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1988/11/02 毎日新聞朝刊
皇位継承に伴う儀式めぐり憲法論議、野党や学者が問題提起
 
 皇位継承に伴う儀式をめぐり、憲法論議が浮上している。最近社会党や民社党議員が政府に申し入れ書、質問書を提出したり、学者や市民グループが声をあげ始めた。旧皇室典範下で、二年間に六十一もの儀式を定めていた各種の皇室令は現在廃止されているため、新憲法下で行う場合、国民主権(憲法一条)や政教分離の原則(同二十条)に抵触する恐れはないのか、との危惧(きぐ)があるためだ。この論議は、約十年前の元号法案の審議をきっかけに続いてきたが、政府は明確な答弁を避けてきた。国はどこまで関与するのか、天皇の国事行為として何ができるのか、など政府の判断が焦点となっている。
 社会党の申し入れ書は十月二十一日、山口書記長から小渕官房長官に渡された。皇位継承に伴う一連の儀式について「政教分離の原則を定めた憲法の趣旨を徹底し、宗教的部分をもった皇室行事は、国事行為ではなく、天皇家の私的行事として行うべきだ」と指摘、政府に慎重な対応を求めた。
 同党は、皇位のしるしとされた神器を新天皇が即位直後に継承する「剣璽渡御(けんじとぎょ)の儀」や皇位継承後初めて新天皇が首相らと会う「践祚(せんそ)後朝見の儀」など現在の憲法、皇室典範に明文規定のない儀式が、「剣璽等承継の儀」「即位後朝見の儀」などと一部名称変更するだけで行われそうだ、という情報を得たため、問題にしたものだという。
 剣というのは「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」、璽は玉の意味で「八瓊曲玉(やさかにのまがたま)」のことをさす。この二つは「八咫鏡(やたのかがみ)」とともに「三種の神器」とされ、かつては「皇位とともにあるもの」と重視された。社会党は、この点をとらえ「神器は日本書記の神話に由来する崇教上の参拝の対象であり、これを受け継ぐ儀式は宗教的儀式」と指摘している。
 現在の天皇陛下が旧憲法下で即位された時、この儀式のなかで神器のほかに勲記に押される国璽(国の印)、法律の公布文や条約の批准書などに押される御璽(天皇の印)も受け継がれた。同党は「神器の継承と国璽、御璽の継承は切り離して行うべきだ」との見解を示している。
 「剣璽」については、内閣法制局も「神話に由来するもので、その性質、意味合いが問題となる余地が皆無とはいえない」という解釈を示している。しかし、一方で政府は「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は、皇位とともに、皇嗣が、これを受ける」とする皇室経済法七条の規定を根拠に、「剣璽」を「由緒物」として宗教性論議をクリアする方針といわれ、この儀式を「新天皇が即位後初めて行う国事行為」と位置づけることを検討中と伝えられている。
 一方、民社党の滝沢幸助衆院議員は昨年十二月二十八日付と今年十月十九日付の二度にわたって、皇位継承儀式に関する質問主意書を提出。皇室の伝統を尊重する立場から「現憲法下では規定が不十分。儀式は我が国古来の伝統をすべて継承し、完全な形で行われるべき。速やかに法的、制度的不備を改善するとともに、国会を通じて国民に知らせなければいけない」と訴えた。皇位継承に伴う儀式をどのような形でやるか、儀式のどの部分を国事行為とするか−−大正から昭和への代替わりでは、旧皇室典範に基づく登極令(明治四十二年公布)、皇室葬儀令(大正十五年公布)などの皇室令により二年間に六十一の儀式を行うことが細かく決められていた。
 現行の皇室典範が二十二年一月に公布されたのを機に、これらの皇室令はすべて廃止された。その理由について、三原朝雄・総理府総務長官(五十四年当時)は「新憲法の精神なり、あるいは法の内容に照らして適当でなかったから」と国会で答弁している。新皇室典範は「即位の礼」や「大喪の礼」を行うことを明記しているだけで、具体的にどのような儀式を想定しているのかは、制定時にもまったく論議されていなかった。
 このため、宮内庁は「皇室制度が伝統的な制度であることを考えて、廃止された皇室令の多くは慣習法として存在しているものとして、できるだけ憲法の精神と並存させていこうと努力してきた」(三十四年五月、憲法調査会での宮内庁幹部の発言)としてきた。皇位継承とそれに伴う儀式は現憲法下で前例のない問題だけに、その後元号法案の国会審議をきっかけに何度か取り上げられたが、政府は慎重な答弁に終始してきている。
 「現在全くの検討中の研究中の事項。伝統にのっとりながらも現在の憲法に適合した厳粛な儀式が必要だと思う。具体の問題の中身を申し上げる段階ではない」
(五十四年五月、参院内閣委で山本悟宮内庁次長)
 「目下も十分に研究はしている。決まるものは必要が生じたときということしか申し上げかねます」
(今年二月、衆院予算委で同次長)
 宮内庁がこの問題に取り組み始めたのは十数年前から。担当部局の間で非公式な“勉強会”として研究し、内閣法制局とも意見を交換してきた。「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」としている皇室典範第二十四条の「即位の礼」について、富田朝彦・前宮内庁長官は五十四年四月、参院内閣委で過去の例を引き合いに出しながら「昭和三年十一月十日に行われました即位当日紫宸殿の儀が・・・皇室典範にいう即位の礼にあたるものと思われます」と答弁したが、宮内庁内部では、剣璽渡御の儀も即位の礼の中に含むべきだ、などとさまざまな意見が交わされていたのが実情だ。
 伝えられるように、「剣璽渡御の儀」が名称を変更し国事行為として行われるとするなら、政府は現在、富田前宮内庁長官の解釈よりも皇室典範の規定を拡大して考えているものとみられる。
 滝沢議員の十月の質問主意書き対し、政府は二十八日付で答弁書を送った。「具体的内容等についてはお答えできる段階にない。なお、天皇は日本国民統合の象徴であって、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づくことは、ご指摘のとおりである」。これまでの国会答弁の枠を出るものではなかった。
 これらについての国会論議は、ここへきて「自粛」されている。十月二十五日の衆院決算委では、社会党の新村勝雄議員の「皇位継承について」の質問が、当日になって急きょ取りやめになった。
 皇位継承に伴う皇室の一連の儀式が公開の場で憲法論議のないまま行われる可能性があることについて、学者や市民グループから問題点を指摘する声が出ている。東京の明治大学で開かれた「象徴天皇制を考える歴史家の集い」では、笹川紀勝・国際基督教大教授(憲法学)らが「国民主権と政教分離原則を貫く立場から、儀式の国事行為化には厳格な目を向けなければならない」と報告した。
 全国の歴史学者二千六百人が名を連ねる歴史学研究会(委員長、中村平治東京外語大教授)も二十九日、「旧皇室令下の一連の儀式は現在、法的根拠を失っている。剣璽渡御の儀などは国家神道の性格が濃く、国事行為とした場合、憲法の原則に反する」とする声明を発表している。
 日本キリスト教団(東京・西早稲田)の「天皇代替わりに関する情報センター」は九月二十四日、「剣璽渡御の儀」などの国事行為化に反対する緊急声明を発表、現在も署名運動を続けている。
 
 
 
 
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