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1995/05/09 産経新聞朝刊
【主張】憲法を考える 天皇制と国民主権 はびこる俗流国民主権
◆論理矛盾の“皇室外交”
 評論家・江藤淳氏は、かつて護憲派の頂点に立つ憲法学者・宮沢俊義氏(故人)に「(外国の大使から日本に着任したとき)信任状を受け取られる陛下のお立場は何ですか?」と質問したことがあった。すると宮沢氏は「大きな声では言えないけれど、総理大臣の門番と同じだ」と答えたという(『吉田茂』高坂正堯編、所収)。
 この宮沢憲法学に象徴される「戦後護憲平和主義」勢力が、昭和天皇の崩御とご大喪、新天皇の皇位継承前後にかけて「憲法と天皇」、とりわけ〈政教分離〉〈天皇の国政に関する権能〉を盾にさまざまな規制を加えようとしたことは、まだ記憶に新しい。
 例えば、ご大喪のおりの「元首か象徴か」をめぐる論争がそれだ。世界の君主国を見ても国家元首は「対外的な代表性」の有無が判断の基準となっている。ご大喪に、世界から百六十三カ国、二十七機関の元首や代表が参列した事実をみれば十分だろう。
 ところが政府や宮内庁は護憲派たちの反発を考慮して、これまで同様、象徴天皇の「権能」をできるだけ軽く解釈しようとし、「政教分離を守る」という名目のもとに、ご大喪を皇室行事の「葬場殿の儀」と国の儀式としての「大喪の礼」とに分けたのである。
 これだけの世界の大多数の国々が天皇を現に事実上の元首として扱い、対応している「事実」を無視した憲法の杓子定規な解釈は、諸外国に対して非礼で外交的不信を招くもとになる。
 まして皇室行事を便宜的に分けるなどに至っては、それが外国の代表の前で日本の「伝統」を冒涜し「日本の国の象徴の尊厳」を傷つける、思慮をまったく欠いた愚行であった。
 問題は、そうした皇室行事に関して憲法の厳格な運用を主張した護憲派勢力の大部分が、明仁天皇の中国ご訪問では、逆に「アジアの平和を守り・維持し・発展させ、平和憲法を守る崇高な目的のためなら」、仮に結果的に「国事行為」(憲法第四、七条)を少々逸脱しても許されると言わんばかりの積極的な賛成論を展開したことであった。
 冷戦崩壊後の世界システムの大再編への参画を迫られた日本の「政治」は、〈皇室(天皇)外交を前面に立てての国際化〉と〈政府が「国民主権」のもとに展開する外交〉との間の「歪み・ネジレ現象」が大きく露呈してきたといっていいだろう。
 現行憲法の「天皇条項」が時の政治勢力によって便宜主義的に“利用される”事態は早急に改める必要がある。
◆“無責任体系”の克服へ
 昨年十一月三日、読売新聞が発表した『憲法改正試案』第九条の「天皇の国事行為」の規定は、「天皇は・・・国を代表して、外国の大使及び公使を接受し」とし、天皇に「対外関係に限って、名目的な元首性を認めた」と説明しているのは、同様の問題認識に立ったうえでのものだろう。
 ただし「国を代表して」の文言については、一部の論者も指摘しているように、外交が二重性格をおび、現行憲法の「天皇の不問責」(即ちその政治決断の失敗の責任を皇室に問わない)の原則が崩れ、天皇が外交上の責任を負う事態が生じることになりかねない。
 また、読売『改正試案』は第一章「国民主権」、第二章「天皇」とし、第二章第四条で「天皇は、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、国民の総意に基づく」とうたったが、これでは「〈国民の総意〉を多数派国民の意思と解釈すると、国民の代表で構成される国会で議決すれば、天皇の地位は(天皇制の廃止まで含めて)どのようにでも左右できる」といった、戦後の憲法論争にある俗流「国民主権」解釈をクリアしているとは思えない。
 それどころか『改正試案』では、現行憲法の第一章「天皇」と第三章「国民主権」の順序を入れ替えたことでますます、その俗流的見解を助長し、「多数者の専制」に陥る危険性が増したとさえいえるだろう。
 その点では、戦後何度かうねりがあった憲法論争の中で、湾岸戦争以降の論争の先鞭をつけた形になっている評論家・西部邁氏(『日本国憲法・改正私案』)が、〈歴史・伝統〉という天皇の象徴機能に深くかかわる要素を重視し、天皇を「日本国民の伝統の象徴」「日本国の文化的元首」とし、首相を「政治的元首」とした点をわれわれとしては評価したい。
 いずれにしても、現行憲法のような「政治主体」を真に確立することなしに、「皇室外交」を前面に押し立て、もたれ掛かる形で、経済的利益のみを追求していく「無責任の体系」を克服するためには、憲法改正しかない。
 
 
 
 
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