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道路の「根本問題」とは
 では、今日のタイトルとなっている「道路公団総裁問題」です。藤井治芳さんの話ですが、もともとは石原大臣が更迭をしようとして、藤井さんもいったんは辞任を了承しながら、そのあとギクシャクが続いています。
 道路問題なら私は道路審議会の委員を二〇年ぐらいやっていました。その前に「全国総合開発計画」というのがあり、私は経済企画庁時代に文書を起案したこともあって、その後、道路・鉄道・航空・港湾・住宅・都市に関しては、研究会や審議会に加わってきました。そのころからの友人・知人が運輸省とか建設省にたくさんいます。自分の意見もあるし、関係者の雰囲気もわかります。
 この問題を考えるにあたって、データはいくらでもあるのです。統計集とか、いきさつを書いた資料はたくさんあって、私の家にももらったまま放り込んだきりのがいくつもあります。しかし、今日はそんなデータには触れません。思い出話のほうが血が通っている。忘れたものは価値がないから忘れたのであって、―これは私が言ったせりふではなく、宮崎市定という人です。京都大学の教授で、岩波書店から上下二巻の『中国史』という本を出しています。その巻頭に、「私はこの二冊を書くのに当たって、一度も自分の書庫へ行ったことはない。すべて覚えていることだけで、この『中国史』上下二巻を書いた。忘れたことは価値がないから忘れているのである」と書いている。
 いや、すごい人がいるな、嘘でもそれくらい一度言ってみたいなと思っていたので、今言ってみたのです(笑)。
 さて、日本の道路づくり何十年かの歩みの端っこにずっといた経験で言えば、藤井さんの気持ちも少しはわかる。しかし、それは話が古い。それから納税者の気持ちが出てこないのは今や間違ったことですね。私は納税者の気持ちから、この問題を言いたい。
 何が「根本問題」かというとまず道路はつくり過ぎた。つくり過ぎでないという抵抗派があったのは、十年かかって今ようやく消えました。かつて私が「道路はつくり過ぎだ」と言ったときは、いやいや、国家の根本事業であるとか、公共投資とはそういうものだとか言う人がたくさんいたが、しかし、今はすっかりなくなりました。隔世の感があります。
 とはいえ、「まだ、もうちょっとはつくらせろ」と言っている。そこで言い方としては、あと二二〇〇キロはもう計画にのっているではないかと言う。長期計画七七〇〇キロのうち五五〇〇ぐらいまではもうつくったが、「残り二二〇〇キロだけは国民に対する公約であるから、これをつくり終わったらやめにしよう」と言う人はまだいる。これが小泉さんに対する抵抗派、族議員の人たちです。
 しかし長年見てきた私からすれば、ずいぶん話が小さくなったなと思いますね。あと二二〇〇キロでもうやめますと言っているのですから、ああ、やはりもとの日本人に戻ってくれたなというのが、まず第一の感想です。
 昔は一万一〇〇〇キロつくろうと言っていたんです。日本国土の背骨だとか何とか言っていた。それどころか、国土軸として韓国やアジアにも延ばそうと言う人がいた。現に佐渡島への船の航路は道路予算でできています。今はそこまでやろうとは誰も言わない。
 というのは世の中が変わったからです。これは世論が勝っている。
 しかしまだ抵抗する人はいて、「儲かる道路ならつくってもいいではないか」と言う。儲かるとは要するに利用があるところですね。
 やっとこういう議論になったところです。私は昔から言っていたので感無量です(笑)。先行投資で道路をつくるのはもうやめてくれ、とオイルショックのころから言っていました。先行投資理論というのがありまして、先に道路をつくっておけば、今にトラックが増えると言った。乗用車が増えるとは言わないんです(笑)。乗用車が増えるのは観光や遊びだから、そんなことに税金を使ってつくることはないという「慎み」がありました。だから今にトラックが増えると言っていたのですが、しかし増えない。いつまでたつてもタヌキしか通っていない(笑)。
 私が言っていたのは、東京、大阪といった大都市周辺は渋滞しているのだから、先行投資でなく「後追い投資」、渋滞解消道路はどんどんやりなさいということでした。
 「東京、大阪は過大だと言うが、そんなことはない、その証拠に東京に毎年一兆円ずつ公共事業をつぎ込んでみろ」と昔から言っていた。そうすれば過密は解消する。東京は世界最高の住み心地のいい都市になりますよ、と。これはすぐ利用者があって、すぐ回収できる投資です。
 「回収できる投資で過密が解消できるのなら、それは過大ではない」とは私が四〇年前に書いた論文です(思い出話のついでに言えば、東大からこの論文に博士をあげると言われましたが、辞退いたしました)。
 しかし「回収できる」という話をお役所の人は嫌がるんです。回収できるなら、それはいずれ民営化になってしまいますから。自分がやるためには、赤字だと言ったほうがぐあいがいいのです。国家的に必要だと言いたいのです。だから赤字でもやる、自分がやる、と、これをもう三〇年も四〇年も続けてきた。
 では「国家的に必要だとは何か」「そこをもっとはっきり言え」と聞くと、それが今や言えなくなった。昔は言えたんですよ。日本国家の基盤がほんとうに何もないから、少しはつくろうだった。それから、日本経済発展の道は鉄、石油、コンビナート。そのためには鉄を運ぶ、石炭を運ぶ、何とかを運ぶには鉄道も要る、道路も要る、港も整備しなければいけない。それは当分赤字でもつくらねばならぬ。
 ということで、堂々と国家的必要性をおっしゃったが、いつのころからか言えなくなった。なぜ言えないか。それは日本国家の将来産業構造を議論すると、要らないということになってしまうからです。そんな重量物を運ばなくてもよくなったし、どうしても運ぶと、いうのなら船で十分になった。結局はマイカーばかり走りまくる。しかし、観光道路をつくっているんだとは言えない。それは公共性が主張できないと考えていた。私は都市道路・生活道路をつくる方が急務だと言ったが、ダメだった。それを言うと地方につくれなくなるからです。
 「だからあのとき、言ったでしょう」と言いたくなります。一生懸命働いた国民が土日にドライブして地方へ遊びに走るのは立派なことだ、そう言えばいいんだと主張したのですが、なかなか聞いてもらえなかった恨みを今頃ここで晴らしております(笑)。







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