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解剖学への招待 −私と献体 解剖学習を終えて−

 事業名 篤志献体の普及啓発
 団体名 日本篤志献体協会 注目度注目度5


■挨拶
静かなる師
杏林大学医学部 第一解剖学教室 教授 松村譲兒
 
 昔から、解剖実習で学生に話される言葉に「屍は師なり」というものがあります。きわめて含蓄に富む言葉ですが、この中には「目の前のご遺体を解剖することで直接情報を得ることができる」という意味が含まれています。「わかりきったこと」と思われるかもしれませんが、わかりきっているがために忘れられているような気がします。医師や歯科医師となって患者さんを診察するとき、もっとも大切なのは「患者さんの容態を直接把握すること」です。検査技術がどんなに進んでも、医師が診るべきは患者さんであり、直接情報は患者さん本人からしか得られないからです。そして「解剖実習」こそ、医歯学生が人体から直接情報を得る最初の機会といえるのです。最近は、コンピュータ技術の進歩により仮想現実を使った実習がもてはやされていますが、人体から直接情報を得ることのできる実習は解剖実習と臨床実習をのぞいてありません。直接情報という点ではコンピュータの画面は何の意味もなさないのです。あらためて「屍は師なり」という言葉の「心」を感じずにはいられません。
 また「無言の対話」という言葉もあります。そのままの意味でとれば「言葉を発することのないご遺体と語り合う」ことですが、この中には「ご遺体を通して自分自身を見つめる」という意味が含まれています。医療に従事する者は「これでよいのか」「それはなぜか」という自問自答を常にしていなければなりません。人体・疾病という「自然」を相手にする医療人にとって、目の前の問題にいつも答があるとは限らないからです。「解剖実習」は単に膨大な知識を詰め込む場ではなく、ご遺体が身をもって示す「自然」を謙虚に受けとめ、これに対応する「知恵」を身につける絶好の機会なのです。また「ご遺体とお話しする」などというと、小さい頃のお人形さんごっこのようですが、これは「自分自身を見つめる」ことに加えて「患者さんとの対話」のトレーニングともなります。患者さんにわかっていただけなければ、インフォームド・コンセント(納得したうえでの同意)などありえませんから、このトレーニングはとても大切なものといえるのです。
 このほかに、解剖実習では「畏敬の念」ということがよく言われます。ある高名な外科の先生は「解剖実習では生命に対する畏敬の念など身につかない」と断言されました。たしかに「畏敬の念」は教え込んだからといって身につくようなものではありません。しかし、この文集に記された学生の「感想」を読んでいただければ、ご遺体に対する学生の気持ちが、実習を通して変化する様子がお分かりになると思います。ほとんどの学生は実習にあたって「ご遺体は人間か物体か」という命題につきあたり、多かれ少なかれ「人間」や「死」や「医療」というものを考えるようになります。もちろん、結論はそれぞれの学生によって違うでしょう。でも、大切なのは結論ではなく考えることです。自ら考え、結論を導く過程を経験することで人間は変わって行くからです。このような経験はご遺体を前にしているからこそできるものであり、理科室の「人体模型」による実習では得られません。多くの方々が「解剖をしたことのない医者に手術してもらいたくない」とおっしゃるのは、「人間について考えたことのない医者に医療はまかせられない」ということではないでしょうか。
 このように、医歯学全体からみれば一つの科目にすぎない「解剖実習」ですが、学生にとっては自分についてまた人間について考える貴重な機会であり、医療のプロとしての姿勢を身につけるために必要不可欠な場といえるのです。このことを考えれば「解剖実習」を支えている「献体」は、学生や医療人にとって「静かなる師」としての大きな役割を担っているといえましょう。私自身も学生時代に習った歌を心の中でかみしめて実習に参加しています。
 
 師はいまは静かにいます 荒々と我を叱りし声もきこえず
 
質問 さいたま市・松江淳
 
 母が奈良県立医大への献体を希望しており、白菊会入会申込書の同意者欄への署名を頼んできました。制度の概要・趣旨など、献体に関する一通りの知識はいくつかのウェブサイトから得たのですが、実際に遺体がどう使われるのかといった具体的なことや、現在の医学部の教育に本当に不可欠なものなのか等、教えていただけないでしょうか。
 私は以下の理由で基本的に同意する方向で自分の気持ちを整理したいと思っています。
(1)献体を志願すること自体、隣人愛を実践する一つの尊い方向であり、立派な行為であると思う。
(2)息子として母親にできる(実現する時間が)最後のプレゼントであり、母の意志どおりにさせてやりたい。
 ただ、せっかく同意するからには、自分なりに疑問を解消し、正しい知識を持った上で署名したく、そのために、以下のような疑問にお答えいただければ幸甚です。「医学の発展のため」という明るい側面に重きをおくとしても、やはり、自分の親が死後であれ切られることに心から賛成するためには、マイナスの要素をしっかり整理しておく必要があります。どうぞよろしくお願いいたします。
1・実際には何の目的で遺体が必要なのですか。
(1)人体の構造を理解し、手術の練習をするため、もっぱら医学部の学生の教材として使用されるのですか。解体新書以降今日まで、写真・CG・新素材による模型など、良い教材がたくさん蓄積されているはずではないかと思います。本物の人体が医者としての知識・技術を習得するために不可欠なのでしょうか。神様の創られた精巧な人間の体とまったく同じ人間は教材として作れないから、献体される遺体が必要だと理解すれば良いのでしょうか(「最近は献体の登録者数が増加し、実習をすべで献体による遺体で行える大学が増えている」との記載を見かけましたが、これは、献体による遺体ではない実習でも事足りるということではないでしょうか)。
(2)前記以外の目的でも使われますか。例えば、一個体では完結しなくとも、献体される遺体の集積が、脳死者から提供される臓器の不足を補うための人工臓器の開発に利用されたり、一回一回の解剖教材としてだけでなく、集合体として比較研究や長期的研究目的のためにさらに有効利用されたりするのでしょうか。
(3)結局のところ、本物の人体が必要な必然的理由は何でしょうか? 倫理的是非はともかく、クローン人間の研究までされる科学技術の進歩した今日、人間の生命の宿っていた尊厳のある器が、何としても(代替品に替えがたく)医学部で必要な理由を、そう理解すれば良いでしょうか。やはり、人間には作れない本物が医学部の教育上不可欠だということでしょうか。
2・どの程度遺体は有効活用されるのですか。
(1)一医大(医学部)に提供された個々の遺体は(最終的には大学側で火葬され遺族には御骨が返却されますが)、完全に無駄なく利用されるのでしょうか。火葬されるのは、本当に最後の最後で、物理的にほとんど一〇〇%活かされるのでしょうか。
(2)例えば、大腸がん・乳がん・盲腸など多くの手術をした提供者の場合、不完全な遺体として、完全なものよりも価値の低いものとして扱われることはないでしょうか。Q & Aでは「そうした遺体も健康だった提供者の遺体との比較に使われるから、それはそれなりに意味のあるものとして扱われる」との説明ですが、申込書には提供者の手術歴を記載するような項目はありません。実際に解剖される際、大学側が個々のデータを把握せず解剖し、実習したい臓器が無駄にされるといった心配がないことを、どのように確認できるのでしょうか。
(3)死亡時の年齢によって扱いが変わることはありますか。高齢者から提供される遺体でも、ないよりはあった方が良いのかもしれませんが、「本当は若い人の方が良かったのだが・・・」などと提供者の善意が軽んじられることはないでしょうか。
3・献体の必要性が一〇〇%提供者の善意に依存するのはなぜですか。
 献体される遺体が医学教育に本当に不可欠ならば、それは、遺体に物としての非常に高い価値がある、非常に貴重なものだということだと思います。その貴重なものの提供を受ける大学が、まったく対価を支払わないのはなぜでしょうか。提供者の自発性が重んじられ、大学が感謝をもって受け止める、手厚く弔う、遺族感情を最大限尊重する、という建て前は、いわば当然の最低限のことだと思います。しかし、その上で、提供者は実際に気持ちだけでなく遺体というかたちあるものを提供するのですから、大学はただありがたく頂戴するだけでなく、教材ニースが満たされたことに対する謝意を何らかのかたちにすべきではないでしょうか。
(1)遺体に値段をつけて遺族に支払うことが適当ではないにせよ、例えば提供者の希望する(場合には)希望先に献体に対する謝礼等のかたちで大学が提供者に代わって、社会貢献度の高い先に寄付金を払う等、受益者として何らかの金銭的負担をすべきではないでしょうか。
(2)遺体がほんとうに貴重なもので、しかも不足しているならば、まったくの一般人の善意に頼るだけでなく、少なくとも解剖実習を受講する医大生と指導教授をはじめとする大学関係者が、まず献体することを条件に、遺体の提供を受けることが認められるべきではないでしょうか。
 人間の遺体に値段がつかないという理屈もわかるのですが、しかし一方で、医学の目的のために遺体が物として扱われることも事実だと思います。モルモットでも何でも、研究に必要なものをまったく無償で手に入れるなら、大学はそれをほんとうに大事に扱うでしょうか。何らかの金銭的・精神的痛みを大学関係者側でも負うことによって、本当に提供される遺体を貴重なものとして受け止め感謝して使ってもらうことになるのではないかと思います。
 
 順天堂大学医学部解剖学第一講座教授 坂井建雄
 
 篤志解剖全国連合会の事務局長をしております、坂井と申します。お母様が奈良医大に献体登録されるにあたり、日本篤志献体協会にお寄せいただいた、献体についてのお問い合わせにご返事させていただきます。なお両団体は、共通の事務局のもと、協力して献体の普及・啓発を行っております。
1・実際には何の目的で遺体が必要なのですか。
 これについては、人間の生命と健康を守るために、人間の身体を作るさまざまな部分に手をつけて扱うという、ことの重大さを考えていただければ、おわかりになるかと思います。写真・CG・新素材などでトレーニングを積んだ医師が、人体に実際に触れることなしに、いきなり誰かの身体の手術をするようなことが、許されるでしょうか。フライトシミュレーターでよく練習したから、いきなりジャンボジェット機の操縦をしても、良いのでしょうか。医学生も同様で、熟練した教師の指導のもとで、実際のご遺体を解剖させていただき、人体を手にとってどのように扱うか、またそのことの意味の重大さを学ぶ必要があると、考えております。
2・どの程度遺体は有効活用されるのですか。
 ご遺体をどのように解剖させていただくかについては、大学ごとに多少流儀が異なるところがあります。ただ、ご遺体から学ばせていただくという感謝の気持ちは、どちらの大学でもかわらないと思います。では、ご遺体からどのような事柄を学んだか、それを検証できるようにすることができるか。これは決して簡単なことではありません。むしろ、学んだ事柄を検証できるようにする努力と、真摯に誠実に学ばせてもらおうとする努力とは、相反するところがあります。かたちの上での検証ができれば、学ぶ者たちの姿勢や態度は、どうでもよいのでしょうか。私たち、献体と解剖に携わる者たちは、私たち自身の姿勢から、故人に対する誠実さを感じ取っていただきたい、とよく思います。
3・献体の必要性が一〇〇%提供者の善意に依存するのはなぜですか。
 献体される遺体が医学教育に本当に不可欠であるということは、遺体に物としでの非常に高い価値があるとか、非常に貴重なものだということを意味するとは、我々は考えておりません。献体者の遺体が与えてくれるのは、物としての価値を超えたものであると考えております。単に高価な物として扱うのであれば、例えば周辺の国々から遺体を輸入することが、ありえることになります。そんなことは実際に行われていませんし、またそうして手に入れたご遺体に、献体で頂戴するご遺体のような精神的な価値があるとは、私には思えません。
 献体をしていただいてから、保存処置の後に解剖させていただき、最後に火葬に至るまで、決して少なくない費用がかかっております。また献体登録をされている方々に、日常的に会報などをお送りし、総会を開いてお越しいただき、さらに献体登録者が亡くなられた時には、礼を失することのないようにご遺族にご挨拶をしてお引き取りさせていただく、当然の事柄ではありますが、そういった献体の実務に大学の専任の者が担当する、人的にも、経費的にも、大学の負担は少なかざるものがあります。また、献体についての理解を深めるための篤志解剖全国連合会や日本篤志献体協会の活動も、大学からの拠出金によってまかなわれております。
 ニュースなどで、医療の事故や不祥事についてしばしば報道されます。しかし、医療従事者のほとんどは、自分たちの目の前の患者さんのために、自分たちの身体や時間を削りながら、研鑽し、誠心誠意尽くそうと努力していることは、なかなかニュースになりません。松江様は、身近の医師たちの様子を、どのようにご覧になるでしょうか。
 以上、松江様からのメールを拝見して、私なりにご返事できるところを書いてみました。献体についての疑問を、幾分なりとも解決していただければ幸いです。
 
質問者からのお礼のことば
 日本篤志献体協会への質問に坂井先生からご回答賜りました松江でございます。日本の解剖学会の代表をなさり、篤志解剖全国連合会の他に多くの組織・活動を統括・推進しておられる先生のような方から、見ず知らずの一個人に対し、これほどお心こもった暖かいご丁寧なお便りを頂戴しましたことを、心から感謝し、お礼申し上げます。毎日がご多忙であられる先生から、まったくの素人の疑問に一つ一つ噛み砕いてお答えいただき、本当にありがとうございました。
 医学部の皆様が、献体される遺体、故人の意志を、どれほど尊く重大なものとして感謝をもって受け止められ、いかに誠実な態度で解剖に臨んでおられるのか、先生のご説明を何度も繰り返し拝読し、少し想像できるようになった気がいたします。真摯に遺体と対面し、多くのことを学ばれる学生さんの姿を想像し、また、遺体の物質的価値ではなく、献体の「精神的価値」についてご指摘いただき、改めて考え直しますと、「人の命を救う尊いこと(医療)のために提供される遺体は、献体を良いことと固く信じる個々人の完全に自発的な善意のみ依存することのほうが、むしろ正しいのではないか」と考えられるようになったと思います。
 先生の奥様はカトリックの信者さんだそうですね(こだわりアカデミーの九七年七月対談記事も拝読いたしました)。私もカトリックで、献体を希望している母は洗礼を受けておりませんが自称クリスチャンですので、神父様にもうかがつたところ、体でなく霊魂が大事であること、本人の希望を周囲が反対すべきでないことの他に、「一匹の虫さえも、神様のご計画どおり、飛び回り、鳴き、鳥の餌になり、神から与えられた命すべてを、全体の利益のために使い尽くす。『自分だけは、俺が、俺が・・・』と神の意に反し自我を主張するのは人間だけ」といった考え方も教わりました。献体の意思表示は、「神(または自分より偉大なもの)から与えられた尊い自分のすべてを、自分のためだけに生きて終わるのではなく、最後まで自分より大きな良いことのためにとことん役立ててもらいたい」という提供者の気持ちの表れであり、小さな自己主張を超えた大きな世界の中で自分が活かされることを望むのは、宗教を超えて共通のことであろうかと考えたりもいたしました。
 あまり長くなりますと失礼ですので、献体・解剖が、提供者・医学生の精神と精神の、誠実な交わりの上に成り立つものであることをわかりやすくご指導いただきましたことにお礼申し上げるに止めさせていただきます。ご指導本当にありがとうございました。







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更新日: 2018年11月10日

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