爬龍歌(ハーリー歌)
泊爬龍歌
○
くりまでがやゆら 又いちえがしゅらよ
ハーリー泊のヘンサーよ
今日の出で立ちや さだみぐりしゃ
ハーリー泊のヘンサーよ
○
この人数揃りて しゅんじゃなしめでい
ハーリー泊のヘンサーよ
出ぢ立ちゆる時や さびやねさみ
ハーリー泊のヘンサーよ
○
石なぐの石の大石なるまでん
ハーリー泊のヘンサーよ
うかきぶせみしょり うがでしりら
ハーリー泊のヘンサーよ
○
泊走る船ぬ豊見城のばて
ハーリー泊のヘンサーよ
世果報(ヨガフ)漕ぎうけて 走るがちゅらしや
ハーリー泊のヘンサーよ
○
お盃でんし うがでしりからや
ハーリー泊のヘンサーよ
うちたゆいたゆい ぬんちおがま
ハーリー泊のヘンサーよ
○
エー フッチューイ チーターウ
ハウターウ スンネーン エイ
さー ぬぶてたぼちゃる うふくらしゃ
やーんぬくにゃー にへおがま
○
エー インチェー サンチェー
チーファンシー
さー ぬぶちたぼちゃる うふくらしゃ
やーんぬくにゃー にへおがま
○
エー ウォーターウ ハウターウ
アンセーン スンネーイ エイ
さーぬぶちたぼちゃる うふくらしゃ
やーんぬくにゃー にへおがま
○
エー チヤイチー シヤンイー
パッシャンオー
さー ぬぶちたぼちゃる うふくらしゃ
やーんぬくにゃー にへおがま
(註)後半の中国語(片仮名の分)は、七言絶句らしいけれども、字数が脱落しており、また、中国の南方語も入っておって判読出来ない。
久米爬龍歌
○
今日の福らしや なおにじゃな立てる
爬籠くにんだのへんさーよ
へー ちぶり居る花ぬ ちゆちゃたぐと
へー 久米のへんさーよ
○
久米の走る船の豊見城登て
爬龍久米のへんさーよ
へー 世果報漕ぎ浮きて 世界報しでら
へー 久米のへんさーよ
○
久米の村や 水ゆいがやゆら
爬龍久米のへんさーよ
へー ちたて若者の並どる美らしゃ
へー 久米のへんさーよ
〇
首里天じゃなし おかきぶせみしょり
爬龍久米のへんさーよ
那覇爬龍歌
○
今日の福らしゃや なうにじゃな立てる
爬龍那覇のへんさーよ
へー ちぶで居る花の へーちゆちゃたぐと
爬龍那覇のへんさーよ
へー お万人のまぎり拝でしでら
へー 久米のへんさーよ
○
花たい里主が花もいがいめら
爬龍久米のへんさーよ
へー 出て見れわらび とてや見るな
へー 久米のへんさーよ
○
三隻龍船是弟兄 サンキ ルン チュウ シ ティー シュン
相胼相爬上豊城 シャンレン シャン パ シャン フーン チン
仰瞻聖顔咫尺間 エン ニャン シンエン チチ チェン
年豊民安楽太平 ニエン フー ミンアン ロウ ターイピン
○
三龍船也池中遊 サン ルン チュウ エ チ チュン ユー
彩童歌唱報隆恩 チャイトン コウチャン パオ リュン ニエン
鳳凰台上鳳凰遊 フンハーン タイシャン フン ハーン ユー
天朝仁徳如海深 テンチャウ エン エー シエウ ハイシン
○
也罹哩 哩哢瀬 エー ローリー イヤー リー ルーン ライ
○
泊高橋になんじやじふわうとち
爬龍那覇のへんさーよ
へー いちが夜ぬ明きて とめてさすら
爬龍那覇のへんさーよ
○
那覇の走る船の豊見城登ぶて
爬龍那覇のへんさーよ
へー世果報漕ぎ浮きて へー世果報しでら
爬龍那覇のへんさーよ
○
あの船ともに白鳥が居ちょん
爬龍那覇のへんさーよ
へー 白鳥やあらぬ へーうみないうしじ
爬龍那覇のへんさーよ
(註)最終の二節は、下の片仮名のように、琉球官話で唱われたが、ここにその発音を表示出来ないのは遺憾である。最終の一行は、はやし言葉であり、訓読が出来ないが意訳すると「あれあれ流れささやく浅瀬に漕がないで」となります。
豊見城城址内には「ハーリー発祥の地」と立て看板がある。六〇〇年前、豊見城の城主・汪応祖が城址内の豊見瀬御嶽にノロを先頭に参拝、臣民の無病息災、五穀豊饒を祈願した後、漫湖でハーリー競漕を行ったようである。
豊見城市は昨年六月、金城豊明市長が汪応祖に扮し、往時の祈願行事を再現した。那覇ハーリーが行われる前、ハーリーのこぎ手は三重城から豊見瀬御嶽を遥拝する。
豊見城城主・汪応祖に扮した金城豊明市長。
右は上原義雄氏。
豊見瀬御嶽に参拝するハーリーのこぎ手
饒波川で行われたハーリー儀式
|