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解剖実習を終えて
鹿児島大学医学部 海江田英泰
 
 今、解剖実習を終えゆっくり振り返ると、本当に充実した中身の濃い時間であったと心から感じている。
 解剖実習に入る前、先生や先輩方に言葉では実習内容を聞かされていたが、いまいち具体的な想像がつかないでいた。また、今考えると、初めて解剖室に向かうときの自分の解剖に対する決意というものは、表面だけの薄っぺらいものであった。しかし、班4人でご遺体を解剖台にお上げしたとき、そんな気持ちはすぐさま一新された。作業の前の黙祷の間、ご遺体の方が「私の体をよく見てしっかり勉強しておくれよ。そして、すばらしい医者になって下さい」とおっしゃってる気がし、医学を学ぶにおいてこんなすばらしい機会はない、献体に協力していただいた故人の意志やご家族の気持ちを絶えず心にとどめ、期待に応えるべくこの実習に自分の全精力を注ぎ込もう、と決意した。
 そして初めてご遺体にメスを入れるときがやってきた。将来医にたずさわる者として、人の体に触れるのも初めてであったし、医療器具を手にするのも初めてであった。そんな自分がご遺体にメスを入れる。からだがカッと熱くなり手が震えた。人に傷をつける怖さと、あの決意に対してはたして自分は解剖をまっとう出来るのか、ご遺体やご家族の期待にしっかり応えられるのかという怖さがそうさせたのだと思う。しばらく目を閉じ深呼吸をし、作業を始めた。実習は精神面、体力面すべての面で予想をはるかに超えるものであった。作業がうまくいかない日もあった。班員と意見が分かれ討論する事もあった。しかし、そのすべてをご遺体の方は見ており、そのお顔を拝見するたびに「しっかり頑張れよ」と励まされている気がし、そんな思いが最後まで自分を支えてくれていた。
 日を重ねていくうちに、そんな励ましの声をかけてくれるご遺体に愛情のようなものが生まれてきていた。よってご遺体が普通では痛いと感じられるであろう作業もあり、そんなときはいたわりの気持ちを持ちながら作業をした。その日の作業が終わり、解剖台の扉を閉じるときも布や周りが清潔かなと心配し、いつしか自分のおじいちゃんのような気持ちで接していた。
 そうやって毎日を過ごしているうちに、解剖実習最後の日がやってきた。同時にご遺体ともお別れである。棺にご遺体を入れ周りをきれいにした。そして見送り。黙祷をしながら自分の目頭が熱くなっているのに気づいた。解剖実習を終えた達成感とご遺体の方とのお別れの悲しさが入り混じった気持ちであった。
 すべての解剖実習を終えて大きな達成感はあるが、やはり反省点も多かった。もっとあの時頑張れたはずだ、もっとあの時うまくできたはずだと。しかし解剖実習を終えた今、大きな階段を上りひとつ上のステージに立つ自分がいる。あの解剖実習で感じた献体してくださった故人やご家族の期待、そして自分の決意、苦労すべてが自分を成長させたと確信している。そしてこの先も医療人として自分が成長し大きくなるべく、この解剖実習で学んだ事を糧にし今後の活動に生かし、支えにしていきたい。
 
 最後に献体に協力していただいた故人、そしてご家族の方々、本当に感謝しております。ありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。
 
奥羽大学歯学部 片山 和義
 
 6月の慰霊式に出席すると、解剖学実習がまもなく始まるということへの意識が少しずつ強くなってくる。慰霊式にはご遺族の方など多くの方々が出席されていた。その光景を見て、私はこの多くの方々の気持ちを受けて実習を行なわせていただけるのだということを感じ、実習に対する緊張感と責任感が増していた。
 夏休みが終わり後期の講義が始まると、御遺体を前にすることになる。御遺体は静かに横になっていた。この姿をみて、この方は、どういう気持ちで献体を決意されたのだろうと私は考えていた。おそらく医学に対する期待や希望を強く持たれたからにちがいない。
 私は、その気持ちに答えられるように、頑張らなければならないと感じた。解剖学実習を進めていくと、困難と驚きの連続だった。講義で教わったいろいろなことが集まっているようだった。とても複雑そして緻密であり、とても機能的に成り立っていたりして、不思議な感じがした。また、さまざまな組織に触れた時の硬さであったり張度などの感覚は、この実習によって自分が新しく得た感覚として記憶されたにちがいない。解剖学実習を経験すると人生感が変わるということを以前聞いたことがあったが、其の気持ちがわかるような気がした。
 私は、この解剖学実習で得た知識や、気持ちを大切にして、これからの勉強に生かして行きたいと思っている。そしてあらためて、御遺体に感謝の意を表したいと思う。
 
新潟大学歯学部 金子 正幸
 
 私は歯学部を目指す上で「解剖実習」の存在は知ってはいたものの、その現実をできれば避けたいという思いがありました。それは、私の中で『人のやることとは思えない』という考え方があったからです。
 しかし、そのような考え方が変化するきっかけがありました。それは、白菊会の集いです。そこで私はある非常に感慨深い言葉に出会いました。ある方がおっしゃっていた『献体をすることが自分にとって人生最後のボランティアなんです』という言葉です。このとき私は解剖実習というものが如何に尊いものであるかを実感しました。このような強い意志をもった方から自分は医歯学の根本である解剖学を学ばせていただけることは非常に幸運なことなのだということです。
 そして、このような思いのもとに解剖実習が実際に始まりました。精一杯学ばせていただこうという意志はあったものの、ご遺体との最初の出会いは私に衝撃を与えました。私の中で、この方はどのような人生を歩んでこられたのか、この方はどのような経過でなくなられたのか、などいろいろな思いが駆け巡りました。このように思いをめぐらせることで始めは手を動かし実習を行なうことをためらいましたが、そのようなとき私の心を後押ししたのはあのときの言葉でした。このとき、献体された方があれだけ強い意志をもっているのに、自分がこのような消極的な考え方では献体された方の厚意を無駄にし、解剖学の理解を深める機会を無駄にしてしまうということに気づき、そのような思いは払拭されました。
 このように積極的な姿勢をとっていこうとしたものの、最初の数週間は自分で教科書などで予習を行ったつもりでも、私自身の知識の乏しさと知識と実物のギャップの大きさによって、実習は思うように進まなかったり、その上自分が剖出しようとしているものを見失い知らぬ間に傷つけていたりということが何度かありました。これは今考えてみると、ご遺体であるから何もいわれないのであって、実際の医療の現場ではこのような失敗は医療ミスに他なりません。つまり、十分な知識がないにもかかわらず自分の独断で行動することは、医療を施すどころか医療という名を借りた傷害行為を行なうことになるのです。そこから私は、医療の現場では私が得た知識が患者として私のところへ来られる方の将来を左右するのだということを学びました。
 つまり、解剖実習はただ単に解剖学的な人体の構造を肉眼的にとらえ、その立体像を理解するだけでなく、医療とはいかなることなのか、人の実態とはどのようなものであるのか、生命はどのようにはじまり、そして、終焉を迎えるのかという、基礎医学から医療倫理にいたる医療の根源を学ぶことのできる実習であるということが、実習を重ねるうちに明らかになってきました。このように自分が今進もうとしている道が非常に尊いものを対象にしているということを気づかせてくれたのが、私が今回担当したご遺体の多大なる意思によるものであることは言うまでもありません。私は実習中に、偶然ご遺体の「手」に触れるという機会がありました。そのときに、当然のことながらもう亡くなられているので、体温は感じないけれどもそこから何か非常にあたたかいもの、さらに意思のような何か強いものを感じたのを克明に覚えています。つまり、人は体内を血液がめぐり、意思の下に行動することによって人であるというわけでなく、たとえすでに息を引き取っていてもこの世に生まれたという事実、そして人生を全うすれば、それは人であり、声に出して語ることはなくても、存在さえあれば人の心に必ず何かを訴えかけてくる、それほど尊い存在なのだということを実感させられました。
 私にとって解剖実習は、毎回が神経・血管の走行、筋の実際の形状、内臓の形態などが実際に目に飛び込んでくることで非常にインパクトをうけ、それを理解するまたとない機会であったし、また人という存在について思いを馳せる時間を与えてくれた貴重な実習でした。
 最後に、今回これほどまでに自分を成長させてくれた献体をしてくださった方に、心から感謝し、安らかに眠られますよう切に願いたいと思います。
 
福島県立医科大学 金子麻理子
 
 私達が実際、解剖をさせて頂いた時期は、二ヵ月半。しかし、私にとっては半年余り解剖させて頂いたような気さえします。それだけ毎日毎日が濃く、充実した日々でした。解剖実習を始める日、とても緊張して実習室に入った事を覚えています。解剖実習が始まってからの日々は新たな発見と、驚きの連続でした。ここに分布している神経は、こんなところから出ているのか! とか、血管は、こんなにも多くの枝を出して、これだけの様々な部位に栄養を送っているのか! など、知らないことだらけの毎日でした。最初の頃は、慣れない事もあり、体力的、神経的に、とても辛い時期もありました。しかし、そんな日々も続いて行くと、段々と、このスケジュールにも慣れ、余裕が出てきました。教科書や、実習書などで学習してきた部分が、実習で三次元的に観察できた時や、ここにあるはずの器官、神経が、実際に観察できた時の感動はかなり大きなものでした。やはり、誌上で学ぶのと、実際、見て、触って、自分で剖出するというのでは、理解度、印象が、全く違うのです。私は今回の解剖実習を通して、人体の神秘、精巧さ、仕組みなど、本当に貴重な体験をさせて頂きました。私達、医学生の勉強のために、御体を献体して下さったこと、どれだけ感謝しても、しきれない程です。心より尊敬し申し上げます。そして、御本人はもちろんのこと、御献体を承知して下さった御家族の方々にも、心から感謝申し上げます。皆様の志に沿えるよう、毎回、毎回、毎回、最大限に知識を吸収し、理解を深めようと、努めたつもりです。これから様々な医学の勉強を重ね、実際に医療現場に出るとき、その度に、御献体のことを思いおこしていきたいと思います。本当にありがとうございました。本当のところを言うと、生前にお会いして、御献体を決意なさったまでの気持ち、これからの私達に期待することなど、本当の声でお聞きしたかったと思います。







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