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第4回 アメリカ艦隊日本遠征記
日本交渉学会会長 藤田 忠氏
 
司会 皆様、大変お待たせいたしました。6月に3回行いました「海・船セミナー2003」は今月9月に最後の3回ということで予定しています。本日お話しいただきますのは、日本交渉学会会長の藤田忠さんです。
 藤田先生は、現在日本交渉学会の会長をされていまして、本日は日米交渉の原点とも言うべきペリー来航の話を、日本までに来る道程をお話ししていただきたいと思います。それでは藤田先生、どうぞお越しください。皆様、拍手でお迎えください。(拍手)
藤田 ただいま紹介にあずかりました藤田でございます。今日は立派な皆さんの前でペリーの話をする機会を与えられまして感謝しています。すでに皆さんは何回も講義を聞いているわけで、私よりも詳しいことと確信しています。
 ペリーが来て150周年です。日本が今日あるきっかけは、やはりペリーが来た結果だと思います。150周年ということで、その間いろいろありました。日本とアメリカの戦争がありました。この戦争のときのおもしろい話がありますが、石原莞爾という陸軍の将軍がいました。満州軍のリーダーです。ご年配の方はよく知っておられると思います。石原莞爾は、最終戦争、最後の戦争は日本とアメリカの戦いであるがまだ早いというのに、東条が戦争するというので喧嘩になりました。東条のほうが上位ですから首を切って、石原莞爾は山形に引っ込み病気になります。
 極東裁判が起き、彼は戦争中戦争に参加していないので問題にならなかった。ところが石原莞爾は、「俺が最大の戦犯と思う。俺を裁判にかけろ」とGHQに申し入れました。彼は病気なので、極東裁判の裁判官が山形まで行ったらしいです。そしてこの裁判官に「こういう事態になったのは、われわれはペリーのまねをしただけだ。最大の戦犯はペリーだからペリーを呼び出して裁判にかけろ」と言ったわけです。そこで裁判官はびっくりして、無罪にしたほうがいいということで、早々と東京に戻ったという話があります。こういうことでも、ペリーが近代日本における大きな仕掛け人であったと思います。
 今日はお手元にレジュメがありますが、有名な『アメリカ艦隊日本遠征記』というのがあります。これを私が大学院の学生と一緒に読みながら、どのように読んだらいいだろうかと書いた本があります。これが『ペリーの対日交渉記』という表題です。『アメリカ艦隊日本遠征記』は、彼がアメリカに帰って国の予算で国が出版したものです。「遠征」というのは、「遠くのほうに出かけていって征伐する」という意味です。私は「遠征」ではなくて、交渉記として考えてみたもので、これを踏まえながらお話ししていきたいと思います。
 まず、このはしがきに「マニフェスト・ディスティニー」という言葉があります。これはすでにご存じのように、いまもってアメリカの基本的な、ものの考え方の原点であろうと思います。「明白な運命」あるいは「明白なる天命」です。要するにアメリカ人には、われわれには天から与えられた命令がある、運命があるということです。この原点は、19世紀の中頃に出たわけです。これがショックを与え、アメリカ人の発想の原点になりました。
 要するにフロンティアスプリット、どんどん未開の西のほうが開発されて、アメリカの領土になっていく。領土拡大、西のほうに成長していくのがわれわれの運命だということで、インディアン殺戮を始め、どんどん太平洋側に出てきた。太平洋側に出るとハワイをやる、フィリピンをやる、日本とも戦わずにはいられないということです。いまのイラクの問題も、みんなこの原点に立っている結果だと思いますが、これは一つ信念としてなされているわけです。
 ここに「Written history as an art of faith」という英語があります。これはアメリカのフロンティアを見出していた歴史学者の言葉です。訳すとすれば「歴史というのは、志ある行為として、信念・信仰をもった行動として書かれるべきである」という意味と解していいのではないかと思います。アメリカはマニュフェスト・ディスティニーという基本的な信念をもって歩いているのだ。その信念の行動として歴史は書かれるのであろうと、私が解釈しています。
 この遠征記は序論から始まります。序論がまた延々とあります。ペリーは利用できる日本に関する300冊という書物をほとんど読破し、序論は日本の歴史について書いてあります。そこでわれわれが初めて知るようなことがたくさんあって、驚いてしまいます。これは驚きです。彼いわく、日本になぜこのような関心を持つようになったかというと、やはりマルコポーロだということです。マルコポーロがアジアに長年滞在し、モンゴルのフビライに遣えて、1295年に帰国し日本について書きました。日本は中国の沿岸からはるかに離れているが、ジパングと言っていた。そこには黄金の塊があるということを書いてヨーロッパ人が非常に関心を持ちだした。日本は金の国ということです。
 いまでも岩手県にとんでもない無限の金山があるようです。これは大変なものです。私の友人の一橋大学の名誉教授はそこの会社の顧問をやっています。この間お会いしましたが、岩手県にあるということです。金の塊で、いくら掘っても無限にあると言うのですから日本経済も大丈夫ではないかと思います。彼は顧問ですが、金の欲しい人は彼を紹介しますから、この会が終わってから申し出ていただければと思います。
 日本は金の国で、金火山などいろいろあります。その金をねらってコロンブスがこれに到達しようとしました。コロンブスはめくらめっぽう海に乗り出したのではない。当時の地球、天文学という科学を踏まえて彼は西に行ったわけです。どう見ても地球は丸いから西に行けば必ず日本に到達するはずである。哲学的にはあとで触れますが、これはベーコンの哲学です。ベーコンの哲学というのは、ものを発見する哲学です。
 その思想でコロンブスは日本に到達しようと思って西に向かいますが、アメリカにぶつかってしまいます。これを日本だと思ったようですが、中間にアメリカがあった。それでコロンブスは日本を発見できなかった。次に「マルコポーロの夢を実現するのはアメリカである」と序文の最初に、ペリーは書いています。コロンブスはアメリカにぶつかり、アメリカこそマルコポーロの夢を実現する存在であるというかたちです。
 それから日本のことを、いろいろ詳しく書いてあります。日本は中国の植民地だったという説があるが、これは誤りであり、その説は否定されるべきだ。それから日本の天皇制について、織田信長や、彼のもっとも鋭敏な部下、勇敢な男は秀吉だとか書いてあります。秀吉を攻めるのは家康で、家康自身が将軍となり太閤豊臣秀吉の息子の運命は秘密のベールに包まれていた。当時、ペリーが来たころは秀吉の一家がどうなったか、一般に知れ渡っていません。太閤の息子の運命は秘密のベールに包まれている。
 その家康がつくった日本政府の組織上には、二つの特徴がある。その特徴は何かというと、一つは封建制であり、もう一つは秘密制度である。秘密探偵、目付の体制である。赤坂見附とかはスパイ、要するに御目付け役です。この封建制度と目付という二つの体制を家康がつくった。
 共産圏もついこの間までそうです。私は何年か前にイスクラ産業というロシアに医療品を輸出している専門商社に頼まれました。彼らに経済や経営を教えないとどうしようもないから学校をつくる。東大はじめいろいろな大学に行ったけれどもだれも協力してくれないという。私はそのころ国際基督教大学にいたのですが、ICUの藤田教授がのるよということで相談にきました。
 鹿島神宮のわきにイスクラビジネススクールというものをつくって、ロシアというよりも旧ソ連邦から経営者、40前後の大手企業の副社長クラスを呼んで教えました。そうすると彼らとともに目付役というか、スパイのような人が一緒に来て、不穏当な発言がないかと、いろいろチェックするのです。その後革命が起きて廃止になりましたが、引率していた向こうの大学の助教授が、「あいつらがいると動きがとれない。会社のランクが突然目付の思わくで左遷されたりする」と言っていました。
 北朝鮮も現在そうだと思いますが、日本でも家康が江戸時代につくりました。封建制度だけでなく、目付の制度をつくっています。彼の日本遠征でも常に目付が出てきて、日本人との交渉は非常にやりにくい、日本人はそのために嘘をつかざるをえないというようなことを書いています。
 そのほか序文のところには、いろいろおもしろいことが書いてあります。宗教についても、特に目の不自由な方に対して日本の宗教は非常に大事にするわけです。盲目の人を大切にする宗教集団として二つあって、一つは蝉丸教団であり、もう一つは景清教団です。これはどういう成り立ちで出てきたかという説明で、いま聞いてもそんなことがあったのかと思うようなことを書いています。
 次に日本の宗教について、儒教など、いろいろ挙げています。また日本の宗教には、紀元50年のころバラモン教の一派が日本に伝来した。これは処女が息子を生み、その息子は人類の罪の償いのために死んだというキリスト教的思想で、これはよく見られる狂信的キリスト教徒の解釈だが、バラモン教の影響がある。日本の天皇という制度はバラモンのカースト制度ではないかという感じもするので、こういう話を聞くとなかなかすごいなという感じがします。そういうことで、この序文を見るだけでも非常に啓発されるところが多々あります。
 こういう民族的なもののほかに日本の技術がどのくらいすごい技術を持っているのかという叙述があります。文物、産物ということがいろいろあり、それを踏まえて準備万端ということで、交渉学では「準備重要性の原理」ということで、交渉にあたっては準備がもっとも大切だということです。最近は日本の交渉も、だいぶ準備するようになりましたが、準備がもっとも重要ということです。
 まさにペリーの序文を見ると、その感が非常にいたします。最近アメリカのハーバード流交渉学術というのがはやっていますが、ハーバードでは全然言っていません。日本の出版社が言っているだけで、ハーバード流交渉学術というのを、みんな聞いたことがあると思いますが、あのようなことを言っているのは日本だけです。ハーバードのロースクールの先生であるフィッシャーという人が書いた本を「ハーバード流交渉術」と言っています。僕はフィッシャーに「ハーバードとどういう関係があるのか」と聞きましたら、全然関係ないということでした。ハーバード本体がこれを知ったら、著作権侵害で大問題になります。







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