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1993/04/06 読売新聞朝刊
[自衛隊PKO平和への試練]世界と日本第六部(1)半年の教訓(連載)
◆「現場感覚」欠く政府 給水・医療にも硬直規定
 自衛隊のカンボジアでの活動がスタートして半年。わが国初の本格的なPKO(国連平和維持活動)は順調に推移している。平和維持の手段としてPKOの重要性が増すなか、新たにモザンビークへと国際貢献の舞台を広げる自衛隊。だが、その一方で多くの障害も浮き彫りになりつつある。予防展開や平和執行部隊構想などPKOの予想される活動の広がりに、日本が今後、どのようにかかわれるのか。カンボジアの半年を検証し、国際貢献への道を模索する。
 「単に水を配るだけなら問題ないが、隊員が手を加えた浄水を配る場合は付加価値をつけることになる」
 UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)選挙部門への給水をめぐり、政府としての見解が現地に伝えられたのは昨年十一月だった。
 乾期のカンボジアで、水の確保は悩みの種だ。陸上自衛隊施設大隊は同月四日、UNTACから、タケオ州の選挙部門への給水支援の命令を受けた。
 しかし、この時点で、大隊の活動内容を規定した実施計画に「給水」の概念はなかった。大隊は「人道的見地」から給水に踏み切ったが、「正式業務として行うには実施計画を変更する必要がある」とする政府からは「フライングでは」との批判も飛び出した。
 「水・燃料の補給」を盛り込んだ実施計画が閣議決定されたのは、命令から一か月後の十二月四日。「付加価値」という理屈に、幹部隊員は「そこまで難しく考えなければ、水一つ動かせないとは」と、当時を振り返った。
 派遣から半年。自衛隊初のPKOは、本来任務の道路、橋の補修で、高い評価を受けている。が、PKOをめぐる国内の法体系と、現場との間に横たわる「落差」に、複雑な思いをかみしめた隊員は多い。その要因となったのが、部隊の行動を厳格に規定した実施計画、実施要領だ。
 二月十二日の閣議決定で、新たに正式業務として加えられた医療。ある医官は「僕らにとって実施計画の変更なんて、何の意味もありませんでした」と話す。
 大隊衛生班では、派遣直後から、実施計画にはなかったUNTAC関係者への診察を行っていた。人道的見地から断るわけにいかなかったからだ。「業務」外の患者は二月までに、二百五十人。実施計画の変更は、人道的な見地では説明しきれなくなった現状を追認しただけのことだった。
 UNTACの要請を断った例もある。プルサット州からの選挙用大型テントの輸送、コンポンチュナン・ウェスト空港の整備・・・。安全性の観点から、実施要領でこれらの地区が活動の対象外になっているためだ。
 国内外で自衛隊の活動に懸念を抱かれないようにと定められた実施計画、実施要領。いざPKOの現場に出てみると、優秀な機材と能力を持ちながら相次ぐ要請に、現場の判断では答えられない、という皮肉な事態となった。他国部隊やUNTACには「扱いにくい自衛隊」と映る。
 西元徹也陸上幕僚長は「武力行使が絡む規定は厳格であっていい。しかし、PKO協力法の趣旨に反しない活動であれば、もっと現地の判断に任せる部分があってもいいのではないか」と話す。
 国連の「指図」に従って、政府の「指揮」を受けるという二重構造も大隊を苦しめた。
 二月に仏歩兵部隊への駐屯地整備支援と、ガーナ部隊への輸送支援を始めた時のこと。「他国PKF(国連平和維持隊)部隊の支援なので、官邸で発表したい」という政府の意向を受けて、調整に走り回った隊員に、UNTAC幹部は「その必要はない。お前たちはUNTACの部隊ではないのか」。結局、官邸での発表は実現したが、板挟みとなった隊員は「あんなつらい思いをしたことはなかった」と涙を浮かべた。
 現場での微妙な「PKO感覚」を欠いたまま“内向き”の論議に終始してきた日本。来月には、モザンビークに部隊を派遣する。
 「日本を出る時のことまでしか考えていない。出た部隊をどうするのか。この視点が大事だ」
 大隊幹部は半年の教訓をこう語った。
(社会部 原沢敦)
 
 
 
 
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