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4. 旗国主義の修正
 海洋ガバナンスの促進にとって、国際秩序はその基本的な原則である立法(law-making)における合意主義(consentialism)および執行における旗国主義という問題を孕んでいた。合意主義については、条約外の第三国に条約に入ることを動機付けるような諸措置が必要であると同時に、条約外の第三国も条約を尊重できるような内容のものであることが必要である。こうした点において、最近、海洋秩序維持の仕組みにはこれまでにない新しい画期的なものが出てきている。これを簡単に紹介しながら、海の安全保障(securing the ocean)という考え方の核心が何処にあるかを見ていきたい。
 まず漁業資源の利用と保存に関しては、国連海洋法条約を補完するものとして国連公海漁業実施協定が結ばれ、ストラドリング魚種や高度回遊性魚種に関する公海漁業に従事する諸国が予防的アプローチに基づいて保存措置を合意する努力義務が規定され、少なくとも自国漁船について全く無規制に放置したままで公海漁業の自由を主張することは事実上大幅に規制されるに至った。また執行措置については、従来公海漁業に関する地域漁業条約体制による規制が実効性を欠いた一つの原因をなした旗国主義が緩和され、締約国相互の間では漁業管理措置の漁場における遵守を確保するために他の国の船舶に検査官を乗船し検査する権限を与え、かつその結果証拠によって違反が明らかになった場合には旗国に通報する権限があたえられ、さらに通報を受けた旗国は迅速に調査を実施し、とられた措置を通報国に連絡することが義務づけている。もちろんこの漁獲検査の手続は実施協定の当事国限りで適用されるものであり、協定の非締約国との関係では依然として旗国主義は維持される。合意主義の限界である。しかし少なくとも協定の締約国間では、外国漁船に対する公海上での乗船・検査が可能とされた。この場合、各国によって指定される検査機関はいわば条約の機関として検査を実施するという意味をもつ。つまり国家の二重機能(dedoublement fonctionnel)が具体化されたのである。まさに「政府なき統治」(Governance without Government)への重要な第一歩である。
 ただ非締約国との関係では旗国主義が維持されるため、公海漁業について地域漁業条約による規制が強化されればされるほど、公海漁業実施協定および当該漁業条約の締約国でない国に登録替えをする船舶が増える危険がある。そこでいわゆるIUU漁業(illegal, unregulated and/or unreported fisheries)問題への対応が急務とされるようになった。条約の枠外にあるがゆえに条約義務を負わない国家に国籍を移した漁船(便宜置籍漁船)による無規制あるいは無報告の操業が横行することになっては元も子もない。南マグロ事件の場合でも、南マグロ条約の漁獲量規制の結果、条約締約国である日本は自国マグロ漁船の大規模な廃船を余儀なくされたが、その一部は中古漁船として台湾などへ輸出され、それを使った台湾漁船による南マグロの漁獲が増加したともいわれている。かつてイギリスにおいてトロール漁船の廃船が行われた際にも同様の問題は生じた。いずれにしても便宜置籍漁船、あるいは中古船の国籍の移転をコントロールすることまで立ち入って規制する必要が生じる。そこでFAOを中心としていわゆるコンプライアンス協定(Compliance Agreement)が締結されたのである。旗国主義を原則として維持しながら、なお漁業資源の最適利用と保存の実効を高めようとする仕組み作りである。
 海上テロリズムの防止に関しても旗国主義の修正が考慮されている。現在、IMOで改正案を審議中の海上船舶不法行為防止条約(SUA条約、Convention for the Suppression of Unlawful Act against Vessels at Sea、いわゆるシージャック防止条約)では、大量破壊兵器、細菌化学兵器など他の条約によって禁止された物の輸送にまで対象犯罪が拡大されるとともに、公海上における執行措置に関して、それら対象犯罪を行っていることを疑うに足りる合理的な理由がある船舶については、少なくとも締約国間において、その船が締約国の国籍を主張し、締約国の領海から外に出てきたような場合には、他の締約国の艦船が停船を命じ、船舶の検査・捜索ができるものとしている。同様にアメリカが主導する大量破壊兵器などに関する拡散阻止イニシアティブ(PSI, Proliferated Security Initiative)では、領海の中における通航中の船舶について、拡散懸念国へ出入りする第三国船舶について、旗国の同意を得るまでもなく、乗船、検査を行使することができるように合意しようとする動きがある。ただし国際法あるいは安保理を含む国際的な枠組みにしたがってという留保がつけられているので、無害通航権に関する沿岸国の解釈的立場が定まっていない限りにおいて、どの限度で第三国船舶に対する乗船・検査を実際に許容することを意図したものであるかは今のところ不明である。いずれにしても、大量破壊兵器を拡散する企図に対して、拡散を事前に防止してテロ攻撃のターゲットとなる国の安全保障を確保するために、海上輸送段階でこれを取り締まることを可能にしようとする動きである。SUA条約の本来の目的が海上における船舶自体の安全の確保にあったこととの関連でみれば、この改正案が条約の当初の目的を超えて、船舶を武器として使用する海からの陸上へのテロ攻撃を封殺し、陸上の住民の安全保障を確保することに観点が移されていることが分かる。
 旗国主義はもともと船舶の国際航行の利益が外国艦船の介入によって妨害されることを回避するために導入されたものである。旗国主義の排他性はもちろん問題を解決できたわけではなかったが、海賊を除けば、国家的な安全保障を侵害するような他の脅威は存在しなかった。海洋利用の発展、国際交流の大規模化、船舶の大規模化、漁獲技術の発展といったような要因は、海洋利用が直接に沿岸国の平和や秩序に重大が影響をもたらすことになり、旗国主義の限界を白日の下に曝すようになる。
 海洋汚染に関しては旗国主義の限界をどう乗り越えるかについてこれまでさまざまな仕組みが導入されてきた。とりわけ国際的な海運競争の激化、海運不況という現実の中で、便宜置籍船が一般化したことが旗国主義に代わる仕組みの導入の必要をもたらした。その際注意しておくべきことは、汚染防止に向けての船主・船会社あるいは船舶運航者の船舶の安全に関するインセンティブを高めるような仕組みを作ることが必要であるということである。油記録簿制度の導入にもかかわらずなかなか汚染行為に歯止めがかからなかったが、港湾に油処理施設の設置を義務づけ、しかもその処理料金体系に工夫を加えることで、海洋における排出が大幅に削減されたといわれる。また汚染の原因となる船舶の構造上の欠陥などに関する規制はPort State Controlとして従来からなされてきたところであるが、これまでは寄港国は「船舶に甘い」(vessel friendly)といわれてきており、またそれゆえに寄港国による船舶検査が認められてきたという側面もあった。便宜置籍の増大は、旗国が有効なコントロールを及ぼしていないサブ・スタンダード船の規制に関する寄港国のイニシアティブを強化する必要を迫るようになる。寄港国としてもそれらサブ・スタンダード船が領海を航行することには、沿岸国として領域の安全確保上、問題が生じる。こうした流れの一環として海洋法条約で、先に述べた国際基準に違反した汚染行為について沿岸国および寄港国による執行の制度が導入されることになったのである。ただこうした規制を強化しても、寄港国が執行するには相当の費用が必要となる。その費用は本来、船舶の登録税をとっている置籍国が負うべきものである。便宜置籍はそういう費用負担のメカニズムを壊すところに問題がある。そういうなかで船舶の安全性確保については、IMOの設定する基準に基づいて船舶の安全性を審査し格づけを行う産業NGOが創設され、船主の側でもこれに積極的に加わって検査の実施を受け入れる動きが出てきている。すでにこの格付けは、保険料率などにも反映されることを通じて、その船籍にかかわらず、海運ビジネスの新たな競争条件を作り出してきている。国際組織、国家、NGOが一体となって、海上安全を向上し、そうすることで汚染を防止する実効的な仕組みとなっていくことが期待される。
 
5. 結論に代えて
 以上、海洋の安全保障ということとの関連で、新たな海洋秩序維持の仕組を構築しようとする様々な試みの意義について述べてきたが、海洋ガバナンスという観点から見れば、海洋法はようやく旗国主義の限界を補正するところにたどりついたところであるに過ぎない。また伝統的な海域制度の枠組みの変更は、パンドラの箱を開けることにより、沿岸国と海洋利用国、海洋活動国相互間での対立を助長し、海洋秩序の大混乱を引き起こしかねない。例えば最近新たな海域制度として、排他的経済水域および公海上に海洋保護区域(marine protection zone)を設定することが提唱されている。それら保護区域について沿岸国が一方的に設定する権利を認め、漁獲活動その他の海洋の経済的利用が禁止されるだけでなく、外国船舶の航行をも制限する提案である。こうした提案は、世界遺産的な価値をもつ天然の風物の保全という意味では必要であることは否定し得ない。しかし海洋利用国の側では、それが海洋保護区域の名を冠した新たな沿岸国による資源の囲い込み、あるいは排他的経済水域からの外国船舶の排除につながるという危倶も出されている。環境の脆弱性など特殊な事情を考慮して海域を厳格に特定し、かつ沿岸国の一方的な海洋保護区の設定は認めず、何らかの国際審査を経ることにしないと海洋秩序の大混乱を引き起こしかねない。国際社会の共通の利益を満たし、かつ沿岸住民がinsecureと感じないような海洋秩序をいかに構築するか、それがSecuring the Oceanの課題であるといえよう。







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