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私はこう考える【国連について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1995/11/10 産経新聞朝刊
【戦後史開封】(452)国連加盟(4)突然「日本除外」の16カ国加盟案が可決
 
 昭和三十年十二月十四日、国連日本政府代表の加瀬俊一(九一)は、安全保障理事会で、日本など十八カ国一括加盟案が寸前に葬られた前日の“悪夢”にぼう然自失となっていた。そこへ知り合いのUP通信記者から電話が入る。
 「ご存知ですか、ソ連が安保理を緊急召集するらしいですよ」
 慌てて国連本部へ駆けつけると、今度はソ連がモンゴルとスペインを除く十六カ国加盟案を上程するらしい、というのだ。スペイン代表のデエリチエといえば、取り乱さんばかりの慌てふためきぶりで、加瀬に「大変だ、助けてほしい」と訴える。加瀬は「休会に持ち込めばいい」とアドバイスした。
 そうこうしていると、イラン代表のエンテザムが「どうやら風向きが変わり、スペインが日本になるという話だ」と忠告する。驚き焦燥する加瀬をしり目に、エンテザムの情報通り、ソ連は日本とモンゴルを除く十六カ国一括加盟案を安保理に上程した。
 三十分の休憩となり、理事国の代表は別室で協議に入った。むろん加瀬は加わることはできない。ジリジリと待っていた加瀬に、協議を終え部屋から出てきた英国代表は「十六カ国だけでも加盟できるとなれば、今日のところは皆賛成するだろう」とにべもない。カナダ代表のマーチンですら「何とも申し訳ないが、今日のところは忍耐してもらいたい」と言う。
 再開された理事会の冒頭、米国代表のロッジがソ連案に日本を加える修正案を提案したものの、ソ連の拒否権に遭い否決された。続いて採決に付されたソ連案はなんなく可決され、十六カ国の代表は狂喜乱舞する。
 加瀬は今「私の生涯最悪の日だった」と振り返る。
 ソ連代表部を訪れ、日本を除外した理由をただした加瀬に代表のマリクはこう答えている。「スペインにはラテン・アメリカ諸国がついていた。台湾が米国の意向を受け外蒙(モンゴル)を拒否した以上、ソ連としても米国に報復しなければならず、米国を困らすには日本を除外すればいいということになった」
 元駐タイ大使の岡崎久彦(六五)=現博報堂特別顧問=のことばを借りれば、「結局、日本も外蒙も東西冷戦のオモチャになった」といえる。
 翌三十一年八月、モスクワで日ソ国交回復交渉にあたっていた外相の重光葵(故人)は、歯舞、色丹の二島返還を打ち出したソ連案をのむか、四島返還を主張して交渉を決裂させるかという岐路に立たされていた。
 思案の末、ソ連案を受諾する意向を東京に打電するが、閣僚や自民党幹部はこれに反対し、首相の鳩山一郎(故人)は重光に交渉を打ち切らせる。
 重光の秘書だった竹光秀正(八二)は、重光の意図についてこう語る。
 「重光さんは腹の底からソ連嫌いで、それだけにソ連をよく知っていた。だから領土問題は簡単に解決するとは考えていない。日本が国際連盟から脱退するときにも反対した重光さんにしてみれば、領土問題よりもむしろ、交渉の一項目にあったソ連の日本に対する国連加盟支持により、国際舞台に日本を復帰させることの方が第一じゃなかったかと思う」
 日ソ交渉は結局、鳩山がモスクワに乗り込み、十月十九日に「日ソ共同宣言」に調印、妥結する。
 領土問題は事実上棚上げした格好となり、国連加盟問題については「ソ連は国際連合への加入に関する日本国の申請を支持するものとする」との表現に落ち着いた。
 そこには、日本側が提示した案に盛り込んだ「無条件」の文字はない。日ソ交渉の過程で、国連加盟問題はどのように扱われたのか。重光のおいで随員として交渉に当たった重光晶(七九)=元駐ソ大使=は証言する。
 「われわれにとってはシベリア抑留者帰還の方が大問題で、それに議論の大半を費やした。だから加盟問題は議論にならなかったと言ってもいいぐらいだ。そりゃ、日本側の案で出したし一項目にも入った。そして『加盟を支持する。ただし、共同宣言を批准してから』というのがソ連側の主張だった。しかし、こっちも『もっと早くしてくれ』とか『無条件で』とか言うほどの暇がないんだよ、抑留者の問題で」
 鳩山の求めに応じ、ブルガーニン首相が鳩山にあてた十九日付書簡の中でも、「ドキュメント(共同宣言)の批准の後、われわれは日本の国連加盟に関するその要請を支持するとの約束を履行する」となっている。
 共同宣言は十一月二十七日に衆院本会議、十二月五日に参院本会議でそれぞれ採決、承認されるが、衆院では、日ソ交渉の反対派だった前首相の吉田茂、池田勇人、佐藤栄作(いずれも故人)ら旧吉田派の三十七人が、本会議を欠席する事態となった。
 当初は、「除名を覚悟で本会議では青票(反対票)を入れる」ことを申し合わせていたのだが、自民党幹事長・岸信介(故人)などの説得工作もあり、最終的には吉田、池田、佐藤の三者会談で欠席へと軟化する。
 そのうちの一人、小坂善太郎(八三)=後に外相、現日本国連協会長=はこう振り返る。
 「われわれは『北方四島の帰属は日本にあることを明記せよ』と主張したが、政府は、五十七万五千人いるシベリア抑留者を釈放し、日本の国連加盟に反対しないとのソ連の主張をのみ、野党の賛成を得て条約が成立した。今考えれば、五年にわたるソ連の拒否権行使はむちゃで、戦争捕虜のシベリア抑留も不法不当だから、日ソ国交回復はまったくのソ連ペースで残念なことといえる」(文中敬称略)
【あのころ】
◆昭和30年 「電気炊飯器」発売
 日本の国連加盟が阻まれた昭和30年12月、東京芝浦電気(現東芝)から完全自動炊飯器が発売された。外側のかまに水を入れ、その水がなくなると自動的にスイッチが切れるという方式で、タイマーを使い、炊きはじめの時間も指定できた。1.1リットル炊きで3200円という値段だった。
 「神武景気」が始まったこの年は電気炊飯器ばかりでなく、電気洗濯機など家庭電化製品が急速に普及し始めた年で、電気洗濯機も5年前は年産3000台に過ぎなかったのが、この年には月産3万台を超えた。
 しかし、まだ家庭電化の中心は扇風機やアイロンなどが中心だった。
 
 
 
 
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