日本財団 図書館


2000/07/31 毎日新聞朝刊
[特集]拡大続けた自衛隊 来月、発足50周年(その2止) 脱冷戦へ対応急務
◆陸自に同行ルポ
◇訓練、現実遊離の恐れも−−「市街地」「夜」想定少なく、空自との演習「2回だけ」
 「きめ細かく(作戦を)やってやらないと、小隊みんな殺しちゃうぞ」
 午後10時半すぎ、明かりが外にもれないよう、林間に設置されたテントで、連隊長の太田康和1佐(50)の低い声が飛んだ。首都圏防衛に当たる陸上自衛隊第1師団の第31普通科連隊(埼玉県朝霞市)。7月中旬、同連隊が静岡県の東富士演習場で行った第1中隊の訓練検閲に参加した。
 独立行動できる中隊の訓練検閲は、中隊長(37)の指揮や幕僚、隊員の動きを連隊長が厳しくチェックする真剣勝負の場だ。結果は「優秀」から「不可」までの7段階で評価される。検閲が公開される例は少ないが、全国で必ず行われる重要な演習だ。
 連隊長の厳しい指摘があったのは、中隊長が小銃、迫撃砲、戦車、施設作業の小隊長ら十数人を集めて翌日の夜明けに行う攻撃手順を命令した後だった。中隊長が指揮する約200人は前夜、富士すそ野の山地を徹夜で35キロ移動し、敵に近づいた昼前から偵察、土を掘っての陣地づくりで全員がほとんど寝ていない。緑や黒の迷彩を施した隊員の顔は疲れを見せながら、目だけが光っている。
 「攻撃準備射撃は50分か。長いな。根拠は何だ?」。「相手の制圧など、必要なそれぞれの時間を足しました」。「迫撃砲の弾数は?」「各50発です」。「6門で50発か。10秒に1発落ちるわけだな。それだけを頼りに障害(地雷原)の処理に行くんだな?」。連隊長と中隊長の厳しいやりとりが続く。
 参加する隊員は真剣そのものだが、訓練の想定がどこまで現実的なのか疑問が残る。今回の演習は山地で戦車を持つ敵を破り、陣地を占領するのが課題だ。市街地を想定した訓練は首都圏の部隊なのにほとんどない。隊幹部は「基本的な訓練をやっていれば、どんな場所でも応用できる」と語るが、本格的な都市型訓練施設自体が今年の予算で福岡県に1カ所作ることが決まったばかりだ。
 国土の狭い日本の演習場という制約もある。東富士演習場にはこの日、同行した部隊のほかに、21の部隊が訓練や演習を行うという過密状態。全く別の部隊の銃声が響いて前進途中に急きょ戦闘態勢をとるハプニングも起きた。
 さらに、カーナビとして普及している現在位置を地図上で知ることができるGPS装置は全くないため、この日のように濃い霧や夜間の行動は、磁石と歩測で少しずつ進むことになる。また暗視ゴーグルは連隊に3個しかなく、夜間攻撃が難しいため、攻撃は明け方に行うことになる。以前、「米海兵隊と共同訓練をすると、暗視ゴーグルを全員が持つ海兵隊が、夜間攻撃をしようと必ず提案するので困る」と別の連隊長から聞いたことを思い出した。この日の演習も「翌朝午前4時行動開始、同5時に攻撃」と決まった。
 連隊長に聞いてみた。「航空自衛隊から航空支援を受ける想定の演習はどのくらいやるんですか?」。「私は2回しか経験していないですね。海上自衛隊の艦砲支援がある訓練は一度もないです」。陸自幹部は「空自は敵攻撃機を落とすのに一生懸命で、バッタみたいな陸上戦闘を支援したくないでしょう」と話し、一方で空自幹部は「陸の部隊の近くを飛ぶと、味方から間違って携行ミサイルで撃ち落とされそうで怖い」と話すのが現状で、3自衛隊の連携もスムーズとは言い難い。
 早朝の戦闘は、砂場遊びのように洗面器で作る土のケーキの「地雷原」を処理して突破し、小隊が小高い丘を奪取。旗を立てたトラックで模した「敵戦車」を攻撃したところで、約1時間で終了した。
 「戦争ごっこ」とみれば、そう見える。自衛隊は発足から50年、一度も実際の戦闘経験はない。これらの自衛官たちは、有事の際、実際に働けるのか、働けないのか。高価な武器を持ち厳しい訓練をしながら、機動能力や連携など細かい部分の整備が遅れた自衛隊の現状は、発足当初から憲法や政治状況に左右され、中途半端な立場にあった歴史を確実に反映している。
【前田博之】
◆運用研究
◇有事法制も視野−−武器使用基準、意志決定、戦略行動・・・
 「自衛隊の運用上の重要問題に関する研究」。そう名付けられた幹部会議が、3月30日から5月30日まで計5回、防衛庁で開かれた。目的は、防衛出動に限らず不審船事件など多様な事態に対応するため、今の自衛隊が具体的に活動する運用の場面での課題を平素から検討することにある。会議には長官のほか政務、事務両次官や防衛、運用両局長、統幕議長、陸海空の各幕僚長、情報本部長らトップがずらりと顔をそろえて、自由な議論を行った。
 各回のテーマを見ると、防衛庁の問題意識が分かる。第1回は一般に交戦規程(ROE)と呼ばれる部隊行動基準。昨年3月の不審船事件を受けて「武器使用の基準を定めることがシビリアンコントロール」(防衛庁幹部)との考えで検討が続けられている。
 第2回は部隊行動基準が再度取り上げられたほか、九州・沖縄サミット対策の話。第3回は防衛庁の市ケ谷移転を前に、新中央指揮所の運用と危機管理体制。第4回は情報セキュリティーとIT(情報技術)革命への対策が取り上げられた。5回目は、これまでの検討のまとめとして訓練のあり方が議論された。
 議論に参加した幹部は言う。「日本では敵飛行機を落とすとか戦術技量向上は訓練で行ってきたが、安全保障にかかわるどういう情報があった場合に閣議をどういう形で開くか、部隊移動のための道路交通をどうするかなど、有事法制にからむ分野を入れた戦略行動での訓練はなかった。意思決定の仕方も含めて、研究を深めることを目指す」
 議論では「3自衛隊がバラバラに動くのではなく統合運用をさらに進めて、統合の仕組み自体を例えば統幕会議を米の統合参謀本部のような形にした方がいいという話も出た」という。
 先月26日に起きた伊豆諸島・三宅島の火山活動の翌日、藤縄祐爾統幕議長は防衛庁内の会議で「災害での空輸活動で今後は統合調整が必要になる。昨年の法改正で統幕の権限が拡大されている」と初の調整に乗り出すことを自ら求めた。実際は大災害に至らず、避難方法などを検討していた統幕の活動は注目されなかった。だが、9月3日に東京都の防災演習に統合運用で参加する前に、議長自ら意欲を示したことになる。
 自衛隊の運用の検討は、まだ緒についたばかりだ。
◆合理化
◇人員削減、腰重く−−装備コンパクト化の機運
 韓国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との歴史的な南北首脳会談は6月15日、半島での緊張緩和への期待を込めて終了した。一昨年8月のテポドン発射、昨年3月の不審船事件と、北朝鮮の脅威に対応して情報収集衛星、高速ミサイル艇の開発などの施策を進めてきた防衛庁の佐藤謙事務次官は、南北首脳会談終了後の会見で防衛政策への影響を問われて答えた。「私どもの考え方は基盤的防衛力整備です。これは独立国として最低限の防衛力の基盤をつくるもの。国際情勢を考慮しながら推移するが、あくまで基本は基盤的防衛力整備です」。防衛計画大綱にある基盤的防衛力の言葉は、半島情勢が緩和しても大幅な軍縮は行わないとの意味で使われた。
 現在の防衛大綱は1995年11月、冷戦終結から5年余を経て閣議決定された。陸上自衛隊の18万人の定数を、年30日の訓練を受ける即応予備自衛官1万5000人を含む16万人に削減。戦車1200両を900両に、護衛艦60隻を50隻に、戦闘機350機を300機に減らすことも定めた。防衛庁は、東アジアは欧州に比べて冷戦終結の影響は少ないとしており、主要国に比べて日本の軍縮規模は小さい。その削減にしても「人員削減は定数割れの現実に合わせ、装備も旧式のものを整理しただけ」との批判がつきまとう。
 そんな中で、防衛庁内には装備をもっとコンパクト化できるという発想も出てきている。例えば戦車は長距離移動の難しいキャタピラー式ではなく、タイヤ式の装甲車タイプにしたらどうかなど、抜本的な検討を求める声もある。
 防衛庁は来年度からの中期防策定や予算編成に向けて25日、庁内にITの高度化への対応を検討するグループを設置した。新しい装備競争に取り組むには、多額の費用がかかることが予想される。
◇自衛隊50年の動き◇
1945年
8月
第二次大戦終戦
 
9月
GHQ(連合国軍総司令部)設置
47年
5月
日本国憲法施行
50年
6月
朝鮮戦争ぼっ発
 
7月
マッカーサー元帥、警察予備隊(自衛隊の前身)創設と海上保安庁の増員を許可
 
8月
警察予備隊一般隊員募集開始
51年
9月
サンフランシスコ講和条約、日米安保条約調印
 
10月
台風で初の災害救援出動
52年
10月
保安隊発足
53年
4月
保安大学校(後の防衛大学校)開校
 
7月
朝鮮戦争休戦協定調印
54年
7月
防衛庁設置、陸・海・空自衛隊発足
57年
5月
「国防の基本方針」閣議決定
 
6月
「防衛力整備目標」(1次防)閣議了解
60年
1月
日米安保新条約署名(6月23日発効)
62年
11月
防衛施設庁発足
69年
11月
「安保条約継続、72年沖縄返還」の佐藤・ニクソン共同声明
72年
5月
沖縄返還
76年
9月
ソ連のミグ25、函館空港に強行着陸
79年
12月
ソ連、アフガニスタン侵攻
80年
2月
海自、リムパック(環太平洋合同演習)に初参加
81年
10月
陸自、初の日米共同訓練
85年
4月
米空軍戦闘機F16、三沢に配備開始
 
9月
「中期防衛力整備計画」閣議決定
86年
10月
初の日米共同統合実動演習
89年
12月
マルタの米ソ首脳会談で冷戦終結宣言
90年
8月
イラクがクウェートに侵攻
91年
1月
多国籍軍、イラク空爆開始
 
4月
掃海艇など6隻をペルシャ湾に派遣
92年
9月
カンボジアPKOの第1次部隊派遣
95年
1月
阪神大震災で災害派遣
 
3月
地下鉄サリン事件で災害派遣
98年
5月
インド、パキスタンが核実験
 
7月
海・空自と露海軍の初の共同訓練
 
8月
北朝鮮が日本上空を越えるミサイル「テポドン」発射
99年
3月
北朝鮮からの不審船が領海侵犯。海自に初の海上警備行動発令
 
5月
日米防衛指針(ガイドライン)関連法成立
(この記事にはグラフ「各国陸上兵力の変化」があります)
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION