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1997/06/21 毎日新聞朝刊
[徹底解説ガイドライン]/7 医療 時代と共に国民意識変化
 
 イラン・イラク戦争さなかの1984年3月13日、負傷したイラン兵2人が来日し、東京都新宿区の東京女子医大病院に入院した。
 同27日の衆院科学技術委員会で、この件が取り上げられた。
 小川新一郎議員(公明)「戦争当事国の負傷者治療は、戦争に加担すると非難される恐れが出る。第一線に復帰すれば、後方野戦病院の任務を果たすことになり、戦争に介入していると解釈されても仕方がない」
 北川石松外務政務次官「戦争だけじゃなく、病気でも、日本を頼ってこられた者は受け入れなければならない」
 他国兵士の国内治療に関し、内閣法制局は一貫して合憲の見解を示している。
 「病院提供は軍事行動とは認められない」(59年・参院予算委)、「負傷した兵隊を自衛隊の病院等で治療する医療行為は、現在の法制上も可能」(96年・衆院安全保障委)
 明確な答弁とは裏腹に政府はこれまで、交戦国の医療にかかわることを国の立場では意識的に避けてきた。イラン兵の来日治療の際も、事前に知った外務省はイラン大使館に「入院先は国立病院を避けてほしい」と申し入れた。国立病院での治療が「国の行為」とみなされることを恐れたのだ。
 「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」見直しでは、日本周辺有事の際、対米後方支援として「日本に後送された傷病者の治療」が、検討項目となった。施設は民間の病院のほか、国立はもちろん、全国の自衛隊病院が含まれる。しかし今回、医療支援を問題視する動きはとりたててない。負傷者の治療は人道的観点から当然という感情が大きく左右しているようだ。
 ベトナム戦争当時、多くの米兵が直接ベトナムから米空軍横田基地に運ばれ、各地の米軍病院に入院した。68年3月、東京・王子に米軍病院が開院された際は都議会や北区議会が反対を表明。過激派学生が「“野戦病院”開設反対」を掲げてデモを行い、病院内に突入する騒ぎも起きた。防衛庁は「今では、そのような事態が起きるとは考えられない」(防衛政策課)と楽観する。国民の意識が時代と共に変化したことが、指針見直しの環境づくりに大きな役割を果たしたとも言える。=つづく
 
 
 
 
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