対神であり、「インシャラー(神の意のままに)」という語は英語の、“God Knows(神のみが知る)”という語と共通しているのだということである。
 ではなぜ西洋と日本の神にこのような差ができたのだろうか。これに関するひろさちやの説を紹介しておくと、日本の気候は比較的マイルドであったがゆえに、田畑を耕す努力をすることで充分に報われる条件であったが、西洋の気候は猛々しく、威圧的で、努力がすべて無に帰すことがよくあった。そんな時、これは神の気まぐれであるという「アキラメ」を持つ必要があったのだ、とのことである。大変おもしろい、示唆に富む見解である。
 
 分配をも含めて、主張の食い違いを解決するのは、現在では裁判所の仕事である。むろん名称こそ違え、裁判を司る者や役所はたいていの社会に存在した。しかし明白な証拠のないケースや、犯人がどちらか判らないケースなどは、「神に尋ねる」ことがその解決法であったのである。ルーブル美術館にある、最古の明文化された法とされるハンムラビ法典には、神意を確かめる方法がいくつか記載されている。その他似た例は全世界に昔から存在したようである。我が国でも証言の正直さを判断するために、沸騰した湯の中に手を入れて手が爛れる(ただれる)か否かで決める、というやり方(くがたち)があって、これは「隋書倭国伝」に書かれているという(増川宏一『賭博I』一二九ページ)。どんな正直者でも手が爛れないはずはないと思うのだが、とりあえずそう書かれているのである。
 こうしてギャンブルというものが、裁判としての役割を持っていたことがお判りいただけたと思うが、最後に紀田順一郎が『日本のギャンブル』でホイジンガを引用して次のようなおもしろい話を紹介していた。それは、「ギリシア語のディケー(正義・法)の語源は、その動詞のディケルン(賭ける)であり、また英語・オランダ語のロット(運命)が同じ綴りのロット(くじ)と不可分な意味にある」ということである。こんなことからも、裁判とギャンブルとが不可分であったことが判る、という逸話である。
 
 原始時代に、代表者の格闘技によって紛争を解決した可能性があったことは前にも述べた。戦争というのは若い男性の命を奪うのが常であったがゆえに、どちらもなるべく避けたいことであったことは間違いないだろう。そこで代わりの方法として、神の裁断によって戦争の決着をつけようとする地域が現われたことは、充分ありうることである。
 古代インドにおいては、実際にギャンブルによって戦争を終結させていたようである。紀元前十三―十一世紀ごろ成立した叙事詩、『リグ・ヴェーダ』や『マハーバーラタ』には、それに関する記述がいくつか登場する。なかでも私の大好きな話である『マハーバーラタ』の中の一話、「ナラ王の物語」を紹介したいと思う。その物語は次のように始まる。(鎧淳訳『ナラ王物語』より)
 「ブリハドアシュヴァ仙は語り始めました――
 昔、ナラという王子がありました。ヴィーラセーナ王の御子で、たくましく、身に羨ましい美質を具え、眉目秀麗で、調馬に長けておりました。美丈夫ぶりでは、あたかもインドラ神が神々の筆頭の座を占めるように、王達に抜きんで、威光では、さんさんと輝く日輪のように、諸々の王をはるかにしのいでおりました。バラモンを敬い、ヴェーダ聖典に通じた威き(たけき)武士、ニシャダ国の王であり、賽子をたしなみ、不快虚飾の言を語らず、由々しき大将軍でした。気高く、克己の人、世の男女のあこがれの的で、弓矢取るもののこよなき庇護者、さながらマヌそのものを目のあたり見るかのごとくでした。」(傍点、谷岡)
 先に良い予言のできる者が、神官や巫女として宗教のリーダーとなることを述べたが、古代インドにおいては王の素養の一つとして「賽の目を操れる」ことが必要であった。というのは、王は神の声を伝える役目を担っていたからである。
 ナラ王はこの後、イカサマによって、妻も含めてすべての王国を、弟のプシュカラに取られてしまう。そして国を追放された先で、賽の目を自由に操れる仙人にギャンブルを習い、再度弟に挑戦を行なう。その場面は次のようにつづく。
 「もう一度、二人で賭をしよう。多くの財物が手に入ったのだ。ダマヤンティー妃と、他に、余の手に入ったなにがしかのものが余の抵当。片や、お前には、プシュカラ王子よ、奪い取った王国が抵当だ。もう一度、賭博をやろう。こう、余は心を決めているのだ。一回勝負で、それに、――お前につきが回ればよいのだが――命も賭けようではないか。『打ち勝って、王国であれ、財宝であれ、他の資産を奪い取ったるときは、報復の勝負を受くべし』というのが、世にいう無上の掟。もし、お前が賭を望まぬなら、干戈に訴えて勝負を決めよう。王子よ。戦車での一騎打ちで、お前か、余かの決着がつくようにしよう。
 『この王国は、わが血筋の代々君たるべく、とまれ、いかなる手立てによるとも、再び手中に収めんと努むべし』とは古老たちの戒め。賭金もて賽子賭博にか、あるいはまた、戦闘で弓を張れ。プシュカラよ。二者のうち一つに、今直ぐ、心を決めよ。」(傍点、谷岡)
 この場面でナラ王は弟に剣をとって戦うか、サイコロをとって決着をつけるか、の選択を迫っている。つまり、ギャンブルは戦争にかわる決着方法であり、その結論は両方の当事者が遵守することが当然であったと考えられるのである。
都市の財源としての役割
 ここまで述べたように、神意を表わすくじというものは、悪いことだとは考えられてはいなかった。これに目をつけた為政者たちは、この信仰心厚き民衆から、税収不足を補うための収入源として、くじを利用しはじめるのである。いわゆる「宝くじ」の誕生である。歴史的には、ローマ帝国のカエサルが建設費調達のために行なった宝くじが有名であるが、一番古いものは、中国の漢の張良が紀元前二〇六年に行なった「白鳩票」という名の宝くじだとされている。ただし、宝くじを都市の財源として使用するやり方が花開くのは、ヨーロッパ中世のことである。
 街が発展してゆく過程では、教会、橋、学校、道路といった巨額の予算を必要とするプロジェクトが生ずるものである。また災害や戦争といった予測しえない出来事に対しても、費用の調達というのは頭の痛い問題であったに違いない。まともな会計予算や帳簿のつけ方もない当時においてはなおさらである。いくつか実際に行なわれた宝くじの例を見てみることにしよう。なお、このリストはフィリップ・ジョーンズ、ジョン・スカーニー、リューヘン・ブレナーらの著書を参考に筆者がまとめたものである。
 一四四四年(仏)ブルゴーニュ地方のレクルセという町での募金のかわりとして。
 一五三〇年(伊)「お金」を賞品とする宝くじ。フィレンツェのメディチ家によって。
 一六一二年(英)ジェームズ一世による新天地(アメリカのヴァージニア)を支援するため(それ以前、スコットランド王時代にも、一五六九年と一五八九年の二回にわたって同様のくじを主催している)。
 一六二七年(英)ロンドンに水道設備を作るため(同じく一六三一年、一六八九年)。
 一七二一年(英)ウェストミンスター寺院改築のため。
 一七四六年(米)キングスカレッジ(後のコロンビア大学)創設のため。
 一七四六年(米)戦争未亡人の貞操を守るための募金として。
 一七五三年(英)大英博物館の最初のコレクション購入費として。
 一七六五年(米)ハーヴァード大学の学部増設のため(同じく、一七九五年、一八〇五年)。
 一七六八年(米)ジョージ・ワシントン主催によるカンバーランド山(娘が病気療養していた)への道路敷設のため。
 一七七四年(米)イギリスからの独立戦争の戦費調達(一〇〇〇万ドル)のために。ちなみに一枚目のくじを購入したのはジョージ・ワシントン。
 一七七六年(伊)ヴァティカン美術館創設のため(ローマ教皇主催のくじは、過去に多数あり)。
 一七八九年(米)ニューヨーク市庁舎の建設費として。
 一八二六年(米)トマス・ジェファーソン(当時八十三歳)の財産を処分するため。
 このリストは、ピーク時には一年に三〇〇回以上も行なわれていた宝くじの、ほんの一端である。特に社会基盤のなかった新天地アメリカでは、移民・独立・町づくりと、国の根本に係わる重要事項においてギャンブル(宝くじ)がその財源となっているのである。宝くじがなければ今のアメリカもありえない、といっても過言ではないと思う。
 最後のジェファーソン元大統領の財産処分の件は少し説明が必要であろう。当時、宝くじは貴族たちの財産を「手っ取り早く処分する方法」としてもよく使用されていて、特に相続の分配を容易にするための手段として、中世ヨーロッパでもよく行なわれていた。こうした場合には、不動産や美術品が賞品として出されたりもしたのである(増川宏一『ゲームの博物史』)。
 日本における富くじも同様の性質を持つものである。江戸時代には寺社が宝くじ(富くじ)の主催者となることが許されて、これは寺社の修復などの経費捻出のためであった。八代将軍吉宗のような厳格な賭博廃止論者も、寺社の修復などの富くじだけは認めざるをえなかった。これは財政の逼迫により神杜・仏閣への修繕助成金を廃止しなくてはならなかったからであり、享保十五年(一七三〇年)京都の仁和(にんな)寺においてスタートしている。
 明治三十九年(一九〇六年)、台湾において「台湾彩票」を発売したのを例外として、日本では、昭和二十年(一九四五年)七月、明治維新以来数十年ぶりに政府発行の宝くじが復活した。これももともとは戦費調達を目的としたものであるし、以後も種々の目的を持った宝くじが発行されているのは、ご存じのとおりである。神戸を中心とした平成七年(一九九五年)の地震被災者救済のための宝くじは記憶に新しい。要するに宝くじは、昔も今も、何らかの目的を達成するための形を変えた税金の役割も果たしていたのである。
 ギャンブルを都市の財源として利用する考えは、宝くじ以外にもある。カジノや競馬もそうである。競馬の歴史は古く、紀元前に遡るが、カジノといえるものは意外と新しい。分かっている範囲で、古いものでは十三世紀のフランクフルト市が数少ない賭博公認の都市であったという。サイコロのカジノがあり、市は少なからぬ税収を得ていたようである(増川宏一『賭博III』)。
 このようにして、特別な収入の道としてのギャンブルの役割は中世ヨーロッパにおいて盛んになり、そしてとどまることを知らず、ますます盛んになり、現在にいたっているのである。
社交手段としての役割
 ここまで述べてきたいくつかの役割は、なくなってしまったわけではない。現代社会においても、ある面では強く、また別の面では弱く存在しつづけているのである。しかし今度は、現代の我々の社会において発生した新たな役割について述べることにしよう。
 「ギャンブルを媒体とする社交」という考え方自体は古くからあった。海外ではむろんのこと、日本においても平安貴族以後の社会では、ある種のギャンブルは「位の高い者に必要な素養」と考えられていたのである。碁、双六(すごろく)、投扇、闘茶(茶の産地を当てる)や場合によっては連歌などは、余暇を楽しむための遊びの教養とされ、そのおもしろさを増やすためにお金や物が賭けられたりしていたのである。
 現代社会においても、ある種のギャンブルの知識は常識や教養の一部であるという意味で、過去との類似点が存在する。ただ、現代社会においては、それらはステータスの高いグループの社交術としてではない。どちらかというと、どの社会階層にもまんべんなく存在する社交的潤滑油としてであろう。友人や異性とのつきあい、会社や組織における仲間や上司とのつきあい、そして場合によっては、冷えきった家庭内の共通の話題提供としてのギャンブルの機能が新たに生まれているのである。
 特に今の日本は、仕事場における人間関係の維持が、働く者の人生を良くも悪くもしうる社会である。ゴルフの握り(少額の賭)を断わったり、つきあいが悪かったりすると、白い目で見られることもあるだろう。上司の趣味に合わせて碁を習ったりという努力をする者もいるだろう。それは人間関係を維持するための涙ぐましい努力なのである。こうして囲碁や麻雀にしても、友人と行く競馬にしても、また家族共同で買う宝くじにしても、ある種のコミュニケーションの媒体としての機能が重要となっているのである。逆にいえば、現代のように価値が多様化し、世代やその他の社会的変数によってライフスタイルの異なる社会においては、人々はコミュニケーションのやり方自体がぎごちないものになっているのであろう。「最近の若い者はちっともつきあわん」などとぶつぶつ言うのは俗にいう「オジサン族」になった証拠なのであって、今は彼がこうあるべきだと考えているような時代ではなくなっているのである。
 麻雀人口が減り、逆にパチンコが増えている現状のみを見れば、人々はコミュニケーションを求めていないともいえるが、いざ人間関係を保たざるをえなくなった時の共通の話題として、また狭いところでのぶつかり合いを防ぐための潤滑油として、ギャンブルに新たな役割が生じているのである。
娯楽としての役割
 ギャンブルは、本来「遊び」の要素を備えているものである。どちらの起源が古いかは別として、古代から人間は、余暇のレジャー活動として頻繁にギャンブルを行なってきたし、今もそうである。
 とりあえず、衣食住に追われるだけの生活が、少々の時間的・経済的に余裕のある生活に移行するとき、そこには必ずレジャー活動が生まれる。しかし、ギャンブルというものは、富の分配の不均衡と犯罪的集団を生み出すのが常であったがゆえに、為政者は幾度となく取締りを行なってきたのである。
 しかし生活には息抜きが必要である。庶民の密かな楽しみをも法で取り締まることは、風紀上の利点こそあれ、勤労意欲の減退に繋がり、社会全体にとってプラスよりマイナスの方が多いものなのである。庶民のイライラが高じてくると、為政者は公営によるギャンブルを一部解禁し、独占状態の甘い汁を吸いながら娯楽を提供するのである。しかしこうした為政者の都合による一部解禁は、必ず闇ビジネスや腐敗を招く。こうしてまた禁止令が作られ、一巡してもとに戻るのである。
 現代の日本は、たぶん歴史上一番ストレスのたまりやすい社会の一つであろう。幼少の頃より、学歴社会の競争を繰り返し、働きはじめてからも、残業や人間関係で休まる時がない。男性であれ、女性であれ、どんな階層であれ、どんな年齢であれ、それなりの悩みやストレスの源を持っていて、このストレスの総量は大変なものであると考えられる。(著者はこの社会の「ストレス総量」に関する仮説を持っていて、第六章で説明するつもりである。)こうした世の中において、二五―五三パーセントにもなるお上による高いテラ銭(胴元がとっていく割合)のギャンブルだけを娯楽として与えられたとしても人々は満足しない。非合法かそれに近いものに代償を求めるものなのである。暴力団の資金源の二位を占めるノミ行為や、全国にある一万八〇〇〇件もの換金可能なミニカジノ(パチンコ)の存在がそれを物語っている。
 現代の人々は長く生きる。六十 ― 七十歳でリタイアしたあとも、多くの時間的余裕が残されている。子供や孫とも昔ほど顔を合わせられる社会ではなくなった世の中で、余暇の活動の必要性は、かつてないほど高くなっている。ギャンブル活動もその一つとして、社会構造に対応した新たな発展と進化の時期にきているといえよう。誤解を恐れずあえて述べるなら、「老人福祉」というのは、ゲートボール場などを作るだけが能ではなく、いろいろなものへの参加機会を増やすことであるはずである。いま、大学や大学院による講座や、さまざまなサークル活動などが参加機会の増加に寄与しつつあるが、ギャンブル活動もそうした機能の一端を担うことができる。事実、一九九〇年代にアメリカの各州で新たにできたカジノの客の多くは、毎日分の小遣いを手にした老人たちであり、五セントや一〇セントのスロットマシンの前でギャンブルを楽しんでいるのである。
 
 この章では、ギャンブルというものが歴史上どのような役割を果たしてきたのか、という問題を論じてきた。むろんここに紹介されなかった意見もいくつかある。例えば竹内久美子は『賭博と国家と男と女』の中で、賭博は階級を分化し、かつ固定する役割があった、とする説を展開しているが、大変おもしろい説である。また、アシモフのように、賭博が数学の確率論や統計学の発展に寄与した点を指摘する論もある。ともあれ、ギャンブルが果たしてきた役割の大きな流れは概説してきたつもりである。
 本書の目的はギャンブルと人間社会とが、現代においてどう係わっているのかを解説することと、現在多くの国々で進行しつつあるギャンブル(カジノ)合法化の問題点を、もし日本にあてはめるとすればどうなるであろうかということを論ずることである。
 ギャンブル(カジノ)合法化を論ずるにあたっては、さまざまな問題が浮上する。なかでも特に重要と思われるのは、ギャンブルホーリック(中毒)の問題であろう。賭博反対論者の有力な論拠も「中毒者を出す可能性」であり、これは真剣に考えるべき問題である。以下の章では、この問題を取りあげて論じていくつもりである。
 
 ただし、私は近い将来の日本の新たなギャンブルシステムで生ずるであろうひずみに関し、その対策をも含めて考えているのであって、そのひずみのゆえに、新たなシステムを否定するものではないことを確認しておきたい。少なくとも成熟した社会においては、選択肢の多様性は避けて通るべき問題ではない。何人かの人間に害であるから、そのもの全体を禁じようとする施策は、根本的な解決ではないと考える。アルコール中毒者が出るからと酒を禁じた国が昔あった。しかしながら成熟した社会においては、何を優先させて何を制限するかを自分で責任を持って判断する必要がある。カジノができると中毒者が増えるから禁止しましょう、という意見は、選択の自由を得る代償として自分たちで責任を取ろうとする態度ではないと思う。
谷岡一郎(たにおか いちろう)
1956年生まれ。
慶應義塾大学法学部卒業。
南カリフォルニア大学社会学部大学院博士課程修了。
大阪商業大学助教授、教授を経て、現在、同大学学長。
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。








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