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1987/03/19 読売新聞朝刊
[社説]「永山判決」で死刑を考える
 
 死刑、無期懲役、差し戻し、そして再び死刑――。いくら三審制とはいえ、ひとりの刑事被告人にとって、あまりにも過酷な裁判経過ではないだろうか。
 さる四十三年秋の「連続射殺事件」の永山則夫被告に対して、東京高裁は十八日、四回目の裁判で再び「死刑」を言い渡した。いまから五年半前、同じ高裁が一審の死刑判決を破棄して無期懲役刑に減刑したが、今度の高裁は「死刑は重過ぎるとはいえない」と別の判断を下した。
 この裁判を通して、死刑制度の存廃論議とともに、死刑に対して裁判官一人ひとりが様々な考え方を持っていることが浮き彫りにされた。
 事件は、当時十九歳の少年だった永山被告がわずか一か月足らずの間に、警備員やタクシー運転手の計四人を次々とピストルで射殺したものである。犯行地も東京、京都、函館、名古屋と移り変わり、被害者を至近距離から狙撃するという手段で、多くの市民に衝撃を与えた。
 犯行の動機、殺害の手段、被害者の数、遺族の感情、社会に及ぼした影響などを考えると、「死刑」という結論には、まことにやむをえない理由があると考える。
 しかし死刑と無期の間を往復した裁判経緯には、「これでよかったのか」とも思う。
 元の二審判決は「死刑の言い渡しは、どんな裁判所でも死刑を選択したであろうと判断される場合に限られるべきだ」と、死刑に対して極めて限定的な適用基準を示し、無期懲役に減刑した。これに対して最高裁は「量刑事情の認定と評価を誤った」と判断し、死刑相当の方向に差し戻した。
 二審判決には、事件の重大さからみて釈然としない向きも多かった。「運用上の死刑廃止論だ」という意見もあった。死刑制度をめぐる世論の動向を意識し、あえて問題提起に踏み切ったという見方もできる。
 わが国における死刑制度の廃止論は、まだ国民の大方の同意をとりつけていないと思う。各種の世論調査によると、国民の六、七割の人がまだ死刑の存置に賛成している。死刑の持つ犯罪の抑止効果と国民の正常な応報感情によるものであろう。身代金目的の誘拐や保険金目的の殺人など“現代の狂気”からも目をそらすわけにはいかない。
 しかし一方で、死刑言い渡し件数は、四十年代半ばからはほぼ一ケタ台に減少している。この傾向は、凶悪事件が減ったというよりも、裁判実務上も死刑の適用基準がより厳しくなったということではないか。また世界の先進国の多くが死刑の廃止に踏み切っているという流れも無視できない。
 さらに改正刑法草案においても、いまの刑法で死刑が定められている罪の数を大幅に減らした。そしてわざわざ「死刑の適用は特に慎重でなければならない」と、明文の規定まで設けている。
 以上のように死刑の適用に対する慎重な姿勢は、裁判実務のうえでも定着していると考える。
 刑事裁判の信頼をより高めるために、死刑が果たす機能を十分意識しつつも、適用にあたっては極めて慎重な姿勢を望む。
 
 
 
 
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