日本財団 図書館


1993/08/20 読売新聞朝刊
[論点]まず常任理入りし、見識磨け
岡崎久彦(寄稿)
おかざき・ひさひこ(前駐タイ大使)
 
 クリントン米大統領は、日本が安保理常任理事国となる事を支持した。ところが日本側では、宮沢政権が腰がひけていて、これをどうやって実現するのかの当面の方策にさえ何の考えもなく、これには米側もあきれたという。こんな政府の態度を受けて日本の世論もまた微温的である。
 結論から先に言えば、私は日本の安保理常任理事国加入は賛成である。
 その理由の説明ぶりとしては、内外共にただ一つで良いと思う。それは「代表権なくして課税なし」の原則である。国連は従来とも財政難であるが、とくに最近のようにPKOが多くなると経費がかさむ。日本は経費の大拠出国であるが、日本が安保理に入っている時は、日本もその決定に加わっているのだからまあいい。しかし日本がいない時に勝手に決められ、そのツケだけがまわって来るのはおかしい、という議論は世界中どこに持って行っても通用する。
 問題はそこから先である。日本人はまじめだから、日本は果たして常任理事国となって世界の平和と安全の維持に責任を持つだけの意思と能力を持っているだろうかという議論になる。また、日本の戦後民主主義者からは、そういう意思と能力は持つべきでなく、持たされると困るから加入しない方が良いという論理になって来る。このあたりに日本の世論がもう一つ盛り上がらない原因がある。
 この議論に入る前に、私は、そもそも加入問題というのは「初めに加入ありき」が正しいと思う。
 普通選挙の前にはどの国でも必ず同じような議論がくどいほど繰り返された。「ロクに税金も払っておらず、政治について見識もない人間に選挙権を与えて何の意味があるのだ?」。また、日本が国連に加盟したばかりのころであったが、ある南の島で住民が人を食べたという新聞の切り抜きを示して、某国代表は発言していた。「こんな国が独立して国連に入って来たなら、我々は武装して会議に出席しなければならない!」
 しかし、今やその国もちゃんと国連に加盟している。その国が国際責任を果たしたかは、もはやだれも問わない。「初めに加盟ありき」という命題が正しかったのである。大国だって、拒否権乱発や分担金未払いどころでなく、なんども国連から非難決議を浴びるような事をしていて、他の国についてそんな事を問う権利はない。
 常任理事国というものが初めからないのなら日本もただの国連加盟国で良い。しかし、日本の何分の一も経費を負担していないような国が、五十年前の戦勝国だというだけの理由で、拒否権を行使したり、勝手に決議を作ったりしている以上、当然の事として、日本も加入を主張する権利がある。
 しかも日本には国際協力の政治的能力もあるのである。カンボジアのPKOは、最近のPKOの中で数少ない成功例であるが、カンボジアの政治解決をあそこまで持って行ったのには日本の貢献が大きい。米国の悪口を言うわけではないが、もしアメリカ主導だったら、プノンペン政権と抗越側のほぼ五分五分の現在の解決が出来るのに、もっともっと時間がかかっただろう。また、今でも、ポル・ポト派は、ソマリアのアイディドのように米軍の爆撃を受けているかもしれない。それでは政治解決は達成できない。
 詳しい事を書く紙数もないが、長年のカンボジア諸派との辛抱強い接触で、カンボジア内部の政治的な流れを、情報として、一番良く肌でつかんでいた日本の参加なしで、今回の成功があったとは思われない。
 ただ、そうした政治的役割以上のものを要求されたらどうかという問題がある。それはその時々の日本の政府がケース・バイ・ケースで決める事であり、時の政府が出来ないというならば断るしかない。日本はおそらく拒否権は持てないだろうが、協力しない事を宣言する事は出来る。安保理決議が真に法律的な強制力を持つ場合は極めて限られているし、万が一そういう場合はどうせすべての国連加盟国に強制力がかかって来る。
 ただ、戦後民主主義者の心配は、法的強制力はなくても国連加盟国がみな妥当だと認めて、みなで協力するような場合、日本だけ参加しないと物笑いになるので、実質的に強制されてしまうのではないかという事である。
 こんな姑息(こそく)な議論はない。時の政府が本当にそれが世界の平和のためだという信念で拒否するのなら、世界に説得力のある論理でそう言えば良い。それは事実上の拒否権である。それを言えないようならば、安保理にいようといまいと国連加盟国である以上、どうせ物笑いになる。安保理に入っているとそれが目立つから嫌だなどというのは、ダチョウが草の中に頭をつっ込んで隠れたつもりでいるのと同じである。
 安保理常任理事国加入はこれだけの国に成長した日本の試金石である。成年に達したけれども、精神的に未成熟なので選挙権はご遠慮するというような、自分では理屈があるように思ってだれもまともにしないような議論はもうおしまいにすべきであろう。
 堂々と入る、入って大人の情報を仕入れて自らの政治的見識と行動を磨く、これが個人にとっても国家にとっても正攻法である。
◇岡崎久彦(おかざき ひさひこ)
1930年生まれ。
東京大学法学部中退。英ケンブリッジ大学大学院修了。
東大在学中に外交官試験合格、外務省入省。情報調査局長、サウジアラビア大使、タイ大使を歴任。
現在、岡崎研究所所長。
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION