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◆海の貢献賞◆
中嶌 弘之(なかしま ひろゆき)
(昭21.7.25生)
岡山県赤磐郡
 
 大型プロペラの需要増加と共にその生産量は急激に増加し、嘗て経験したことのない大型プロペラの製品化が急務とされる中、研究熱心な中嶌さんは、造型技術・鋳造方案の改善に取り組み、世界で最も大型で翼数・形状の複雑なプロペラの製品化を実現された。
(推薦者 ナカシマプロペラ(株))
 
Mr. Hiroyuki Nakashima
(Born on July 25, 1946)
Akaiwa-gun. Okayama Prefecture
 
 As demand for large propellers increased, production volume increased rapidly and led to an urgent need for commercialization of exceptionally large propellers.
 Mr. Hiroyuki Nakashima, a diligent researcher, worked on improving modeling and casting techniques and succeeded in commercializing the world's largest propellers with an increased number of blades of complex shape.
 Recommended by Nakashima Propeller Co., Ltd.
 
 昭和38年、中嶌さんは岡山市の中島鋳工業(株)に入社し、工場鋳造部門に配属された。同社は創業以来、漁船用小型プロペラを主に製造していたが、第二次大戦後は急成長する日本の造船業界の将来を見すえて製品直径の大型化を進めた。理解力に秀れ、研究熱心な中嶌さんは急速に技能を磨いていった。昭和42年までに同社は大型製品の生産体制を整え、社名をナカシマプロペラ(株)と改めた。その後、プロペラ生産量は急激に増加していった。
 昭和40年代以降の船舶大型化の進展と共にプロペラも急速に大型化し、同社は全く未経験の大型プロペラをしばしば受注した。昭和49年、中嶌さんは社内最大の鋳造5班の班長となった。研究熱心では定評がある中嶌さんには「初めての鋳物は中嶌にやらせろ」が社内の常識となった。昭和45年に直径6.5mが最大であった同社のプロペラ製造能力は年と共に大型化し、現在では10mを超える世界最大の製品も製造可能となった。また、設計技術の進歩とともにプロペラの翼数は4枚から7枚へと増え、形状も先端が薙刀のように反り返った形状の物も出てきた。
 こうした複雑な形状は理論的には以前から考えられていたが、製品化を可能にしたのは、造型技術・鋳造方案の改善に取り組んだ中嶌さんの力によるところが大きかった。
 
 
受賞の言葉
 40年この仕事一筋に携わって来れたことは、会社や同僚の力によるもので全員で頂いた賞と思い喜びを分かち合いたいと思います。これが私の天職と思いこれからも前向きに会社、社会の為に邁進して行きたいと思っております。
 
 
 







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