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1990/04/18 読売新聞朝刊
[社説]「死刑」を考えさせた永山事件
 
 昭和四十三年秋の「連続射殺事件」の永山則夫被告に対し、最高裁は十七日、「死刑」を言い渡した。逮捕されてから二十一年間の獄中生活を送っている永山被告にとって、これは五度目の判決である。
 事件当時、永山被告は十九歳の少年だった。その少年がわずか一か月足らずの間に、東京、京都、函館、名古屋で警備員やタクシー運転手の計四人を次々とピストルで射殺した。事件は「広域重要一〇八号」に指定され、社会に大きな衝撃と深刻な不安感を与えた。
 被害者を至近距離から狙撃するという殺害の手段、犯行の動機、被害者の人数、遺族の被害感情、社会的影響などを考えると、今回の最高裁判決はまことにやむを得ない判断、と思う。
 ただ、五回にわたる判決は、死刑、無期懲役、差し戻し、死刑、そして再び死刑と変転した。この司法判断の“揺れ”は、ひとりの刑事被告人にとって、あまりにも過酷な経緯ではないだろうか。
 裁判官の独立や三審制という司法の原則は分かる。だが、死刑と無期の間を往復するようなあまりにも隔たりのある判断には、率直にいって、戸惑いを感じる。難しいことだが、国民が安定感を覚える司法判断を強く期待したい。
 この裁判の元の二審判決は「死刑の宣告は、どんな裁判所でも死刑を選択したであろうと判断される事件に限られるべきだ」と、死刑の適用基準を極めて限定的に解釈し、一審の死刑判決を無期懲役に減刑した。この判決については、「事実上の死刑廃止論だ」という見方もあり、死刑の存廃論議が広がった。
 最近の総理府の世論調査によれば、「死刑廃止論」について、一五・七%が賛成、六六・五%が反対という結果が出ている。この傾向は近年変わっていない。廃止論に反対する理由では、「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」「死刑を廃止すれば悪質な犯罪が増える」などという声も多い。
 死刑の犯罪予防効果への期待と国民の正常な応報感情が、このような意見に反映しているのだろう。
 死刑の存廃は、その時代の国民の法意識や正義感などがどうなっているかにかかっている。また、凶悪事件が後を絶たない社会情勢も考慮に入れる必要がある。
 以上の点を考えると、日本における死刑制度の廃止は、まだその時期ではない、と考える。
 一方、死刑の宣告件数は、昭和四十年代前半までと比べると、いまは確実に減少している。犯罪動向の変化にもよるが、裁判官が極刑の適用にあたって、慎重に“物差し”をあてはめているといえる。また、この数年の間に、死刑確定囚の再審無罪判決が相次いだ。死刑の適用が特に慎重でなければならない理由が、そこにもある。
 刑事裁判は国民の信頼の上にある。裁判官は適正な手続きで犯罪事実の有無を認定し、そのうえで国民の正常な法意識をくんだ刑罰を慎重に選ぶ。この姿勢は、死刑の適用にあたっても同じである。
 
 
 
 
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