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2004/10/22 読売新聞朝刊
第11回読売国際協力賞に笹川陽平WHO特別大使 ハンセン病撲滅へ尽力=特集
 
 第十一回読売国際協力賞は、ハンセン病撲滅のため、自身が理事長を務める日本財団とともに、三十年余にわたって途上国を中心に治療薬の無料配布や、医療活動支援などに献身している笹川陽平・世界保健機関(WHO)ハンセン病制圧特別大使に決定した。笹川氏は毎年、患者発症率の高いインドやブラジルなど二十か国以上の地方や辺地を訪れており、日本財団がこれまでWHOなどに寄せた撲滅運動資金は2億5千万ドル以上に上る。またイラクで殉職した奥克彦大使と井ノ上正盛・一等書記官を記念して設立された「奥・井ノ上イラク子ども基金」に対し、特別賞が贈られることになった。基金は途上国の子どもたちの教育支援を理念に掲げ、準備活動を開始している。
◆世界を奔走30年 薬無料配布資金提供も
 インド西部のジャルカンド州の州都・ランチ市から車で約一時間。人里離れた小高い丘の上に、社会から追われ、行き場を失ったハンセン病患者たちの集落「インディラ・ナガー・コロニー」があった。
 昨年三月、この集落を訪れた笹川氏は、患者たちの手をとっては、次々と声をかけ続けていた。
 「何か足りないものはありますか。元気出して」
 後遺症で両手が変形した女性は静かにうなずく。近づいてきた最長老の男性は「治療費がなくてこうなってしまった」と両手を差し出した。やはりすべての指が硬く固まっていた。
 「この病気は早く手当てすれば完全に治る。そのことを多くの人に知らせて、病気の理解が進むような社会運動を急いで起こしてほしい」。笹川氏は州当局の衛生担当官を訪ね、粘り強く訴えた。
 三十年以上も続けてきたハンセン病制圧活動。その大半は、ハンセン病のまん延する国を訪ね、患者たちの声に耳を傾けては、各国政府のトップ、WHOの担当者に実情を訴える地道な活動に費やしてきた。理事長を務める日本財団からは、一九九五年から五年間、治療薬を全世界に無償で提供した。医療面からも多くの人々を救ってきた。
 海外での活動は年間三か月に及ぶ。インドは毎年三―五回は訪れる。ハンセン病に対する、差別の悲惨さを肌で感じており、活動の原点もそこにある。
 笹川氏をはじめとする関係者の努力が結実し、二〇〇三年の世界の患者数は、一九八五年のわずか一割(約五十万人)にまで激減した。WHOは、ハンセン病患者を各国で一万人に一人以下にすることを目標に掲げているが、未制圧の国も八五年の百二十二か国から、今やインドやネパールなど九か国までになった。
 「最後の一マイルに来ている。ファイナル・プログラムの最後の一歩のために、世界の力を結集したい。私はどんな力にでもなる」
 インドでの活動ぶりを同行取材した際、笹川氏はこの言葉を何度も口にした。みなぎる決意は、人々の心を動かし始めている。
(科学部 安田幸一)
【特別賞】
 「奥・井ノ上イラク子ども基金」
◆殉職外交官へ広がる共感
 「奥・井ノ上イラク子ども基金」は、外交官としてイラク復興支援の任務にあたる中、現地で殉職した奥克彦大使と井ノ上正盛・一等書記官の遺志を受け継ぎ、国の将来を担う子どもたちの支援に貢献しようと、今年八月、設立された。代表発起人となったのが友人や外務省関係者たち四人。その一人、早大ラグビー部監督・清宮克幸さんは同部で奥大使の後輩にあたる。
 「今回の特別賞は大変な名誉です。基金設立から二か月がたち、募金額が700万円に達したところですが、受賞をきっかけに、広く基金のことが知られ、一般市民から募金が寄せられることを期待しています」
 発起人を代表して受賞の喜びを話す清宮さんの表情には、意義ある支援活動を展開していこうという決意がにじむ。
 基金設立にあたって財界やマスコミ、教育界から企業トップや大学学長など五十三人が発起人に名を連ねてくれた。イラク再建に日本が果たせる役割と場を求めて活動中、殉職した二人の外交官に対する賛辞と共感の広がりを示している。
 基金はイラクを中心に途上国の恵まれない子どもたちの教育支援と、奥、井ノ上両氏のような国際社会に貢献できる日本人の人材養成プログラム援助――を設立趣旨に掲げる。しかし、現実のイラクでは治安がなかなか安定せず、厳しい状況が続いている。
 清宮さんは「ラガーマン(ラグビー選手)だった奥大使にちなみ、子どもたちのスポーツ施設、たとえばサッカー場整備を手始めに具体的援助に入っていきたい」と抱負を話す。
 そのためにも、地道な募金活動を欠かせない。先月二十日、東京・秩父宮ラグビー場で早大と英国オックスフォード大学のラグビー友好試合が実施された際、会場で募金の呼びかけが行われた。来日したオックスフォード大学ラグビー部は奥大使が外務省入省後に留学中、所属して活躍したクラブ。試合も奥大使メモリアル・マッチとなった。
 イラクで活動中の奥大使が、外務省ホームページに寄せた「イラク便り」をまとめた遺著には、アラビア語専門の井ノ上書記官と各地の学校や養護施設を訪ね歩く様子が描かれている。設備破壊や略奪にあった小学校を訪れた後、奥大使は「でも救いはあります。それは子どもたちの輝く目です」と書き残した。基金が目指すのも、そんな子どもたちの目から輝きを失わせないことにある。
◇笹川氏に聞く
◆差別解決へ重責感じる
 ――活動を改めて振り返っていただくと。
 笹川 ハンセン病の患者や回復した人たちは、社会から忘れられ、家族からも捨てられた存在です。だから彼らの声は、行政や政治家に届きにくい。私は、ハンセン病がまだ制圧されていない国々を何度も訪問し、各国の指導者に、患者たちの思いを繰り返し伝えてきました。
 その結果、指導者たちの意識も高まり、世界で最もハンセン病がまん延しているインドで、全国的にこの病気に対する理解が広まってきたと思います。
 ――ハンセン病の世界制圧のめどは。
 笹川 二〇〇五年までに患者を一万人に一人以下にするのが当面の目標です。確実に実現しなくてはなりません。しかし、これで終わりではありません。ハンセン病には、本人が抱える病気と、偏見や差別といった社会が抱える病気という二つの側面があります。
 差別の問題については、国連人権委員会の小委員会が昨年、調査を始めることを全会一致で決めました。問題解決には、社会的運動として取り組んでいくしかないと感じています。
 ――差別を巡る世界の現状をどう見ていますか。
 笹川 ハンセン病患者は、国や民族、宗教を問わず、昔から世界で差別を受けてきました。日本では隔離政策の影響で、一般の人がハンセン病患者と触れ合う機会がなく、病気への理解が進みませんでしたが、今は報道される機会も多くなり急速に改善していると思います。
 ――現地の活動で一番印象に残っていることは。
 笹川 つらいことばかりですが、十二、三歳の子供たちが薬を飲んで、ハンセン病の初期症状である皮膚の斑点程度で治って、元気にしている様子を見ると、こちらも元気が出ます。
 ――今後はどんな取り組みになりますか。
 笹川 WHOは、医学の問題を処理するところです。病気そのものを制圧すれば役割は終わります。ただ、残る差別の問題をどうするか。社会運動として取り組む適当な国際機関がありません。
 私たちは、病気撲滅と社会運動の両方をできる立場にあり、私自身の責任はさらに大きくなっていると感じています。高い目標を掲げて努力を結集する。社会的な波を起こす。私はこういう手法で今後も努力していこうと思っています。
笹川陽平(ささかわ ようへい)
1939年生まれ。
明治大学政治経済学部卒業。
日本財団理事長。
〈ハンセン病〉
 「らい菌」による慢性感染症。菌に感染すると、10年単位の潜伏期を経て皮膚に腫れやまだら模様が現れ、神経がまひし、手足に特有の変形が生じる。乳幼児期に感染者と濃厚に接触して感染すると考えられているが、感染力は弱いとされ、発症も極めてまれ。現在は、3種類の薬の服用で完治する。
◆読売国際協力賞の選考委員
▽浅尾新一郎(国際交流基金顧問)=座長
▽中川幸次 (世界平和研究所副会長)
▽長尾立子 (全国社会福祉協議会会長)
▽佐藤行雄 (日本国際問題研究所理事長)
▽水上健也 (読売新聞グループ本社議長)
◆日本財団連絡先
 〒107・8404 東京都港区赤坂1-2-2
〈電話〉 03・6229・5111
〈ホームページ〉 http://www.nippon-foundation.or.jp
◆基金活動と募金方法問い合わせ先
〈基金事務局〉 NPO法人WASEDA CLUB
 〒167・0023 東京都杉並区上井草3-32-6 伊地知ビル
〈電話〉 03・3390・0202
〈ホームページ〉 http://www.oku-inoue-fund.com
 
 
 
 
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