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故. カルロ・ウルバニ
(享年46)
イタリア
 
 ベトナム・ハノイの病院で一人の入院患者の不審な症状を診断、分析した結果、世界で始めてSARSと特定してその危険を警告し、自らの危険を顧みず感染防止体制の強化に努めたが、1ヶ月後の2003年3月29日、SARSのためバンコックの病院で亡くなられた。
(推薦者 社会貢献支援財団 事務局)
 
The late Dr. Carlo Urbani
(Died at the age of 46)
Italy
 
 In a hospital in Hanoi, Vietnam, the late Dr. Carlo Urbani diagnosed a patient with suspicious symptoms, analyzed the data and identified it as SARS for the first time in the world. He warned of the dangers and endeavored to strengthen the system to prevent transmission, regardless of the risk to himself. One month later, on March 29, 2003, he died of SARS in a hospital in Bangkok.
 Recommended by the Secretariat of the Foundation for Encouragement of Social Contribution (FESCO)
 
 WHOの伝染病専門医であるウルバニ博士が、家禽流感の疑いでハノイのベトナム・フランス病院に2日前に入院した中国系米人J・チェンを診察したのは、2003年2月28日のことだった。博士はこの小さな病院が何か異常事態に直面していると判断し、同病院で数日間、発見事項の整理、サンプルの試験所送付、感染防止体制の強化などを行った。その結果、博士はこの病気がこれまでにない種類の重症急性呼吸器症侯群(Severe Acute Respiratory Syndrome)であるとの結論に達した。
 博士は現在SARSを特定した最初のWHO医師として広く認められている。
 病院で人々が不安を募らせる中、博士は病院内に隔離病棟を設けて監視を続け、スタッフを元気づけ、SARSが極めて伝染力の強い悪性の感染症であることが分かるにつれて高まる職員の恐怖を鎮めることに努めた。博士の危険を気遣う家族に対して、「こうした状況で私が働かなかったら、一体私は何のためにここにいるのか。Eメールの返事を書き、カクテルパーティーに出席し、論文を書くためか」と答えた。3月11日、博士は自らがSARSに冒されたことを知り、チェンを初めて診察した約1ヶ月後、バンコックの病院で妻と3人の子供を残して亡くなった。
 博士が危険を冒してSARSを早期発見したことにより、世界的な監視気運が高まり、多くの患者が発見・隔離されることとなった。
 
 
 
 
岩谷 太樹(いわや たいき)
(昭52.7.23生)
東京都中野区
 
 平成14年12月15日午前4時40分頃、中野区弥生町の路上を歩いて帰宅する途中、暗闇の中で不審な男が止めてあったオートバイに放火するのを見つけ、150メートルにわたって追跡し、格闘の末、男に刺され重体となった。
(推薦者 社会貢献支援財団 事務局)
 
Mr. Taiki Iwaya
(Born on July 23, 1977)
Nakano-ku. Tokyo
 
 Around 4:40 a.m. on December 15, 2002, Mr. Taiki Iwaya was walking home in Yayoicho, Nakano Ward, when he saw a suspicious man set fire to a parked motorcycle. The awardee chased the man for 150 meters, struggled with him, but was stabbed and seriously wounded.
 Recommended by the Secretariat of the FESCO
 
 平成14年12月15日午前4時40分頃、東京都中野区弥生町の路上を歩いて帰宅途中の会社員岩谷太樹さんは、暗闇で不審な男が、停めてあったオートバイに放火するのを見つけ、約150メートルにわたって追跡、格闘の末、男に刺され重体となった。現場付近では、昨年12月から放火と見られる不審火やタイヤが切り裂かれる事件が相次いで発生し、警察がパトロールを強化していた矢先だった。近くをジョギング中の男性は、岩谷さんが男の胸ぐらをつかみ、言い合っているのを目撃した。近くのオートバイのシートからは煙が出ていたという。また、近くに住む別の男性は、「誰か、誰か」と駆けながら叫ぶ声を聞き、外を見ると岩谷さんと男が激しくもみ合い、男が岩谷さんに馬乗りになって居るのを見て110番に通報。中野署員が駆けつけた時には、男は既に逃げ去り、岩谷さんが首や腹など数カ所から血を流して倒れ、「放火魔、放火魔」と絞り出すような声で警察官に告げた後、意識不明に陥り、救急車で病院に運ばれたが重体となった。
 平成15年1月14日、窃盗容疑で逮捕されていた無職の男が本件の犯行を自供した。男は「執行猶予中に放火を見とがめられ、刺してでも逃げようと思った」と供述。岩谷さんは一時意識不明の重体に陥ったが、その後快復した。
 
 
受賞の言葉
 事件の被害にあい、幸いにも命を取りとめる事ができました。この命は、色々な人に支えられ生きていると改めて実感した出来事でした。様々な事に感謝のこころを忘れずに生きて行こうと思います。
 
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