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協会設立の背景
 
 1970年代に入って、世界は「第2次国連開発の10年」の宣伝のもとで南北問題の解決に取り組んできたが、その解決は益々困難化する傾向にあり、開発途上国における経済社会事情の改善即ち、先進各国はその後一層の経済協力拡充に努めていくことが必要であった。一方、わが国経済協力の充実はめざましいものがあり、国際社会におけるわが国の責務の増大をもたらすとともに、わが国に対する世界各国からの経済協力拡充への期待は一段と高まってきた。そこでわが国は、開発途上国への経済協力を一段と強力に推進することによる南北問題への新たな対応を迫られるところとなった。
 
 先進国による経済協力の状況は、1971年(昭和46年)には援助総額においてOECDの開発援助委員会(DAC)加盟諸国は183億ドルの経済協力を実施していた。日本はそのうち21億ドルで米国に次いで第2位であった。しかし、政府開発援助(ODA)についてみると、日本は5.1億ドルで、DAC諸国中第5位であった。またODA中、技術協力については、日本は2,800万ドルと、国別シェアでみる限り最下位であった。そこでその後は、これら技術援助を増大させる面で、開発途上国に対する開発調査の実施、機材の供与、海外技術訓練センターの設置等をより積極的に推進することにより、資金協力と技術協力の両輪あいまった、経済協力をなお一層効果的に実施する必要があった。この問題の解決策の一つとして、1973年度(昭和48年度)からは開発途上国における経済開発プロジェクトの実施に際して、実施設計、施工監理等いわゆるコンサルタント役務を無償で供与するための政府予算が認められるなど積極的対応策等が講じられると同時に、開発途上国における経済発展を助長するため、わが国は相手国政府の求めに応じ、その公共的な開発計画に関して経験豊かな専門家による調査団を現地に派遣する開発事業に積極的に取り組んできた。
 
 一方、1974年(昭和49年)10月、「わが国の今後の開発協力の推進について」総理大臣の諮問機関である対外経済協力審議会に諮問されたその中間答申において、開発協力基本政策の策定に関し、政府開発援助の改善について検討された。その中で特に技術協力の拡充について言及し、無償協力のうち、他の先進諸国との格差の著しい技術協力の拡充が肝要であり、特に、技術協力に従事する人材の養成とその活動の円滑化のための諸条件の整備を図ると同時に、開発途上国における人材養成への協力の大幅な拡大を図ることに努めるべきであるとしていた。また、技術協力に従事する人材の確保即ち、開発協力を推進するうえにおいて、高度の技術と現地活動能力を身につけた人材を養成確保することが基本的に重要な課題であるとも述べていた。
 
 コンサルタント、コンサルティング企業の養成強化については、当時、わが国のコンサルティング企業は約1,000社といわれていたが、その数はアメリカの10分の1にも満たず、しかも大部分のものは小規模なもので、またその中で海外でコンサルティング業務を行っているものは、わずか50社程度に過ぎなかった。しかるに開発途上国からわが国に対する経済協力の要請は、港湾、鉄道、空港を始めとする運輸施設等の建設整備を内容とするものが多く、益々増加する傾向にあった。従って、開発途上国の要請に添った経済協力を推進していくためには、運輸部門の開発援助に役立つエンジニアリングサービスを拡充・強化する必要があった。
 
 幸い、わが国の運輸関係コンサルティング企業は、国際的にみても高度な建設技術を背景とし、狭義の技術力においては要請に応えうる面を持っていたが、残念ながらいずれも小規模で、その企業基盤が弱く、また、わが国のコンサルタント、コンサルティング企業は、国際性、信用力、総合力、中立性などの点でも十分な基盤を有しておらず、海外プロジェクトを遂行するに必要な人的能力も不十分な体制にあった。
 
 このような状況のもと、開発途上国における開発計画の策定及びその具現化に関する技術協力の担い手である運輸関係の海外コンサルティング企業が、経済技術協力に果たす重要性に鑑み、他の先進国に比べて立ち遅れが著しいわが国のコンサルティング企業の育成強化等について、特別な配慮がなされるべきであった。かかる事態を解決し、他の先進国並のエンジニアリングサービスを実施していくため、その総合的推進機関として早急に新団体を設立し、運輸部門のコンサルタントの海外活動を強力に支援する必要があった。







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