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 木製帆船は今なお、「伝統的海運」と呼ばれるインドネシアの島嶼間海運では重要な役割を果たしています。その数は減ってきていますが、未だに2,500隻を超え、その合計総トン数は300万を超えます。この種の船が主要な島、無数の小島を結んでおります。これら伝統的な船は建造地域によって4種類に分かれ、それぞれフィニシ、ランボ、ナデ、レティーと呼ばれています。トン数は大型のものになると500GTにも及びます。
 
 
 ここで近代的な造船に目を移してみましょう。
 1945年の独立達成後、インドネシアは近代的造船所の建設に取り掛かりました。
 1951年にカリヤ造船所がジャカルタに開設され、500DWT以下の鋼船建造を開始しました。これはインドネシア造船史において画期的な出来事でした。
 1950-55年の間に多数のインドネシア留学生がヨーロッパや日本に送られて、近代的な造船技術や造機技術を学びました。この人々がインドネシア造船業のバックボーンをなしてきました。
 1960年にインドネシア政府は造船所も含めオランダ企業を全て接収し、国営企業としました。これらの造船所はその後近代化され、新造船を可能にするための設備が付加されました。対象となったのは以下の企業です。
Dok Tanjung Priok、ジャカルタ(1889年創業)
Dok Surabaya、スラバヤ(1910年創業)
Pakin Shipyard、ジャカルタ(1924年創業)
IPPA Shipyard、スマラン(1926年創業)
Alir Menjaya Shipyard、パレンバン(1930年創業)
 それ以降、政府、民間部門とも、多数の造船所を新設しました。うち主なものを挙げれば以下の通りです。
Menara Shipyard、テガル、民営(1961年)
Kapain Shipyard、ジャカルタ、後にInggom Shipyardと改称
Kodja Shipyard、ジャカルタ、国営(1964年)
Waiame Shipyard、アンボン、国営(1965年)
Adiguna Shipyard、ジャカルタ、民営(1968年)
Pelita Bahari Shipyard、ジャカルタ、国営(1971年)
Intan Sengkunyit Shipyard、パレンバン、民営(1974年)
Industri Kapal Indonesia (IKI Shipyard)、マカッサル、ビトゥン、国営(1977年)
Jasa Marina Indah (JMI Shipyard)、スマラン、国営(1977年)
Dumas Shipyard、スラバヤ、民営(1978年)
Pabrik Kapal Indonesia (PAL Indonesia Shipyard)、国営(1980年)
 1992年に政府はインドネシア西部に立地する国有9造船所を1社に統合し、新会社はDok & Perkapalan Kodja Bahari (DKB)と命名されました。DKB造船所は本社をジャカルタに置き、サバン(北スマトラ)、パダン(西スマトラ)、パレンバン(南スマトラ)、バンジャルマシン(南カリマンタン)、ジャカルタ(4ヤード)、シレボン(西ジャワ)、スマラン(中部ジャワ)の各地に造船所を保有しています。
 もう一つ、PAL Indonesiaという造船所がスラバヤに建設されましたが、これはインドネシアで最先端、最近代的ヤードとして計画されたものです。
 70年代末期に、インドネシア、マレイシア、シンガポールの政府はSIJORI(シンガポール−ジョホール−リアオ三角地帯)地域開発特区を設定し、この地区では輸入税と付加価値税(VAT)を免除しました。1980年以降、40社を超える合弁企業が設立されましたが、合弁の相手は大半がシンガポールの造船所であります。またバタムおよびカリムンの両島に民族資本の造船所が建設され、2002年末のバタム−カリムン地区の船舶建造量は、国内市場向けでも、インドネシアの総建造量の3分の1以上を占めております。
 
インドネシア国内の造船所数
300GT超の鋼船建造所(木造船およびFRP船を除く)
総数156ヵ所
 
 現在、300GT以上の船舶を建造可能な造船所は156ヵ所ありますが、この地図はその地区別分布を示すものであります。







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