競艇元年の提唱(昭和56年)
競艇業界は、発足以来順調に発展し、40年代の高度成長時代には売上も驚異的に伸び、昭和50年度には競輪を抜いて公営競技界で第1位の座を奪取した。しかし、昭和48年来の石油危機で日本経済が低成長に変わり、昭和50年代前半は売上伸び率が低下、昭和55年度を境に売上減少という、それまでには予想だにしなかった事態に直面した。
このような中で、競艇業界は、笹川良一会長の提唱により、法制定30周年を迎えた昭和56年を「競艇元年」と定め、初開催当時の原点に戻り、新たな視点からの再出発をすることとした。
昭和56年7月、翌年に設置されたファン拡大推進委員会の前身となる「モーターボート競走運営懇談会」が設置され、競走運営の改善すべき事項の研究とその具体的方策の検討が行われた。
同運営懇談会では、競艇場相互間勝舟投票券発売をはじめとする重要施策5項目が提起され、具体的検討が行われた。
ファン拡大推進委員会の設置(昭和57年3月)
昭和57年3月、モーターボート競走運営懇談会を発展的に解消し、連合会、全施協、施設協、選手会の各団体の最高責任者によって構成される「ファン拡大推進委員会」が設置され、笹川良一連合会長が委員長に就任した。
ファン拡大推進委員会は、その後、場外発売や電話投票をはじめ数々の重要施策を推進し、実現していったが、決定した施策は業界を挙げて推進し、トップダウン方式で実行に移されていった。
全施協の長谷部会長が昭和57年2月、蒲郡市長の任期満了に伴い退任したことから、副会長の倉敷市長滝澤義夫氏が会長職務代理者に就任し、同年6月、同氏が全施協第14代会長に就任した。
特別協賛競走の期限撤廃(昭和57年7月)
特別協賛競走の開催は、その協賛する事業によって、運輸省船舶局長通達で期限が付され、昭和55年5月の競走法施行規則の一部改正では、同施行規則の附則第2項で開催の期限が昭和57年3月31日までと規定化された。
昭和57年7月、同施行規則の一部改正により、特別協賛競走の規定が削除され、新たに附則第2項の改正が行われ、競走場の施設又は周辺環境の改善事業を行うための競走(第1号特別競走)と国際博覧会その他高度の公益性を有する事業を行うための競走(第2号特別競走)の開催が規定化、開催の期限に関する規定は削除された。
この施行規則の改正を受け、全施協では、第2号特別競走の収益金から、B&G財団には引き続き拠出を行うとともに、昭和60年に開催された国際科学技術博覧会(筑波博)に対し53億8400万円(業界全体で約90億円)を拠出した。
また、その後各国で行われた国際博覧会へも拠出するとともに、昭和61年度からは笹川平和財団に、平成9年度からは東京財団に拠出を行った。
国際科学技術博覧会(昭和60年)
第28回MB記念(蒲郡)で特別発売を実施(昭和57年8月)
昭和57年4月28日、競走法施行規則の一部改正により、4大特別競走(鳳凰賞競走、全日本選手権競走、笹川賞競走、モーターボート記念競走)の準優勝戦と優勝戦4レースの勝舟投票券を、同日開催している他の競艇場において発売(特別発売)することができるようになった。
この施行規則改正により、昭和57年8月、蒲郡競艇場で開催された第28回モ一ターボート記念競走の特別発売が、8月9日、10日の両日、尼崎競艇場と若松競艇場で実施された。
その後、昭和60年9月には施行規則の改正が行われ、場外発売が解禁となるが、それまでの間に行われたこの特別発売が、発売集計方法、施行者間契約、清算方法等初期の場間場外発売の運営の基礎を築くこととなる。
競艇のシンボルマーク決定(昭和58年5月)
ファン拡大推進委員会は、競艇の啓蒙普及活動の一環として、健全で明るくエキサイティングなレジャーとして新しい競艇のイメージを大衆にアピールするため、昭和58年1月から4月の間に、誰にも親しまれる競艇のシンボルマークを広く一般から募集した。
同年5月、全国から寄せられた20,436点にのぼる応募作品の中から、厳正な審査を行った結果、大阪府の岩田重一郎氏の作品が競艇のシンボルマークとして決定し、業界では、競艇のイメージアップと親近感の醸成を図るため、広報、PR等でこのシンボルマークを有効に活用していくこととなった。
公営競技初の薄暮レース実施(昭和58年7月)
薄暮レースは、日照時間の長い夏場に、通常開催時より遅い時間帯でレースを行い、従来の時間帯では入場できなかったお客様の利便性を図り、来場を促進することを目的として考案され、ファン拡大推進委員会の施策の一つとして推進された。
昭和58年7月23日から26日までの4日間、下関競艇場で業界初の薄暮レースが行われ、第1レース締切を14時、最終レース締切を18時30分に繰り下げ実施された。
4日間の売上は、9億9500万円余、入場人員は延べ2万7600人余と当初の目標を大幅に上回り、盛況裡に終了した。
薄暮レースは、その後サマータイムレースと呼称を変え、他の競艇場でも実施されたが、新規顧客拡大にはあまり結びつかず、次第に実施されなくなった。
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