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鑑賞の手引き | 能と狂言
1 能の系統
 能は一種の演劇です。演劇といっても、細かに分類すると世界中には何千何百という種類がある。――ちょうど動物や植物に何千何万という種類があるように――「演劇」とは何でしょうか。定義はむずかしいが、つまりは役者の物まねを核として、文学・音楽・舞踊・美術のほか電気や機械などあらゆるものを、いろいろに配合した、きわめて複雑な、そして動的な総合芸術なのです。
 これらのいろいろな要素の配合の仕かた次第で千種万態の演劇が生まれるのです。いま世界中の演劇を見わたしてその形態のうえから分類すると、ざっと次のような四つの基本的な系統があります。
 
(1)動作(科(しぐさ))と言葉(白(せりふ))とを本意とする科白劇――つまり戯曲(劇文学)を主眼とするドラマです。西洋では、これを演劇の正統と見る。新派・新劇がその系統。
(2)舞踊を中心とする舞踊劇――西洋のバレー、歌舞伎などがその典型。
(3)音楽を本位とする楽劇――オペラ・ミュージカル・中国の京劇・人形浄るりなどがこの系統です。
(4)見た目の面白さ、美しさを本位とするスペクタクル劇――この系統は戯曲の筋立てにはかまわず、もっぱら興味本位のレビュー、ショウ、曲芸芝居、サーカスなどの通俗劇。
 以上の系統のうち、能はどれに属するかというと、だいたい謡曲と囃子による楽劇の系統ということができます。しかし大がいの演劇が多かれ少なかれ混血雑種であるように能もドラマ「科白劇」や舞踊劇の要素が少なからず混じっています。ことに能が抱えている狂言は科白劇です。能と狂言は2001年ユネスコの無形文化財世界遺産第一号に指定されました。
 
 世界中の演劇をしばらくおいて、能と狂言との血筋関係を、もう少しくわしく知るために日本演劇の系図を一通り心得て下さい。日本は多種多様の演劇形態を保存している点で世界無類の演劇文化財の宝庫といわれます。これを系図式に示すと次のようになります。能と狂言を、この日本演劇の全体構造の中の大事な一部門・一過程としてとらえると、その特色がよくわかります。
I 民俗芸能[郷士芸能]――祭礼行事としての神楽(かぐら)、田楽(でんがく)、獅子舞風流(ふうりゅう)、念仏、延年(えんねん)、万才(まんざい)、盆踊等々。
II 古典演劇[古典芸能]――それぞれの時代に芸術的にみがきあげられ、立派に様式化されたもの。
(1)雅楽(ががく)と散楽(さんがく)――およそ奈良朝(八世紀)頃からアジア大陸から輸入された楽舞で、中国、満州、朝鮮、インド、西域地方などの種々雑多の芸能で、朝廷や大きな社寺によって保護されてきたもの。これは正楽(雅楽・舞楽)と俗楽とに分れる。両者は対照的な釣合をもって進化してゆきます。
(2)能と狂言――室町時代(十四世紀)に成立した中世演劇。もと俗楽の散楽(猿楽(さるがく))から劇的に進化したもので、本来猿楽の能、猿楽の狂言という両面をもっています。両者は同じ能舞台で、抱き合わされて、悲劇的と喜劇的、楽劇的と科白劇的という対照的な調和をたもって演出されています。
(3)人形浄るり(文楽)と歌舞伎――徳川時代(十七世紀)に成立した近世演劇。ともに猿楽の能と狂言の血統をうけた近世の民衆演劇です。両者はその戯曲や演出法において、密接な相互影響のもとに兄弟のようにともに進化をとげて今日に及んでいます。能・狂言とくらべて見ると興味をひかれます。
III 現代劇――明治以来、西洋のドラマの感化をうけて生まれた新演劇。これを分ければ新派・新劇・軽演劇などとなります。新派は歌舞伎狂言の現代的生まれかわりと見られ、西洋のメロドラマに当たる。新劇は西洋の演劇革新運動の感化をうけて、純粋のドラマを演劇の理想とする。軽演劇は観客の軽い娯楽の要求に応じた卑俗劇で、様式などにとらわれず、自由自在です。
以上見たように、猿楽の能(狂言を含む)は日本演劇の歴史的発展の一つの段階、中世的形態なのです。つまり前には神楽、田楽、舞楽など古代劇の系統をうけて、のちの浄るり劇や歌舞伎狂言に多かれ少なかれ、その系脈をつたえているのです。またこれを演劇進化の一つの過程とみれば、能の謡曲はまだ叙事詩(語り物)風をのこして、劇詩(ドラマ)にまで十分に成熟していないし、狂言にも即興劇風のおもかげをつたえ、戯曲が確立しておりません。しかも能・狂言は、このような中世的な過渡期な状況な状態のままで立派に深刻に様式化されている点が注目に値するのです。
 
 能は一種の演劇だといいましたが、演劇というものは、イ 戯曲 ロ 役者 ハ 舞台 ニ 観客その他によって構成されている。いま能の場合に、その構造を分解してみると、
一、能の戯曲
 能の台本を謡曲という。しかし謡曲は一種の歌謡(叙事詩)に節づけがしてあるだけで、役者の動作(型)や、狂言(アイ)の参加するところは書いてないから、完全な戯曲とはいえません。したがって、戯曲が不具ならば、能はドラマとしては完全でない。別に各曲の型付(動作のメモ)や狂言のテキストがある。謡曲の現行曲は、もっともおもしろく、はでな曲であります。
 まず序曲として「翁(おきな)」という祝儀曲。次に脇能又は初番目(神)といって、神仏の由緒を語る神秘能。次に二番目(男)は、戦死して修羅地獄におちた武士が戦場の有様を語る悲壮な能。次の三番目(女)は美人を主役として恋のあわれなど語る幽玄な能。次の四番目(狂)は物狂いのあわれや、歴史を現在的に脚色した劇的な能。最後の五番目(鬼)は竜神や天狗、獅子の精などがあらわれて、もっともおもしろく、はでな曲であります。
 この五番組の間に狂言(笑劇)を四番はさんで、見物をくつろがせる。かように能と狂言とを抱き合せて、全体としての変化と調和が考えられているのですが、今日では時間の都合で二、三番の略式が、ふつうになりました。
二、能の役者
 能では、俳優(アクター)ばかりでなく、何らかの役目をもって舞台に出るものを、すべて役者といいます。
イ、立ち方――扮装して現れる演技者。すなわち俳優に当るものでシテ(主役)ワキ(相手方)ツレ(従者など)子方(子役)アイ(狂言師の参加)と役割があらかじめ分業になっている。これらの役はみずから謡い、語り、対話し、舞い、動作し、物まねをします。
ロ、地謡(じうたい)――舞台に向って右手の地謡座にすわって、謡曲を同吟するコーラス。立ち方とこもごも謡う説明者(ナレーター)。
ハ、囃子方(はやしかた)――舞台正面の後座に着座。笛・小鼓・大鼓・太鼓の分業になっている。器楽の伴奏者。
ニ、後見(こうけん)――演出の円滑な進行をつかさどる舞台マネージャー。
 
三、能舞台
 能はもと寺社境内や拝殿、もしくは河原などに自由に舞台と桟敷をもうけて演出された。それが今日のような規格のきびしい舞台が定まったのはおそらく桃山時代からで、神社の拝殿建築がモデルになったものと思われます。挿図は江戸時代の正式の舞台図で、今日でもおよそこれにならっています。幾何学的、碁盤目のように平面がきちんと割りふられていて、それぞれの役者の居どころや、動作の目標が規定されています。四本の柱も、ただの建築上のものではなく、それぞれ演技の大事な目じるしなのです。
 橋掛は歌舞伎の花道に当り、役者の通路でもあり、また舞台の延長として大事な演技の場でもあります。白洲は、地面に小石が敷いてあり、もと舞台が見所から独立の屋外にあった名ごりです。なお、能は昔も今も、正式の舞台のみではなく公園や寺社や座敷など随所に舞台をもとめ、薪能は全国的に人気の催しです。
 
能舞台全景
 
能舞台の定式
 
四、能の観客
 雅楽が上代の公卿貴族のために、また歌舞伎と浄るりが近世町人階級のために形成されたのに対して、能と狂言は中世以来の武家大名の趣昧に適応して形成されたものです。およそ演劇は観客の要求によって生まれ、その支持によって生存するものですから、能の制度、能の形態、能の様式を特色づけるものは、何よりも武家大名の生活態度であります。能の観客は営利興行によって集められる民衆ではなく、能役者を抱えてその生活を保障する大名でありました。かように、能が封建時代の武家大名の階級演劇として様式化されたことから下のような特質が生じたのです。
イ、観世(かんぜ)・宝生(ほうしょう)・金春(こんぱる)・金剛(こんごう)・喜多(きた)のシテ方五流をはじめ、ワキ・囃子・狂言にもそれぞれの家元があり、芸道の修行も、伝授も、演出もみなきびしく規制され、ほしいままな自己流を許されない。また、おのおの、その分際を守らなければならないのです。このことは、能を内面的に深刻にしたけれど、新しい発展を妨げました。
ロ、武家大名は、ただの観客としてのみならず、みずから謡曲や囃子や舞を習って舞台に立った。したがって能はそのパトロンのために、上品で素朴な楽劇としてふみ止まり、あえて劇的に発展しようとはしなかったのです。それゆえに、今日でも能は上品なアマチュア演劇として強味を持っています。
ハ、能はもともと貴人を正客として、あとの家臣は陪観者として侍するにすぎないような建前になっています。したがって大勢の見物にはかならずしも適さない。今日、能を大衆のものとするためにはその舞台と演出法をあらためて工夫しなければなりません。
二、能は本来、武家の余興娯楽というよりも、祝祭の式楽として用いられた。したがって今日の観客にとっては息づまるほどの厳粛さと、かたくななほどの格式が守られています。







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