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1998/01/11 読売新聞朝刊
[政治考現学]国際公務員に日本人が足りない 国連予算分担率15%突破なのに
 
 日本の国連財政への貢献が増える一方で、国際機関で働く日本人の国際公務員不足が目立っている。国連が決めた“国別割り当て”の半分にも満たない現状に、政府も国際公務員育成に本腰を入れる構えだ。しかし、諸外国に比べ待遇や言葉の問題など、難しい事情もある。国際機関への日本の人的国際貢献の現状と今後の課題を探る。
(政治部 大内佐紀)
 「日本といえば、ゲイシャとフジヤマが連想されていた時代、『日本人女性はおとなしく、保守的』という固定観念と戦うことから始まった」
 「女性のためのアジア平和国民基金」の伊勢桃代事務局長は、ニューヨークの国連本部に勤め始めた一九六九年当時をこう振り返る。昨年三月、定年退職するまでの約三十年間の国連生活は、「物事をオブラートに包む対人関係に慣れた日本人にとって決して容易ではなかった。語学の壁も厚かった」という。
■日本人総数475人
 当時、加盟国の経済力に応じて決定される国連予算分担金比率は日本が3.8%で、国連事務局の日本人職員もわずか四十六人。今では、日本の分担率は九七年が15.65%。二〇〇〇年には20.57%に増加する。
 ところが、国連などの国際機関の日本人国際公務員の数は全体で約一万八千人中、約2.6%の四百七十五人に過ぎない。国連事務局職員の場合だと、全体の約4.3%の百八人だ。国連が分担金比率などから定める国別の「望ましい職員数」は、日本の場合、全職員の8%だから、日本人の職員不足は明白だ。
■国内事情がネック
 こうした現状に、外務省幹部は「日本人の幹部がいる国際機関とは、自然に意思疎通が良くなるが、いまは特に上級・中堅幹部に日本人がいない“中抜き”現象が生じている」と顔を曇らせる。
 外務省は昨年、十二人の有識者からなる「邦人国際公務員増強のための懇談会」(座長=遠藤実・前ジュネーブ国連代表部大使)を設け、対応策の検討を進めている。昨年末には、小渕外相に報告書を提出、その中で、日本人職員が少ない理由として〈1〉日本企業の大半が終身雇用制のため、国際公務員になると日本での就職、転職が不利になりがち〈2〉必ずしも給与水準や待遇が良くない〈3〉英語を母国語とする諸国の職員と比較し、言葉、慣習面で不利――などを挙げている。
 アイルランド外務省から国連に出向して十四年になるポール・カバナー国連広報センター(在東京)所長は「北欧諸国や英国などでは国際機関の権威が高い。国際機関で働いた経験は本国で職を探す際、高く評価される」と指摘する。これに対し、日本では「国際機関で働いても即効力ある実務経験とは見なされない傾向がある」(外務省当局者)。
 給与にしても、カバナー氏は「アイルランドの給与水準からいけば、国際機関の待遇は決して悪くない」というが、日本の場合、必ずしもそうではない。国際機関職員の給与は国連創設以来、国連への最大拠出国である米国公務員の給与水準に準ずることになっているが、「大ざっぱにいって、日本の公務員の在外公館勤務時の給与の七割程度」(外務省筋)だ。このため、政府は一九七一年に施行された「国際機関等に派遣される一般職の国家公務員の処遇等に関する法律」(通称・派遣法)に基づき、政府から出向する国際機関職員に、国際機関からとは別に、本俸の70%から100%を支給している。現在、政府から出向中の百六十人が派遣法の対象となっている。
■生え抜き必要
 しかし、政府からの“補てん”を受けられない政府出向組以外の日本人職員には不公平感が強い。他国からも、かねてから「中立であるべき国際公務員が本国政府から支給を受けるのは問題だ」との批判がある。
 世界銀行に勤めた経験があり、国際機関の事情に詳しい横田洋三・東大教授(法律)は「いくら優秀な出向者でも、二、三年しか国際機関組織の中にいなければ、それなりの影響力しか発揮出来ない。日本の存在感を示したいなら、生え抜きの日本人の国際公務員を育成すべきだ」と指摘する。
■問われる国際度
 折しも、昨年末、国連の日本人職員第一号で事務次長にまで上り詰めた明石康氏が定年退職し、日本人幹部の存在感の低下が懸念されている。このため、外務省は、今後十年間で国連と、その付属機関の日本人職員を、望ましいとされる比率の8%までに引き上げたい考えだ。具体的には〈1〉財界、学界などからも幅広く国際公務員希望者を募る国際人材ネットワークの構築〈2〉日本人職員の社会保障制度の改善〈3〉ポスト獲得・昇進に向けた日本人職員とニューヨーク、ジュネーブなど政府代表部との連携強化――などを検討中だ。
 世界に認められる国際公務員を今後、輩出出来るかどうか、日本の国際度を測る一つの尺度となるのは間違いない。
◆歴代の日本人国際機関幹部
 
故・赤谷源一氏
 日本人初の国連事務次長(72―79年)
 外務省入省(45年)、経済局第二課長、在米大使館参事官などを経て、72年、国連に出向し、事務次長に。外務省復帰後、チリ大使(79―83年)
 
明石康氏(66)
 前国連事務次長(人道問題担当)
 日本が国連加盟した翌年の57年、日本人国連職員第一号として国連事務局入り。国連職員組合委員長(62年)、国連代表部参事官・公使・大使(74―79年)、国連事務次長(広報担当)(79―86年)、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)代表(92―93年)、旧ユーゴスラビア担当国連事務総長特別代表(93―95年)、国連事務次長(人道問題担当)(95―97年)。97年末、定年退職。
 
緒方貞子氏(70)
 国連難民高等弁務官(UNHCR)
 国際基督教大非常勤講師・準教授(65―79年)、国連代表部公使(76―79年)、上智大国際関係研究所教授(80―88年)、同大外国語学部長(89―91年)、91年1月から現職。94年1月に再任。任期は98年末まで。
 
中島宏氏(69)
 世界保健機関(WHO)事務局長
 フランス医科学研究所神経薬理学研究員(58―67年)、日本ロッシュ研究所研究部長(67―73年)、WHO本部医薬品課長(76―79年)、WHO西太平洋地域事務局長(79―88年)、88年7月から現職。93年5月に再任。任期は98年7月まで。
 
 
 
 
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