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2001/02/22 毎日新聞朝刊
[社説]脱ダム宣言 地方もできるじゃないか
 
 地方には3割自治という言葉がある。財源の7割は国に依存しているからだ。首根っこを中央に押さえつけられている。地方分権が唱えられるゆえんだ。
 だが、田中康夫長野県知事のダムに頼らず治水、利水を進める「脱ダム宣言」を聞いて思った。地方でも本当にやる気なら相当のことまで実行できるじゃないか、と。
 田中知事は「できるだけコンクリートのダムは造るべきではない」と記者会見で語った。「看過できない負荷を地球環境に与える」ともその理由を述べ、県内の一部ダムの事実上の建設中止を決めた。政治理念に基づいた一つのポリシーだろう。
 ダム建設中止が妥当か、そうでないかをここで個別具体的に論じるつもりはない。中には「田中発言」を聞いて、ダム建設を一律に悪者と決めつける言い方には反発を覚える人もいたはずだ。
 しかし経済環境や産業構造の変化で見直すべきダム事業も多い。時代と懸け離れたものはそれぞれの住民や関係者が判断し、絶えず見直さなければなるまい。
 ただ田中知事の「脱ダム宣言」に私たちが注目するのは、公共事業の「負担」という側面を論議の俎上(そじょう)に載せた点にある。地方に限らず、中央政治もまた「受益」という側面ばかり強調して、その裏側にある負担という問題を正面から取り上げなくなっていたからである。
 いま公共事業が批判にさらされているのは、負担という自治体への大きな負荷が財政面で現実になってきたことでもある。もちろん負担は財政だけに限らない。
 田中知事はダム建設に伴う地球環境への負荷が将来世代への責任という形で「負担」問題を提起した。その点の目新しさにも意義があるのではないか。
 石原慎太郎東京都知事が突如として大銀行に外形標準課税を提案したのは1年前だった。税制としては「筋の悪い課税」(石弘光政府税制調査会会長)と言われたほど、評判は芳しくなかった。私たちはいまも賛同できない税制の一つだ。
 しかし「石原新税」に新鮮さを感じたのは、中央も都道府県自身も財政危機を唱えながら、何もしていなかったという無気力さへの挑戦状と受け取ったからである。
 驚くなかれ、その後、堰(せき)を切ったように外形標準課税への議論が全国的に広まった。大阪府に至っては、東京案を丸のみし府議会が銀行への課税を議決したほどだった。地方の独自課税への動きも「石原新税」が火をつけた観がある。横浜市の日本中央競馬会(JRA)場外馬券売り場への課税構想が波紋を広げるなど新税論議は全国に拡大している。
 1995年、青島幸男東京都知事が就任してあっと驚かせたのは、臨海副都心での世界都市博覧会の中止だった。しかしシュンペーターのいう創造的破壊には程遠かった。その後の政策に継続性がなく一過性の花火に過ぎなかったのだ。
 田中知事の発言が局所的な“地方の反乱”で終わるか、ほかの自治体や中央の政策システムを巻き込んだ“田中革命”に発展するかは議会や関係住民との真摯(しんし)な対話の努力にかかっている。それを誰よりも知っているのは知事自身だろう。日本は長野から変われる、かどうか。
 
 
 
 
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