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■まれびとの来訪■
 最後に、念仏踊りの主役である太鼓を打ち簓を摺る若者たちのあの異様な扮装について考察してみよう。和合の念仏踊りの太鼓・ささら・ひっちき・鉦の役の者は裸足で「いわぎ」と呼ばれる筒袖の半襦袢を着て、縁に白い垂(しで)をいくつも長く垂らした菅笠を被っている。(図(7)参照)その扮装を異様にしているのはこの垂のついた笠で、これによって顔が隠されて演者は一種の亡霊のように見える。この姿は何を意味しているのであろうか。
 
図(7)和合
念仏踊りの「ささら」と「ひっちき」
 
 結論から先に言ってしまえば、これは若者が盆に訪れる神ないし精霊自体に扮しているのである。念仏衆あるいは田楽衆がこのような扮装をするものを試みに拾ってみると、愛知県渥見郡谷ノ口の念仏踊り、同県北設楽郡古戸の念仏踊り、同郡川宇連の掛け踊り、兵庫県上鴨川住吉神社の田楽(図(8))、隠岐島美田八幡神社の田楽などがあり決してめずらしくはない。つまりこれらの例を多く集めてみると、念仏踊りや田楽の楽器は、訪れる神ないし精霊がこれを奏するものであることがわかる。そしてそう考えれば、念仏踊りや田楽が行列をなして家々の庭に練り込んでゆく形熊をとっている理由も理解できる。彼等は、盆という大きな節目の時期に、村と村内の家々の荒ぶる魂を鎮め村人を祝福するために来訪した「まれびと」の役目を演じているのである。
 
図(8)上鴨川住吉神社の田楽
[渡辺良正撮影]
 
 韓国には、村の若者が正月から小正月にかけて、韓国の田楽とも言える農楽を奏しながら村の悪霊を払い、家々を祝福して歩く「地神踏み(ジシンパプキ)」という行事がある。(図(9)参照)彼等は村の裏山などにある城隍堂(ソナンダン)で神を迎えたあと、花笠を被り、鉦・銅鑼・杖鼓・太鼓・小太鼓を打ち鳴らしながら家々を廻る。家の庭では円陣を組み、楽器を激しく叩いて舞い狂う。彼等が神を担う集団であることは、その扮装とともに、行列の先頭に城隍竿(ソナンテ)という幟を立てて移動していることからもわかる。この竿は城隍神の「よりしろ」と言えるものである。
 
図(9)韓国蝟島
正月行事で村内を廻る農楽隊
 
 和合の念仏踊りにおいて、この城隍竿に相当するものは灯籠と旗であろう。また、この念仏踊りが十三日の熊野神社での踊りから始まり、十六日の熊野神社での踊りで終わることは、農楽が基本的に城隍堂で始まり城隍堂に城隍竿を納めて終わることと対照して見ることができる。盆と正月という来訪の時期の違いはあるものの、念仏踊りも韓国の農楽も、特定の期間に人の世にやって来た神の集団の楽であることに差異はないのである。
・・・〈慶應義塾高等学校教諭〉
 

注(1)五来重『踊り念仏』平凡社 一九九八年 参照
注(2)『三国遺事』巻四 義解 第五 元曉不羈条 参照
注(3)梁在淵「無小考」『国文学研究散稿』日新社 一九七六年 参照
注(4)新井恒易『日本の祭りと芸能』ぎょうせい 一九九〇年 参照







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