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1997/08/06 毎日新聞朝刊
[国連改革と日本]常任理事国入りを問う/4 脱「戦勝国クラブ」
◇財政負担増大で出番、開発分野関与に期待
 「現在の安保理は全体として1945年当時の政治的、経済的現実を反映したものだ。この組織をもう少し民主的なものにするには、今日の現実に沿って拡大する必要がある」
 今年1月に国連の第7代事務総長に就いたコフィ・アナン氏は、国連総会での選出直後の記者会見で、安保理改革問題への見解をこう述べた。
 その言葉を待つまでもなく、安保理の構成がいまだに第二次世界大戦の「戦勝国」を中心としたものであることは周知の事実だ。国連加盟国が設立当時の51から185に増えたのに、安保理は65年に11カ国から15カ国に拡大されただけ。拒否権を持つ米国、英国、フランス、ロシア(旧ソ連)、中国(71年まで台湾)の常任理事国(P5)の顔ぶれと地位には全く手が付けられてこなかった。安保理が「戦勝国クラブ」と呼ばれるゆえんだ。
 そんな安保理への疑問が、国連加盟国の間で一気に表面化したのは、東西冷戦が終わって国連50周年が近づいた90年代初めのことだ。冷戦で機能まひ状態だった安保理は、湾岸危機でのイラクに対する武力行使容認決議(90年12月)などでようやく活力を取り戻したが、一方でP5、とりわけ米、英、仏による閉鎖的な政策決定に途上国グループの不満が高まった。さらに、安保理の扱う紛争が宗教や民族を背景に「地域化」する中で、欧米中心ではない新たなアプローチの必要性も指摘され始めた。
 安保理の構成の見直しや「透明性」の確保を話し合う「安保理改革問題作業部会」(議長は国連総会議長)の設置が決議されたのは93年末の第48回総会。論議の高まりを受けて、翌94年1月から集中的な協議がスタートした。「経済大国」として常任理事国入りをめざす日本、ドイツの思惑も一致した。
 国連外交筋によると、米国以外のP5は当初、安保理改組、中でも常任理事国の拡大に消極的だった。組織の機能性が落ちるうえ、「特権階級」としての自分たちの地位が相対的に低下することを懸念したからだ。しかし、「冷戦後の平和維持活動(PKO)など国連活動をめぐる財政負担が増大する中で、国連分担金の分担率で2、3位を占める日、独を安保理の意思決定過程に参加させることのメリットに各国が目を向けるようになった」(国連外交筋)という。
 財政的貢献に見合う応分の国連活動への参加を日、独両国に求めることは財政危機に陥った国連の現実的な選択でもあるわけだ。「国連離れ」を強める米国の内向きの姿勢が、それを加速する。
 レーガン政権時代に米国連代表部公使(政務担当)を務めたコロンビア大学東アジア研究所のロバート・イマーマン高等研究員は安保理の中での日本の役割について、米国の「説得役」を期待する。唯一の超大国になった米国と他のメンバーとの間の調整役を務め、特に国際経済問題で主導権を発揮してもらう発想だ。
 ポスト冷戦期の地域紛争の多くが、政治的側面よりも開発や貧困といった経済的側面を背景にしており、開発分野で「独自の哲学を持った日本」(同研究員)のイニシアチブが紛争解決のカギを握るという分析である。
 安保理改革問題作業部会のラザリ議長は先日、毎日新聞とのインタビューで「すべての改革は国連の機能を強化するものでなければならない」と強調。「開発問題に理解のある日本のような国がもっと国連に関与すべきで、安保理の常任理事国入りはその目的を達成し、貢献を強めることになる」と述べ、「戦勝国クラブ」からの安保理の「脱却」を求めている。=つづく
 
 
 
 
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