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第3章 オランダ安楽死法運用上の問題点
 以下においては、オランダ法務省・保健福祉スポーツ省が作成した安楽死法に関する「Q & A」を参考にしつつ、同法運用上の問題点を検討してみよう。
 
 オランダにおいては、安楽死とは、患者の要請によって医師がその患者の生命を終結させること、すなわち「積極的安楽死」のことであると理解されており、治療を中止することによって生命を短縮する「消極的安楽死」や、苦痛除去のため強い鎮静剤の投与量を引き上げる場合のように、当該医療措置が不可避的に生命の短縮を惹起する「間接的安楽死」は、通常の医療行為の一環として安楽死扱いにしていない。
 高齢者の人口が増え、延命治療が大きな発達を遂げるに伴い、患者の中には、耐え難い苦痛からの脱却、生存能力の低下、尊厳死への希望等から安楽死を求める者が生じ、オランダに限らず、他の国々でも、医師たちはますます頻繁に「生命の終結」への対処に直面するようになった。かかる状況にあって、わが国では、安楽死を今もってタブー視し、これに蓋(フタ)をし、隠蔽しようとするが、オランダでは、安楽死が実際に行われているという事実に対し、見て見ぬふりをするという態度をとらない。1990年には、国家レベルで、安楽死を含めた末期医療の実態調査を、全国にわたり、広範かつ徹底した調査をし、その調査結果は国会に送付するとともに、一般に公開した。その後、1996年、2001年にも同様の調査をした。このように、オランダでは、問題をオープンにし、安楽死行為(患者の要請によって行われる生命の終結および自殺幇助)の刑事責任に制限を設けるかどうか、その場合の基準は何かということにつき、過去20年間にわたって、国民的議論の場に乗せ、一般的な討論を広く行ってきた。そして、当初は判例法により、一定の要件を備えた安楽死行為が事実上合法扱いされ、2001年、遂に、他の諸国に先駆けて法律上合法とするに至ったのである。
 
 前述したように、日本ではまだ、安楽死がタブー視されているが、オランダでは、20年も前からこれを容認する傾向にあった。その医療社会学的原因で、オランダ特有のものとしては、次のような点があげられよう。
 その第一は、ホーム・ドクター制度である。
 オランダの医師は一般医と専門医に大別される。前者をホーム・ドクターという。ホーム・ドクターはすべての地方に定住し、自宅またはヘルスセンターで仕事をしている。市民はホーム・ドクターを自由に選んで登録し、傷病が発生すると、まずホーム・ドクターの診察を受け、必要があればホーム・ドクターの判断により専門医に紹介される。患者とホーム・ドクターとの関係は長年にわたって継続されるので強い信頼関係にある。安楽死を望む患者は、その信頼関係を基礎にして、自分を熟知してくれているホーム・ドクターとじっくり話し合って決定し、ホーム・ドクターはそれに基づいて安楽死を実行する。したがって、安楽死を実施するのは専門医よりもホーム・ドクターの方が圧倒的に多い。専門医とは患者の56パーセントが年平均2.8回接触するにすぎないのに対し、65歳以上の患者の85.5パーセントが1年に平均5.7回ホーム・ドクターと接触している。その結果、多くの患者は、専門医のいる病院でなく、自宅かナーシング・ホーム2で、ホーム・ドクターと家族にみとられつつ臨終を迎えている。このように、オランダの安楽死はホーム・ドクターと患者との間の深い信頼関係をベースにしているから、かつてのナチス・ドイツがとった民族浄化政策などとは全く無縁なものである。
 第二は、インフォームド・コンセントが徹底していることである。
 オランダの医師は患者に対し、病名、病状、治療方法、治療の効果、回復の可能性、死期等に関する正確な情報を全て告知する。患者はそのうえで安楽死をするか否かの意思決定をする。患者は死を宣告されたときいろいろなショックや不安を覚えるが、安楽死はその一つである「苦しみながら死ぬ」という恐怖からだけは開放してやることができ、それだけに「生きる」ことに前向きになりやすい。
 第三は、医療保険制度が整備されていることである。
 アメリカの医療関係者からオランダのそれに向けてよく出る質問は「患者が経済的負担に耐えられずに安楽死を求める場合はどうするか」というものである。これはアメリカとオランダの医療制度の違いを象徴する質問である。アメリカでは医療保険に加入していない人が多いが、オランダでは、失業者・年金生活者を含むすべての納税者が一般医療保険および長期医療経費をカバーする特別医療保険に加入し、病気治療はそれによってまかなわれている。経済的な理由で治療が停止されることはないのみならず、患者は予算を無視して治療を受ける法律上の権利を有している。経済的負担についての不安がないからこそ、「自分の考える人生の質」を基準にして安楽死を実施するか否かを決めることができるのである。
 
 しかし、この点の関連において、オランダの安楽死法は、生きる権利を保証する国際条約に反しないかの問題がある。すなわち、国連の「市民及び政治的権利に関する国際規約(ICCPR)」第6条や「ヨーロッパ人権規約(ECHR)」第2条は、国民が政府や個人に生命を脅かされることなく生きる権利を保証することを国家の責任としている。しかし、これらの国際規約は、改善の見込みがない耐え難い苦痛を長引かせることを意図するものではなく、人間が生きる権利を脅かすものから個人を守ろうというものである。そのような不穏な脅威が何であるのかは条文上明らかにされていない。各調印国は、それぞれの法体系内で、広義の解釈が可能なこれらの規定をかなり自由に解釈する自由を持っている。少なくとも、患者の自発的な要請に応えて行う安楽死は、上記条項に規定された意味での意図的な生命の奪取には当たらない。国家は、自分が生きる価値があるかどうかという個人の決定には介入しないのである。
 
 改正法の国家審議の過程では、安楽死・自殺幇助は本来違法であるのに、地方審査委員会の審査が捜査に先行し、同委員会の判断により基準違反とされたケースだけが検察官の対象になるというシステムは、検察官の捜査権限を後退させるものであるとの批判や、かかる委員会を設けるのであるのなら、事後ではなく、事前に審査する仕組みにすべきであるという批判も出たが、安楽死を犯罪視しないことを基本とし、事前の患者への保護措置としては、担当医とは別の、中立の医師による診察・意見聴取によって担保できるとして、原案どおり可決成立した。
 
 オランダでは、医師は必ず患者の安楽死の要望を聞き入れるのであろうか。
 そうではない。医師は患者から安楽死の要請があっても、まず“生き抜く”ことを説得する。現に、医師に告げられる安楽死の要望のうち三分の二は拒否されている。治療によって症状が軽減することもあり、是非を決する前に病状が末期に進行してしまう場合もある。
 そもそも、医師には、安楽死の要請に応じる義務はない。多くの患者は、医師に安楽死を実施する用意があること、最終的に自然な死が待っていることを知るだけで、かなり安心するものであるといわれている。もし、医師に安楽死や自殺幇助への要請を拒否できないとすれば、医師の良心の自由が保証されないことになる。患者は安楽死する絶対的な権利をもつことはなく、医師は安楽死を実行する絶対的な義務を負うことはないというのが、安楽死合法化の前提である。
 担当医は、患者の安楽死の要望に応ずることを決定する前に、自分とも当該患者の治療ともかかわりのない同僚医師の意見を求めなければならない。そして、この中立の医師は、単に担当医から話を聞くだけでなく、直接患者に会い、病状の進行を見て、安楽死の要望が自発的でかつ熟慮されたものであるかを検討し、担当医に書面で意見を伝えなければならない。
 オランダでは、末期医療に関する決定に直面する医師を援助するため、訓練を受けた一般医のネットワークが設立されている(SCENプロジェクト)。安楽死を要請された医師は、このネットワークに属する医師に相談することが多く、政府もそれを推奨している。
 安楽死の合法要件の一つである「耐え難い苦痛にさいなまれ、改善の見込みがない」の有無を客観的に判断するのは困難である。こういう点の判断こそ、複数の医師の意見が重視されるべきであろう。とりわけ、患者が「心」の病気に罹っており、その苦痛が主として身体的なものでなく、精神的なものである場合は、安楽死の要請が自発的で熟考のうえのものであるか否かを客観的に判断するのは困難である。そのような場合、担当医は、一名でなく二名以上の中立専門家の意見を求めるべきで、そのうち少なくとも一名は精神科医であるべきである。かかるケースについては、地方審査委員会もより慎重に対処し、疑念があれば、検察庁に通報してその判断を受けるという姿勢をとるべきであろう。1994年の「シャボット事件」3、2000年の「ボンガスマ事件」4のような、単に精神的症状のみがある患者や、精神的疾病すらなく、ただ生きる望みを失ったにすぎない者に関する事件については、検察官も起訴して裁判所の司法判断を受けるべきであろう。注意義務基準は法定されたものの、その中身は事例の集積によって決定していくほかないからである。
 
 オランダでは、秀れた鎮痛医療・末期医療が受けられるのに、患者は何故安楽死を望むのであろうか。
 たしかに、オランダでは、すべての人が世界でトップクラスの鎮痛医療・末期医療を受けられ、しかも、前述したように、すべて保険でカバーされていて、経済的理由で良質の治療が受けられないということはない。しかし、最高度の医療を受けている患者でも、その苦痛に耐え難く、担当医師に生命を絶ってほしいという懇願することがある。そのような場合に、安楽死は尊厳ある究極の緩和医療と位置づけられるのである。
 書面による意思表示(指示)(リビング・ウィル)は口頭要請と同様の効力をもつか。
 安楽死法は、リビング・ウィルも安楽死の要請として有効であると規定している。リビング・ウィルによる確認は、患者が口頭で意思表示をすることができなくなった状況で、医師が安楽死の要請に応じる場面にとくに重要となる。そのような場合、リビング・ウィルは熟考の末の安楽死要請であるとされるが、これは決して、法定の注意義務基準に照らしたうえで要請に対し自分自身の決定を下すという医師の責任を解くものではない。
 このリビング・ウィルについての規定によって、患者は、その後に回復の見込みなく、耐え難い苦痛にさいなまれ、しかも自分の希望を表明できないような状態に陥ったときは生命を終結させたいという願いを事前に示しておくことが可能になった。しかし、事前にリビング・ウィルの書面を作成せず、自分の希望を決定できない、あるいは表明できない患者の場合はどうするか。この法律は、要請による生命の終結のみに適応されるものであるため、そのような患者には適法な安楽死を実施することはできない。オランダにおいても、この点は今後の立法課題とされている。
 未成年者でも安楽死を要請できるか。
 同法には、未成年者からの生命終結の要請および自殺補助について特別の規定を設けている。12歳から15歳までの子どもにも安楽死要請の資格が認められているが、この場合には、安楽死に対する親権者の同意が必要である(法案の段階では、親権者の同意を要しない場合があるような条文になっていたが、国会で可決・成立した改正法上は親権者の同意を絶対的要件にしている。)。16歳・17歳の子どもについては、そのような意思決定を自分で行うことが許されるが、必ず親権者を交えて話し合うことが要求される。もちろん、医師は、患者の苦痛が耐え難いものであり、改善の見込みがないこと等、患者本人の要請以外の基準に合致しているかどうかを、厳重に確認しなければならない。
 
 オランダ以外の国の人がオランダで合法的な安楽死をすることができるのか。
 例えば、日本では安楽死は違法であるため患者が安楽死を求めても医師がこれに応じないので、安楽死を希求する人がこれを合法視するオランダを訪れるということがありうるかという問題である。現に、1993年、オランダ国会が、当時の埋葬・火葬法の一部(第10条)を改正したとき、前述したように、マス・メディアが安楽死を合法化する法律が制定されたかのような報道の仕方をしたため、世界中に衝撃が走ったが、日本では、一方で、「オランダはこわい国、うっかり入院もできない」との声が生ずるとともに、他方で、安楽死を求める人の間で、「オランダへ安楽死ツアーをしよう」ということが囁かれた。
 しかし、これは全くの誤解であって、外国の旅行者がオランダに来て安楽死を実施するということは不可能である。患者は自発的に熟考のうえで要請を出し、さらに改善の見込みのない耐え難い苦痛にさいなまれているという条件が不可欠であり、条件に該当するか否かを決定するためには、医師は患者をよく知っていなくてはならないからである。それには、医師は相当の期間にわたり、患者の治療に当たっていることが前提となる。
 また、医師は、安楽死の要請を受けることで、精神的に非常な重荷を背負うので、医師がこの問題に軽々しくアプローチすることはない。この意味で、医師と患者の間の長期にわたる入間関係が重要な役割を果たす。前述したように、オランダにおける安楽死の大部分が一般医すなわちホーム・ドクターによって実施されるのは、長年にわたって継続される患者とホーム・ドクターとの人間関係、それによって形成される両者の間の深い信頼関係をベースにしているからである。したがって、オランダにおける安楽死は、民族浄化と無関係であるとともに、安楽死ツーリズムなどとも全く無縁なものである。
 

2 アメリカでは、公立病院よりも小規模で、金持ちの人が入院する家庭的な私立病院のことをいうが、オランダでは、病院で治療を受ける必要がないが、身体障害や痴呆症等のためケアを必要とする要介護高齢者や重度心身障害者当を受け入れる福祉施設をいう。本稿では、「ナーシング・ホーム」とカタ仮名の表記を用いた。
 
3 肉体的疾病がなく、ただ精神的疾病のみがある女性患者につき、オランダ最高裁は1994年6月、自殺幇助を適法視することができる場合があることを判示した(当該事件自体は、担当医(シャボット)以外の医師の診察が欠如していることを理由に有罪)。
 
4 肉体的疾病はおろか、精神的疾病すらなく、ただ生きる望みを失った男性につき、ハーレム地裁は2000年10月、担当医(ボンガスマ)の自殺幇助行為を適法視した。







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