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総説
全人医療の見地から見た老人のライフスタイルについて*1
日野原重明*2
 
「新老人運動」の提唱
 
 日本における老人の人口は急増した。それ故, 老人は自分たちのためだけでなく, 家族と地域社会, 国家のためにも生産的に生活することが強く要求されている。私は, 全人的医療の見地から, 老人が刷新された環境においてQOLを高める方向で自分のライフスタイルをいかに生産的に変えるべきかについて言及したいと思う。
 私は75歳以上の老人のために「新老人運動」を2000年9月に提唱したので, まずこの運動をご紹介したい。
 そのモットーは, (1)愛と共に生き, (2)創造的に生き, (3)困難にも耐えることである。
 元気な老人の会員から, 身体的(遺伝子を含む), 精神的, スピリチュアルの面からのデータを提供してもらうことによって老人の疫学的コホルト研究に参与してもらっている。
 日本は, 世界の中で最も高齢化の早い国で, 1962年から1997年の間のわずか25年間に, 65歳以上の人口が7%から14%に達し, これは今後さらに急速な増加を示し, 2025年には65歳以上の老人人口は全人口の27%と予測されている(図1)。図2は, 日本での高齢者支援率すなわち, (A)65歳以上の人口と(B)20〜64歳人口の比, すなわち, (A)/(B)は, 1990年には, 1対5であったが, 2025年には, 1対2となる予測である。
 
図1 65歳人口比率14%への到達年数の国際比較
 
 最近(2001年)の日本人の0歳の平均寿命は, 男は78.07歳, 女は84.93歳, 平均して81歳である。2025年度には65歳以上の人口は全人口の27%まで増加することが予測されている。一方, 日本人の女子の生涯における子どもの出生率は1.23と低いので, 少子化と65歳以上の老人人口の増加により, 日本人の生産人口はますます減り, 高齢者支援率は2分の1=50%にも増加の予測である。
 したがって, 日本はこれから4半世紀先には今とは全く質の変わった社会に変換するであろうから, この人口配分の変化に対して経済, 社会, 福祉, 医療, 家庭介護などのあらゆるシステムが完全に変換されなければ, 日本の将来は上述の社会的変化に対応できなくなる。
 年齢で人を差別するという考えは, 将来払拭され, 暦年齢よりも実力の年齢により老人が評価されるべきである。
 慢性疾病の予防や慢性疾患としての生活習慣病は習慣の変容によってのみ予防または悪化が抑えられる。また, 老人によい環境と当人の努力で老人の脆弱性の進行は抑えられよう。さらに精神力スピリチュアリティの高揚により能動的に社会活動に参与できる老人の数を増させる方向に努力すべきであると私は考えている。
 
図2 高齢者支援率
 
 日本で老人の定義が65歳以上とされたのは, 日本老年医学会が発足した40年前の頃であった。その頃(1960年)の日本人平均寿命は, 男65.32年, 女70.19年で, 男女平均して68歳であった。
 それから40年の間に日本人の平均余命(2001年)は男は78.07歳, 女は84.93歳, 男女平均して81.5歳となった。
 なお, 75歳の平均余命は男は10.28歳, 女は13.71歳, 90歳の平均余命は男は4.19歳, 女は5.41歳であり, 日本人の健康な平均寿命, 健康寿命は表1のごとくである。
 図3は, 1996年の統計での65歳以上の日本人の健康状態別の人口分布を示したものであるが, これでは25%は日常生活にサポートを要する脆弱な人口であり, 65歳以上の全人口の5%は寝たきりである。
 しかし, 65歳以上の老人全体の50%は自立し, かつ図の右端の25%は私のようにきわめて健康状態がよく, 気力に満ち, 社会活動に深く関与している体力や気力の持ち主である。
 
表1 平均寿命と健康寿命
  男性 女性
平均寿命 健康寿命 平均寿命 健康寿命
65歳 16.75 15.11 90.2 21.24 18.48 86.6
70歳 13.22 11.58 87.3 17.04 14.20 83.3
75歳 10.03 8.36 83.3 13.14 10.28 78.2
80歳 7.35 5.76 78.3 9.71 6.93 71.3
ratio = Independent Life Expectancy / Life Expectancy
 
 私は65歳以上の老人が20〜65歳までの生産人口の世話になるのでなく, 自立して社会活動に携わり, 社会の生産力となるものが今後の医学の進歩とセルフケアにより急速に増加するものと予測しているので, 老人の65歳以上のものを老人とする在来の老人の定義を改め, 75歳以上を新たに老人と定義することを2000年9月に提言した。そして, このグループを「新老人(The new elder citizen)」と呼び, 現在約2,100人の元気な老人が会員として登録されている。
 私はこの団体に対して上記にあげた3つのスローガンを掲げた。これは第二次世界大戦中, アウシュビッツにおけるナチスの収容所に拘禁され, 辛くも生還した精神医学者であるV・フランクルが人間が生きるのにはその3つの項目が重要だと考えた同じ考えを新老人の目標にとり上げた(『夜と霧』みすず書房)。もう一度書くと,
(1)愛すること(to love)(出会う人と自分とを)
(2)創めること(今までやったことのないことを始める)
(3)耐えること(to endure)。これによりより厳しい試練に遭う人の苦しみを共感できる人間になる。
 
図3 65歳以上の老人の健康度の分布
 
 そして, W・ワーズワースの詩(“Sonet Written in London, September, 1802”)にあるように, 人はできるだけ簡素に生きる。しかし, 思いは高く生きることを奨める(Plain living and high thinking)。そして, 私たちの文明には限界があることを覚え, 人間がもっと自然に接し, 自然からのインスピレーションを直かに受ける生活をすることを皆に勧めている。
 さらに, 第二次世界大戦を体験したこの新老人(現在75歳以上)は第二次世界大戦の戦争体験をもつものであるので, その経験を第三世代の子どもに直かに伝え, よき日本の文化と平和の心を第三世代に継承すべき使命のあることを新老人に覚悟してもらうことを提唱している。
 次にこれらの会員の中からヘルス・リサーチ・ボランティアを集めて, 以下のごとき遺伝子の中の痴呆その他老化に関連するゲノムの調査を行い, また向こう10年間はその人々に定期的健診を行い, 同時にその人の家庭生活や社会的環境, また毎日の食物の栄養調査, 趣味, 宗教, 社会活動を個人的に調査し, 多変量解析を行い, 10年後に調査報告を発表する。その報告から, どのようなライフスタイルが健康老人を作るかが科学的根拠をもって実証されるものと思う。
 私たち老人のからだは遺伝子因子によって影響されることは大きいが, 個人の環境因子と生活習慣がより大きな影響を老人に与える可能性があると推論して研究を進めている。日本人の100歳以上の老人の多くは, 社会活動が困難であるが, 元気な100歳以上の老人で精神的活動が盛んな老人の環境因子は何かについての調査を今後重点的に行っていきたいと思っている。
 今から5年後には新老人の会員の健康状態と社会的活動の中間報告ができると思う。
 次に示すのは, 私たちが今述べた調査研究の項目である。
(1)基礎健康調査
(2)LPC式生活習慣検査
(3)インタビューによるスピリットの調査
(4)心身機能検査
(a)年1回の健診のデータ(基本健診, ドックなど)
(b)認知機能検査
(c)基礎代謝
(d)上腕筋面積と皮脂厚(下肢も予定)
(e)握力
(f)下肢/上肢血圧比と脈波速度
(g)脱水調査・問診, 診察所見, 血漿浸透圧
(h)ヒトゲノム遺伝子解析
 すなわち, (1)−(4)の大項目があり, そして, 身体的検査としては(a)−(h)まであり, その中には遺伝子の検査も含まれている。
 
健康とは
 
 日本語の健康と英語のHealthとは, もともと人間のどのような状態を表す言葉かを述べよう(図4)。
 「健康」は健も康も人間のからだやこころが達者であることを意味する。健とは非常に強く, 充実している状態を示し, この言葉は人偏に建つという感じで, 人の自立を意味する。一方, 康のほうは安らか, 平穏という意味で, たとえれば海が凪いでいる状態である。
 まず, 日本語の健康と英語のHealthとは, それぞれどのような意義をもっているかを語源学(言語学)的に比較検討してみよう。
 「Health」という英語の語源を訊ねると, 図5のごとく16世紀代の英国のアングロサクソン系のHl(ハール)という言葉に由来する。Hlは, 全体(whole)とか, 癒し(heal)とか, 聖なる(holy)という意味をもつといわれている。つまりからだのどこかの部分には問題があっても, 人間全体として健やかであること, 肉体的精神的苦痛から解放され, 全き神へ心を寄せるへり下った気持ちをもった心の状態を「健康」という言葉はもつものである。
 
図4 「健康」という文字のなりたち
 
 私の尊敬する米国の故ウィリアム・オスラー博士は, 若い医師たちに「平静の心」という題の講演をその他の22の講演をあわせて講演集として出版した。彼はその中で大切な命を扱う医師にとって心の状態を穏やかに保つことが, 最も大切なことだと述べた。
 医学が進めば病人はますます増えていく。人は誰でもよい遺伝子とよくない遺伝子をもって生まれているものである。これからは精密検査法の発達によっては, 治療の必要のない病気までもが発見されると思う。在来の正常値といわれたものは, 平均値であるにすぎない。検査したものの値は, 個々の資質や生活環境などによって, その検査値には個別性がある。人々に大切なことは, 皆が病人意識から解放されることである。そのためには「生きがい」をもつことが必要だと思う。
 人間の肉体は加齢とともに必ず老化し, 脆い状態になる。齢とともに抵抗力が落ち, 回復力も鈍っていく。しかし, 何かのゴールを目指して, 自分なりの生きがいを持ち, 与えられた命を実感し, 一日一日に感謝し, 充実した安らかな思いをもって生きていくことができれば, その人は健やかだといえよう。たとえ病気があっても, 障害をもっていても, 健やかな人間が誕生するという希望は非常に大きいと思う。
 私たちはいくつになっても, 少しでも視野を広げる努力をすることによって, まだまだしなくてはならないことが残されていることに気づく。自分の近憐や日本国内, 南半球の人々, 地球のあちこちで起きている悲惨な出来事から目をそむけずに, 与えられた命をどのように生かして使うべきかが, 一人ひとりに問われているのだと思う。
 日本では前述のごとく急速に人口が老齢化し, 65歳以上の老人だけでなく75歳以上が急増する中で, 今のうちに65歳以上の老人だけでなく, 75歳以上の老人が自立し, ボランティアとして社会の生産力にも加わって, 日本を若返らせることが強く要望されている。そして, 現在75歳以上の人口, それは1億2,000万人の総人口のうちの7.5%の900万人にも達する。ところでこの老人層は第二次世界大戦に参加した兵士の年代層であり, これらの人々は戦争の悲劇を十分体験した人々である。
 20世紀に起こった忌むべき戦争が世界を滅ぼしたことを, 前世紀にいやというほど経験した老人層が, 人間はBodyとMindとSpiritの3つの要素が一体化された人間であるという考えをもち, 全人的健康とは何かを, 若き第三世代に伝えてほしいと私は思う。
 私が提唱している新老人運動は老人のもつからだの遺伝子的因子と, その生活環境や生活習慣の因子が, どのように全人的健康に影響するかを研究すると同時に, 戦争に参加した新老人たちが, 自ら経験した戦争中の悲劇が21世紀の世界に決して繰り返されないように, 第三世代の若者たちに戦争を避けさせるための平和行動を行うように語りかけることを始めているのである。このような社会的運動なしには, 21世紀の人類は, 真の健康, QOLの高い健康を獲得することはできないと私は強く信じている。
 21世紀における健康とは, からだ(Body)と心(Mind)と魂(Soul)が揃ってこそ, 「真の健康」と言えるのではないかと思う。
 
図5 「Health」の語源
 
<Author's abstract>
 The population of the elderly in Japan has been rapidly increasing. I want to introduce the new movement of "the New Elder Citizens of over the age of 75 years old".
 The average life expectancy of Japanese newborn is 77.10 years for males, and 84.62 for females. Yet the birth rate in Japan is low (1.23) . Therefore this will further reduce the number of the productive and young age group would support the seniors. This is why the elderly support ration will come down by more than half eventually to end with 50%.
 In preparation for such changes to occur ageism, which is an attitude of discrimination according to age, must be vanished. Aged people should be evaluated by individually physical and mental strength, rather than by mere chronological age.
 Forty years ago, the definition of seniors in Japan was "age 65 and over". At that time in the 1960's the average life span of the Japanese was 68 years. However, in the subsequent 40 years, the average life expectancy is in around to 81 years.
 So, I believe that seniors should not be taken care of by those from age 20 to 64; rather, they should be self-reliant and engaged in social activities. In view of this, in September 2000. I proposed a change in defining seniors. In stead of "age 65 and over", seniors should be "age 75 and over". As the result, the association for the New Elder Citizens has been organized. Those of us who turn 75 in the year 2000 were 20 years old, when World War II ended in 1945. I believe those seniors over 75 have a mission to tell the next generation the many lessons we have learned during wartime experiences.
 Besides it is recommended that those New Elder Citizens are encouraged to live their further life under the following slogans:
 1. to love, 2. to begin and create, 3. to preserve (with hardships, so as learn sympathize with others who are under strain)
 We have already started the cohort study of coming 10 years of those new elder citizens by investigating annual physical check up and their behavioral and environmental elements as well as genetic study of aging process including senile dementia. Many of these Japanese elderly people have selectively good health physically, mentally and spiritually.
 Japanese word "Kenko" (health) consists of two Chinese characters. The first character, "Ken" means a state of great strength, fullness and self-support. The second character of "Ko" means "peacefulness", or serenity of mind without stress.
 It means holistically healthy entity. The root of the English term "Health" goes back to the 16th century Anglo-Saxon word, "Hl". It embodies such concepts as "whole" or "heal" or "holy". It means that a healthful state prevails in the whole human being, even if individual parts of body may be afflicted in some way.
 As time passed, the human body necessarily declines in its functional capacities. However the elderly persons do have high spirituality. However he or she may continue to live with a sense of fulfillment and serenity. Those are our hope that even if we have an illness or a handicap, we can still be reborn as healthy individuals.
 Being holistically healthy means that these aspects of wellness which means to be well in "body", "mind" and "spirit", are integrated into the well being of a whole person.
 The New Elder Citizens are invited to participate the cohort study for 10 years. The results would suggest that their way of living and environmental factors would reveal most important as compared with the hereditary gene factors.
 

*1 On the Lifestyle of the Aged from the Viewpoint of Holistic Medicine
*2 ライフ・プランニング・センター理事長
第12回世界精神医学会横浜大会特別講演, 精神経誌(2002)104巻12号に掲載







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