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<寄稿>
南太平洋の魅惑の国、ヴァヌアツ(その2)
玉木 栄一
運輸・交通
1. 道路交通
 約1,130kmの道路があり、そのうち舗装されている道路は、エフェテ島の54km、サント島の20km、そしてタンナ島の1kmだけである。エフェテ島の主要周回道路の一部は、1998年に日本政府の無償援助で舗装された。サント島のルーガンビルの道路は、第ニ次大戦時に米軍により20万人の駐留軍を考慮して作られたものであるが、その後の補修が不充分で、いたるところが傷んでいる。
 車両は、登録と免許が毎年必要である。2002年には、13,000台の車が登録されており、そのほとんどがエフェテ島とサント島での登録であった。
 公共交通機関はエフェテ島、サント島のみで、8〜10人乗りのミニバスが運行されている。定期運行ルートや時刻表が決まっておらず、街を巡回している。
 バス及びタクシーの営業は、ヴァヌアツ国民に限定されている。
 
2. 航空
 エファテ島、サント島、タンナ島の3空港が国際空港として認定されている。ヴァヌアツの玄関口であるエファテ島のバウアフィールド空港は、1990年に滑走路が600m延長され、2,600mとなりB767機の離着陸が可能となった。現在、全ての国際航空便は、この空港を使用している。
 サント島のサントペコア空港は滑走路が2,000mあり、施設改修によりB737機の利用が可能となったが、現在は、国内便しか運航されていない。タンナ島のホワイトグラス空港は滑走路が900m、ターミナルを改修し、国際線空港となった。ダッシュ8機等ターボプロペラ機の離発着が可能となり、ニューカレドニアのヌメアから直行便を検討している。
 国際線は、国営航空であるエア・ヴァヌアツが、ポートビラとヌメア、ブリスベン、シドニー、オークランド、ナンディ間を運航している。また、ニューカレドニアからは、エア・カリンがポートビラ/ヌメア間を運航している。
 国内線用空港は、29あるが、滑走路の長さが625〜1,020mの間で、殆どが舗装されていない。国内線は、国営のヴァン・エアが、ポートビラとサントをハブとして、27の空港に乗り入れている。
 
3. 港湾及び海運
 エフェテ島のポートビラ港とサント島のルーガンビル港が国際貿易港として認められている。ポートビラ港は、天然の良港で、メインワーフは、水深10.7m、岸壁延長250mで、大型客船の着岸が可能である。従来、他の太平洋島嶼国を訪れていた大型クルーズ船が、近年ヴァヌアツへの寄港数を増やしている。ここ数年は、クルーズ船で、毎年約5万人もの観光客がヴァヌアツを訪れている。
 
ヴァヌアツの観光事情
 1980年代の後半に、オーストラリアとニュージーランドからの定期航空便が開設されヴァヌアツへの旅行者が増加した。2002年の航空機による外国人旅行者数は、49,463人で、対前年比で約7.2%の減少であった。原因としては、2001年10月からソロモン航空のB737型機の運航停止により、オーストラリア/ポートビラ間の航空便数が減少したことの影響が大きい。また、ヴァヌアツ航空のヌメア/ポートビラ間の減便は、ニューカレドニアで乗り継ぎをするフランスや日本からの旅行者数の減少に繋がっている。
 国別で2002年の旅行者数比率で見てみるとオーストラリアが60%を占め、次いでニュージーランドが15%、ニューカレドニアが約10%の順であった。
 2002年のオーストラリアから旅行者は、29,731人で、対前年比で、21.7%の大幅な減少であった。第2の市場であるニュージーランドは、7,263人で、対前年比で、3.3%の減少に留まったが、2年連続で減少しており、対2000年比では、10%下落している。一方、ニューカレドニアからは、4,704人で、対前年比で16.5%も伸ばした。ロングホール・マーケットの欧州、米州からの旅行者数は堅調に伸びて、対前年比でそれぞれ9.9%、1.8%の上昇、2001年の9-11テロによる大幅な下落から、回復してきた。
 
表1. 国別 訪バヌアツ観光客数(1999年〜2001年)
  1999 2000 前年比 2001 前年比 2002 前年比
Australia 30,769 36,805 119.6% 33,667 91.5% 29,731 88.3%
New Zealand 6,487 8,024 123.7% 7,512 93.6% 7,263 96.7%
New Caledonia 5,007 4,124 82.4% 4,039 97.9% 4,704 116.5%
Europe 3,063 3,401 111.0% 2,683 78.9% 2,948 109.9%
North America 1,343 1,547 115.2% 1,413 91.3% 1,438 101.8%
Japan 915 811 88.6% 834 102.8% 731 87.6%
Total 50,746 57,591 113.5% 53,300 92.5% 49,463 92.8%
 
日本人旅行者の推移
 1980年代前半まで、ポートビラでホテルを運営していた東急系ホテルの努力により、日本人旅行者の比率は、6%前後を占めていたが、その後しばらく低迷した。1993年から、エア・フランスが行った“ニューカレドニアとヴァヌアツを組み入れたパッケージツアー”のプロモーションの効果により、1993年は、1,170人、旅行者数シェアの2.6%、1994年は、1,227人でシェア2.9%まで伸ばした。しかしその後は、再び低迷し、ここ数年は、800から1,000人の間で推移し、シェアでは、1%台となっている。
 最近では、日本から直接ヴァヌアツを訪れる旅行者より、オーストラリア、ニュージーランドに滞在しているワーキングホリデーの旅行者が多くなっている。
 2002年の日本人旅行者数は、731人で、前年比で、13.4%の減少となった。原因としては、ニューカレドニアへの日本人旅行者数の減少、ヌメア/ポートビラ間の減便の影響である。
 
クルーズ船 観光客
 オーストラリア、シドニー港をベースとするP&O社のクルーズ船、パシフィック・スカイが、エファテ島のポートビラ、エピ島のラーメンベイ、サント島のシャンペン・ビーチに寄港している。1998年から毎年寄港回数が増えており、2001年は、60回の訪問で、52,758人の旅行者を運んだ。2002年度は、1999年に建造されたパシフィック・プリンセスが、10月から加わり、さらに訪問回数が増えたが、実績では、50,027人、対前年比で、5.2%の減少となった。
 
表2. クルーズ船 訪バヌアツ観光客数
  クルーズ客数 前年比
1999年 44,853 178.6%
2000年 47,644 106.2%
2001年 52,758 110.7%
2002年 50,027 94.8%
*パシフィック・スカイ;
英国籍船 建造1984年 総トン数46,000トン
客室収容数 1,550人 長さ 240メートル
*パシフィック・プリンセス;
英国籍船 建造1999年 総トン数32,200トン
客室収容数 700人 長さ 181メートル
 
(クルーズ船)
 
主な観光地
 
1. エファテ島
 エファテ島は、ヴァヌアツ共和国の中央にある島で、面積が約1,000km2、南北に37km、東西に46kmで、中央に標高647mのマクドナルド山がある。丘陵地帯が多く、海岸線は入り組んでいる。
 島の人口は5万人で、多くの住民は、首都ポートビラに居住している。ポートビラ市街から6km北に、海外からの玄関口であるバーフィールド国際空港がある。ポートビラは、エファテ島の南西に位置し、観光、商業の中心となっている。ポートビラを除いた地域では、インフラの整備が遅れており、住民は、まだ自給自足農業に頼っている。
 
ポートビラ
 街並みは、英仏の影響を受けて欧州風の景観を持ち、観光客用のレストラン、お土産物店、ブティック、銀行、スーパーマーケット等リゾート・タウンとしての機能がそろっている。街はヴィラ湾に面し広がり、正面にはヴィラ湾に浮かぶイリリキ・リゾートの海上ブレが見える。ポートビラには、11ヶ所の高級リゾートがあり、その代表としてゴルフ場とプライベートビーチを持つ2つの高級リゾート、メリディアンとル・ゴラン(前クラウン・プラザ)がある。訪問者は、滞在先や車から数分の所で、ビーチ、マリンスポーツ、ゴルフ、テニス、ショッピング、レストラン、カジノ等を楽しむことができる。
 
(イリリキ島から眺めたポートビラ市街)
 
(ポートビラ:建設中の高級ホテル)
 
2. エスピリッツ・サント島
 エスピリッツ・サント島は、ヴァヌアツ共和国の中では一番大きな島で、面積が3,947km2、人口は14,000人である。ポートビラから、航空機で約50分、毎日3便が運航している。1606年にポルトガル生まれのスペイン司令官、ペドロ・キロスが上陸し、“エスピリッツ・サント”と名前が付けられた。一般的には、サント島として呼ばれている。東海岸沿いは、交通路が比較的開発されているが、西部地方は、標高1,800mのタブウェマサナ山を頂点として、険しい山間地となっており、交通が不便で、旅行するには大変困難となっている。
 エファテ島に次いで、訪問者が多い島で、観光資源としては、ヴァヌアツの第2の街、ルーガンビル、2万トンの客船クーリッジを含む沈没船ダイビング・スポットやシャペンビーチに代表される白浜ビーチがある。
 
(客船クーリッジ)
 
ルーガンビル
 この島の観光、商業の中心ルーガンビルは、ヴァヌアツ共和国の第2の街である。第2次大戦中はアメリカ軍の基地として、十万人を超える米軍人で栄えていたが、現在の人口は約7,000人である。欧米人、中国人やベトナム人等の外国人居住者も多く、欧米風の街並みが残されている。また、戦時中に米軍によって立てられたかまぼこ型の倉庫や兵舎が、一部残って使用されている。
 
(サント島:米軍の残したカマボコ型兵舎)







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