日本財団 図書館


日本ナショナルトラスト報 2004年2月号
Japan National Trust Magazine Feb 2004
 
特集 クラクフ市のユダヤ人居住区とアウシュヴィッツ
大河 直躬 千葉大学名誉教授
「負の遺産」と「恥辱の博物館」
 世界遺産のリストには、法隆寺、ギリシャのアテネのアクロポリス、フランスのシャルトル大聖堂、スペインの古都トレド等の、優れた文化的伝統や文明を伝える建造物・遺跡が多数含まれています。しかし、それらと性格が異なる広島の原爆ドームや、ポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所などの例も、少数ですが載っています。
 後者は、人類の優れた業績を伝える他の文化遺産と異なって、戦争・圧制・民族差別等による残虐行為を伝えることから「負の遺産」(negative heritage)と呼ばれることがあります。博物館にもそれと同じ性格の遺物展示を行うものがあり、museum of shame(恥辱の博物館)と呼んだりします。カンボジアのプノン・ペンにあるポル・ポト政権の残虐行為を伝えるツール・スレーン博物館はその代表例でしよう。
 20世紀の歴史を振り返ると、あまりにも多くの惨劇が戦争・民族紛争等によって生みだされたことを認めざるをえません。それらの遺産の保存にどう取り組むべきか、日本の内と外の双方の場合を含んで、われわれの今後の大きな課題です。その参考として、昨年訪れたポーランドのクラクフ市のユダヤ人居住区とアウシュヴィッツ強制収容所についての感想を記します。
 
クラクフのユダヤ人居住区
 ポーランド南部にあるクラクフは、14世紀から16世紀にかけて、ポーランド王国の首都として栄えた古都です。ビスワ川に臨む丘の上の旧市街は中世以来の姿をよく残し、世界遺産に登録されています。
 ユダヤ人居住区があるカジミエーシュ地区は、旧市街から東南へ7百メートル程隔たった場所にあります。元はビスワ川の支流がクラクフ市街との境界をなす独立した都市で、14世紀に創立されました。
 
クラクフ市のカジミエーシュ地区の
広場と観光ツアーの人びと
 
 カジミエーシュは商業都市として繁栄しましたが、オーストリアによる併合後、1800年にクラクフの一部になりました。
 13世紀からクラクフに住んでいたユダヤ人は、15世紀末期の大火の後、カジミエーシュへの移住を命ぜられ、その東の市壁のすぐ内側の地域に住み着きました。
 ここが現在も多くのユダヤ人が住む地区で、7つのシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)、墓地、広場、市場、ユダヤ文化センター等があります。第二次大戦前の中欧には、ワルシャワ、プラハ、ブタペスト等の多くの都市にユダヤ人居住区がありましたが、現在でもユダヤ人が多く居住して、独特の雰囲気を伝えるのはここだけでしょう。
 そのために世界各地からここを訪れるユダヤ人の旅行者が多く、ツアーも組まれています。ガイドの説明を立ち聞きしていると、広場に面した現在修理中の建物は、ピアニストのアーサー・ルビンスタインが生まれ、5歳で米国に移住するまで住んだ家であるとか、広場の上手の草地は結婚式の後に新婚夫婦が誓約をした場所である、というような話が聞けました。文化センターの地下の骨董店や、豊富な食料品を並べる市場広場も興味深い場所でした。
 
ゲットーと「シンドラーのリスト」
 カジミエーシュを訪ねる旅行者が多いのは、この地区に隣接して設けられたゲットーと強制収容所でのユダヤ人の迫害と殺戮を描いた、スティーブン・スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」(1993年)の大きな反響によるのでしょう。
 第二次大戦前のクラクフには、6万4千人以上のユダヤ人が住み、市の人口の約4分の一を占めていました。1939年9月のドイツ軍によるポーランド占領後、クラクフにその総司令部が置かれ、近隣のユダヤ人の登録と迫害が始まり、1941年3月から5月にかけて、クラクフと周辺のユダヤ人はゲットーへの移住を強制されました。ゲットーが設けられた場所は、カジミエーシュの東南のビスワ川対岸の郊外住宅地で、周囲をすべて煉瓦壁で囲み、四箇所の門と、監視所等がありました。
 さらに1943年3月にゲットーを解消し、その南に建設された強制収容所への移住が行われました。労働に耐える4千人が収容所へ、2千人はアウシュヴィッツへ送られ、千人はゲットーで射殺されました。
 オスカー・シンドラーはチェコ生まれのドイツ人で、1939年9月にクラクフに来て軍隊用琺瑯食器の工場の監督者になり、ゲットーや強制収容所のユダヤ人を工場に雇います。戦線が近づいた1944年半ばに、チェコのブリュンリッツに砲弾工場の設立を計画して、強制収容所から千人のユダヤ人の移送を図ります。その選抜リストが「シンドラーのリスト」です。
 
カジミエーシュのオールド・シナゴーグ
−この地区で最も古いシナゴーグで、
資料館にもなっている
 
 ゲットーと強制収容所の跡には当時を物語る建物等は少なく、前者には周壁の一部や薬局の建物、後者にも若干の建物と記念碑が立つのみです。映画の強制収容所はオーストリアに建てられたセットです。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION