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4 地域通貨によるコミュニティ意識の涵養:子育て支援、教育改革への取組
(1)子育て支援
 さて、本節では地域通貨によるコミュニティ意識の涵養の具体例として、子育て支援と教育改革について取り上げ、簡単な提言を行いたいと思う18。子育て支援については、現状の保育制度改革の問題点について言及する事から始めたい19
 現在急速に進められているのは、公立保育所の民営化・民間委託である。その際の根拠としては、自治体の財政状況の悪化に伴うコスト削減の必要性が挙げられる事が非常に多い。しかし、公立保育所と私立保育所のコスト差は、運営費の80%から90%程度を占める人件費の差である。そして、この人件費の差は、保育士の平均年齢の差によってもたらされている。従って、公立保育所の民営化・民間委託は、保育士の年齢構成を低くする事に主眼があると考えられる。しかし、保護者の側からするならば、子育てや就労の悩みについて相談できるのは、ある程度ベテランの保育士に対してであり、保育士の年齢構成が20代前半に偏る事には問題があると考えられる。
 また公立保育所の民営化・民間委託についての別な根拠としては、ニーズ論がある。即ち、住民のニーズが多様化されているにも関わらず、行政の場合、市場原理が働かない事から、住民の要望に十分対応する事ができないのに対して、企業の場合は競争を通じて、住民の多様化するニーズに対応する事が可能であるし、そうできない企業は市場原理で淘汰される事になるというものである。しかし結果的には、こうした市場原理の導入は、単に住民が多様な選択肢の中から、自らの「購買力」に応じた質のサービスを選択する事を保証するに過ぎない。問題は、その時に保育の質に下限を設ける事には、公共性の観点から十分意味があるという事である。しかし単純な市場原理主義では、こうした公共性の観点は見過ごされる事になろう。
 以上の観点から、現行法の枠組みを無視して以下の思い切った提案を行いたい。それは単純な市場原理主義を退け、あくまでも公立保育所の存在意義を重視し、しかしその上である程度のコスト削減を果たす為に、勤続年数が10年を超えた保育士の給与の一部を地域通貨で支払うというものである。また、保育所が子育て相談等の子育て支援事業を行うにあたって、全くの無料ではなく、地域通貨の支払いを要求するのが良いのではないか。保護者から一々相談を受ける度に、保育所側が現金を要求するというのはかなり問題であろうが、地域通貨のやり取りという事であれば、相談する側もされる側もあまり抵抗感を感じないのではないだろうか。保育所は子育てに関するノウハウを最も蓄積している施設であり、子育てに悩む地域住民の結節点として機能させる事が重要であるが、ある種のインセンティブ機構を地域通貨を媒介として設計する事が可能と思われる。
 
 この様な試みを通じて、子育てを行う住民の拠り所としての保育所の存在により、この地域でなら安心して子育てができるという意識を住民が持つ事を通じて、コミュニティ意識の涵養を図る事が期待できよう。
 
(2)教育改革
 小塩隆士[2003]『教育を経済学で考える』日本評論社によれば、経済学から見た教育の特徴として以下の点が指摘できる。第1に、教育には投資の側面(人的資本論の観点)だけではなく、それ自体から効用を得るという消費の側面もある。また、教育需要の決定主体は、必ずしも教育を受ける本人のみでなく、その親である事も少なくない。第2に、教育需要は教育を受ける事により成果が上がると期待ないし勘違いする不確実性と比例し、従って、教育を受ける事でそうした不確実性が減少するに伴い、教育需要も次第に冷却する。第3に、教育成果は、教育を受ける人間の生来の能力差、親の教育に対する取組やその家庭が属する社会階層に大きく影響を受ける。第4に、教育は所得格差の拡大や、社会階層の固定化を促進する側面がある。
 ここで詳しく小塩氏の議論を検討する余裕はないが、非常に単純化して考えるならば、問題なのはより良い教育を受けられるか否かは、必ずしも教育を受ける本人の努力だけで決まる訳ではなく、どういう親を持つかといった環境によってかなり左右される可能性があるという事である。こうした観点から、経済学者によって比較的評価の高いバウチャー制度について考えてみると、バウチャー制度により、教育に熱心であるがあまり裕福でない家庭に育った子供が、優良な私立の学校に入学し易くなると考えられる。その結果、優良な私立校では、いわゆる正のピア・グループ効果が働き、教育成果の向上が期待できるのに対して、それ以外の例えば一般的な公立校には、教育に熱心でない家庭に育った子供ばかりが集まり、負のピア・グループ効果により、教育成果に悪い影響を及ぼす可能性が考えられる。即ちバウチャー制度は、教育に熱心な家庭に育った人間に有利に、教育に熱心でない家庭に育った人間に不利に働くというバイアスが生じると考えられる。そして正のピア・グループ効果の存在に着目するならば、バウチャー制度のある無しに関わらず優良な私立校に入学する教育に理解があり且つ「裕福な家庭に育った人間」に対して、メリットが最も大きくなる可能性が否定できない。
 バウチャー制度はバウチャー収入を巡る競争の結果、教育サービスの供給主体としての学校の効率性を高める効果を狙ったものと考えられるが、以上の事から、社会階層の固定化を促進する弊害を持つ可能性が否定できないのである。この様に教育分野においても、闇雲な市場原理主義の導入には問題が多いと言える。むしろ公立学校の質の向上を図り、その地域における人的資源の有効活用を考えるのが本道ではないだろうか。いわゆるコミュニティスクールの考えがこれに該当しようが、学校で様々な技能や実社会での経験を披瀝してくれる地域のボランティアに地域通貨で報酬を支払う事により、学校側も地域住民もあまり気兼ねなく協力し合える関係を気付く事が可能となろう。その場合、特別な補習授業については、いわゆるオプションとして興味のある生徒が直接講師に対して地域通貨を支払い授業に出席する事にしても良いかもしれない。公立校の生徒にとっても、教育が只で受けられているのは元来他の誰かの負担のお陰だとするコスト意識を醸成する良い機会かもしれない。こうした試みを通じて、様々なプレイヤー間で地域の中の学校という意識が芽生え、ひいてはコミュニティ意識の涵養も期待されよう。

18 尚、地域通貨の普及形態は、多機能型ICカードに地域通貨の機能を付与するやり方が有望であろう。
19 保育制度改革の問題点については、保育行財政研究会編[2002]『市場化と保育所の未来:保育制度改革どこが問題か』自治体研究社を参考にした。







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