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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1998年3月号 正論
拝啓 広島県教育委員会殿 第2弾
教育正常化への戦い
歴史教科書研究家●上杉千年(うえすぎ ちとし)
 
一、九・九・一ショック
 
 広島県教育界は、「日の丸・君が代」批判を通じて「反天皇制教育」が推進され、〈校長を中心とする管理体制に混乱と無秩序を引き起こし、学校現場を実質上の人民管理にしようと策動してきた〉(県議会・昭和六十年三月六日、戸田一郎県議質問)日教組系教員組合のために教育現場は荒廃していった。
 この結果、高校進学率は九六・六%で全国第三位で大学進学率は全国第一位であるのに、昭和五十九年度の国立大学合格者はわずか九・四%であり、隣県の岡山県は二一・三%、愛媛県は二四・九%と高率である。特に、注目すべきことは、県内で広島大学合格者が広島総合選抜六校で一校当たり四七・八人であるのに、福山選抜五校で一校当たり二・六人という具合で福山市内の荒廃ぶりが顕著であることである。
 こうした現状を打破するために、昭和六十年三月二十二日に木山徳郎県議会議長は、二月県議会の教育荒廃克服の論議を受けた形で竹下県知事と熊平県教育委員長に対して、〈本県教育については、荒廃の最大の元凶が日教組の組合活動理念の教育現湯への持込みと、・・・さらに高同教、広同教の不正常な活動がそれに拍車をかけ学校管理体制の正常化を妨げている実態が明白となった〉(高同教とは広島県高等学校同和教育推進協議会、広同教とは広島県同和教育研究協議会)として、〈この際、知事、教育委員会、議会の三者は知事を先頭に不退転の決意で教育正常化への取組みを行うこととし、知事および県教育委員会は、この決意を適当な時期に当該団体へ通告しその改善を求めるよう強く要請するものである〉という「要請文」を提出した。
 この「要請文」の提出に合わせて、自由民主党議員会の「県勢活性化対策調査会」(開原真弓会長)も教育正常化を柱とする提言を知事と県教育委員長に提出した。
 ところが、昭和六十年八月十三日に開催された県議会各派代表者会議で、〈要請文の内容に誤認の向きがあったので(要請文を)撤回する〉と木山県会議長より発言があり、知事・県教育委員長にも伝達され、突然の呆気ない幕切れとなった。
 そうして、九月十七日には、「広島県における学校教育の安定と充実のために」と題する「八者懇談会合意文書」が発表された。その内容は、「県議会議長要請文」の主旨の片鱗もないものであった。さらに、県教育委員会は、平成五年の『同和教育研修資料』の中で「県議会議長要請文問題」の項目で、〈「要請文」は県議会内各派の了承を得ないまま出されており、議会制民主主義の基本的ルールに反するものであった〉従って、〈教育現場にも大きな混乱を与えるものであった〉と徹底的に批判攻撃している。
 大体、こうした「八者懇談会合意文書」なるものを県知事・県議会議長・県教育委員会教育長が教職員組合やその支援民間団体と締結すること自体が教育行政の筋を破壊するものである。教育は、国民の負託に応じ議会制民主主義のルールに従って実施するものであって、日教組系教員組合や民間団体と直接的にキャッチボールをして決定すべきものでは断じてないのである。県会議長すら「要請文」の提出という良識を守って行動しているのに対比して、県教育委員会の無法ぶりは論外である。
 この「県議会議長要請文」反故事件によって、良識ある県民は無力感に襲われ、教員組合等の反日勢力は教育委員会や管理職まで味方にして暴走を続けることになる。
 そして、ついに、反日教育の究極の公文書を教員組合等が獲得するに至った。それが、平成四年二月二十八日の菅川(すげかわ)健二広島県教育長による「日の丸、君が代」批判の「反天皇制教育」推進を容認した「菅川確認書」「二・二八文書」であった。
 この「二・二八文書」により、〈文部省がまとめた平成六年度卒業式の国旗掲揚・国歌斉唱率によれば、広島県の国旗掲揚率は小学校八二・七%(全国最低)、中学校七九・二%(同)、高校一〇〇%、国歌斉唱率は小学校三七・四%(全国最低)、中学校三六・九%(下から三番目)、高校二五・二%(下から五番目)という数字になっている〉(『産経新聞大阪版』平成九年九月一日)。尚、この国旗掲揚には、「三脚で会場に設置する」という「日の丸三脚掲揚」等が存在しているのである。
 このように、県教育委員会を頂点として地方教育委員会と管理職が教員組合等と一体化して反日教育を推進しているところへ、『産経大阪版』が平成九年九月一日(東京版は八月三十一日)に一面十段抜きで、「広島県教委『国旗・国歌』の自粛文書 平成四年、県高教組に提示 指導要領逸脱の疑い」と題して大々的に報道し、三面には「菅川確認書」「県教委の文理解釈」を全文掲載した。そして、翌二日(東京版は九月一日)には「社説」に相当する「主張」欄に、「国旗・国歌の尊重は国際常識」と掲載した。
 一方、『正論』平成九年十月号には、拙著『拝啓 広島県教育委員会殿―反日教育の“元凶”を破棄せよ』という論文で福山市立城北中学校の「反天皇制学習」の実態を同校教諭で平成九年四月に同市立加茂中学校に不意転になった佐藤泰典教論の体験を通して詳細に報告したものが掲載された。
 ここに、広島県民は、憂うべき教育界の実態を知り、県教育委員会もその対応を迫られ、教育組合も“積極的黙殺”と称して事態の沈静化に努めることになった。まさに「九・九・一ショック」とも称すべき影響を与えるに至った。
 
二、反日的「菅川確認書」を要約した「木曽・新見解」
 
 「二・二八文書」(平成四年二月二十八日発出)は、県教育長の発出した公文書であるから、当然、文部省も強い関心を示した。
 文部省は、同年三月三十一日と六月二十二日に広島県教委と詳細な説明会を持っている。この辺の事情を児玉光禎著『広島県教育の問題点』(清風社刊)により紹介すると。
 第一回の文部省のコメントと県教委の回答は、
◆文部省、「苦心の作であることは理解できる」「このペーパーは、今後、県教委の動きを拘束するか」。県教委、「約束の文書であるから、この内容について拘束される」。
◆文部省、「今後とも、運動団体に対して、このような文書をあまり出さないでいただきたい」。
 第二回は、文部省は、次の如く厳しく指導したという。
(1)学習指導要領を否定する内容のものである。
(2)破棄ないしは無効にすべく最大限努力せよ。
(3)今後の取り組みを連絡せよ。
(4)文部省はバックアップする。
 以上の文部省の行政指導に対して、広島県教委は全く馬耳東風であったようである。その一つの理由に・菅川健二県教育長は、この「二・二八文書」を教育行政の功績として左翼勢力からの評価を期待していたのではなかろうか。この推測は、単なる風聞ではなく、平成五年十一月の広島県知事選に日本社会党等の推薦で出馬して落選している。しかし、平成七年夏の参議院選で広島県選挙区より新進党公認で出馬し当選していることにより立証されるという。
 さて、「九・九・一ショック」の波紋は県議会での石橋良三議員等の質問攻勢として、現実化してきた。
 
「反天皇制学習」容認の「菅川確認書」を糾弾
 
 広島県議会では、平成九年九月二十九日の本会議で自由民主党如水会の石橋良三議員(広島市宇佐南区選出)が「反天皇制学習」容認の“元凶”となっている「菅川確認書」について質問し、その具体的な事例として『正論』掲載の小論により、福山市立城北中学校の「日の丸・君が代・元号」反対の「反天皇制学習」とそれと闘った佐藤泰典教諭の行動を紹介し、さらに、福山市教育委員会の常軌を逸した人事権の濫用の実態を糾弾した。
 この質問に対する木曽功県教育長の答弁は、何に遠慮しているのか極めて消極的な発言に終始していた。
 
1、「菅川確認書」は、違法文書と指摘
 
◆石橋議員質疑
 去る八月三十一日の『産経新聞』の一面に大変ショッキングな報道がなされました。
 すなわち、本県教育委員会が平成四年に、入学式・卒業式の国旗掲揚、国歌斉唱にブレーキをかけるような文書を当時の菅川教育長名で県高等学校教職員組合に提示していた、というものであります。
 その文書は、「二・二八確認書」とか「菅川確認書」などと呼ばれているようですが、内容は、日の丸を「侵略や植民地支配に援用された」などと敵視し、君が代の歌詞についても、「憲法になじまない」「差別につながる」などと批判しており、国旗・国歌の尊重を求めた現行学習指導要領を逸脱するようなものとなっております。
 さらに、この文書の趣旨を徹底させるため、県教育委員会から「文理解釈」が示され、現状のままでは、国旗の掲揚も、国歌の斉唱もできないと思わせるような内容とされております・・・。
 本年八月の文教委員会での「学習指導要領は法的拘束力を持つか」との私の質問に対して、教育長は、「学習指導要領は法的拘束力を持つ」と明確に答えられました。
 その学習指導要領で、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとす」と規定している限り、日本国内すべての地域で遵守すべきことは明白であります。
 明らかに間違った認識を持った菅川氏という教育長により作られた「二・二八確認書」は何ら法的拘束力もなく、直ちに破棄すべきものと考えるのであります・・・。
 そこで、この確認書による恐るべき弊害を提示します。
 ここに、一九九五年度版の『加茂の教育』という、福山市立加茂中学校の冊子がありますが、この中の人権学習指導案のねらいとしてこう書かれております。
○「日の丸・君が代」が、現在学校の入学式、卒業式に強制されている現実を知らせる。
○「日の丸・君が代」の歴史を簡単に学習する中で、「日の丸」は国旗でないし、「君が代」も国歌でないことを知らせ、「日の丸・君が代」の強制に対してどう思うか、考えを交流しあう。
 このように、「日の丸は国旗でないし、君が代も国歌ではない」ことを知らせるという、明らかに学習指導要領を逸脱した授業が歴然と行われているのであります・・・。
 実は、こんなことは加茂中学校だけで行われているのではなく、私の調査では数校みつかっているのであります。
 以上の如く、石橋議員は、「菅川確認書」の違法性と同確認書によって実施されている教育の実態を追究したのに対して、木曽県教育長の答弁は、つぎの通りである。
 
◆木曽教育長答弁
 「日の丸」「君が代」につきましては、法令上の規定はございませんが、長年の慣行により、我が国の国旗・国歌として国民の間に定着していると認識しております。
 加茂中学校の事案につきましては、現在把握することができておりませんので、福山市教育委員会の報告を受けて、事実関係を詳細に検討し、対処したいと考えております。
 教育委員会といたしましては、加茂中学校に限らず、学習指導要領を逸脱している事実があれば、関係市町村教育委員会を適切に指導し、是正を図りたいと考えております。
 右の如く、形式的な官僚答弁のモデルの如きもので、全く、違法かつ非常識な教育実態への反省は皆無の答弁であった。
 
2、福山市教委の「佐藤教諭の反省文」偽造事件を糺明
 石橋良三議員は、福山市立城北中学校佐藤泰典教諭の平成九年三月に第三学年の担任クラスでの「日の丸・君が代・元号」に関する授業が『菅川確認書』に違反するとして糾弾され、同市立加茂中学校に四月一日に不意転され、連日にわたって福山市教育委員会により査問されたことを質問した。それは、『正論』を引用しての追及であった。
 
◆石橋議員質疑
 転任すると連日のように福山市教育委員会に出頭を命ぜられ、事情聴取と糾弾を受けた。そして、四月七日の始業式より四月十七日まで授業停止処分を受けた、とのことであります。
 そこで意外な事実が判明いたしました。
 それは、福山市教育委員会による事情聴取の過程で、福山市教育委員会学校教育部長は、その教諭が同和対策審議会答申にもある教育の中立性に従って授業を行ったと主張し、その文書を示したところ、その文書と主張を退けさせ、代わりに「二・二八確認書」を示し、「日の丸・君が代についての県教育委員会の解釈がここにある。県のトップがこういう確認書を出しており、君も行政の一員であるからこれを守らねばならない」と、反「日の丸・君が代・天皇教育」をしなかったことを厳しく指摘した、とのことであります。
 また、この教諭が間違ったことをしていないという強い信念を持っていたため、福山市教育委員会同和教育指導課長が、「一人で反省文を書くのは大変だろう」ということで、「『日の丸』『君が代』等に関する授業の反省」という、課長自身が作成した文書を、その教諭の謝罪文として謝罪を促そうとした、とのことであります。
 本来、法を守るよう指導すべき立場の行政が、このような指導をすることは、学習指導要領を著しく逸脱するものであります。
 さらに、九月十七日に発行された『解放新聞・広島県版』には、課長が作成した謝罪文が本人のものとして引用されたのであります。
 
 この質問に対して、木曽県教育長は、〈福山市教育委員会からは、校長の了解のもとに、城北中学校での授業内容等に係る課題整理についての相談や助言を行ったものと聞いております〉と全く不誠実な答弁に終始して「佐藤教諭の反省文」偽造と配布事件には言及しなかった。
 この「『日の丸』『君が代』等に関する授業の反省」という福山市教委の偽造文書は、平成九年四月十二日(土)の休日に佐藤教諭が同市教委に呼び出された時に、同和教育指導課・高橋課長自身がワープロで打ってきたものを佐藤教諭に示して、教諭がワープロで打ち直し清書して市教委へ提出せよと強要したものである。しかし、教諭はそれを強く拒否して応諾しなかった。
 その偽造の反省文は、〈私は、去る二月十五日と十八日に、城北中学校三年生の私が担任する生徒を対象に、私の考え方にそって「日の丸」「君が代」を肯定する授業を実施しました〉。このことは、〈教員として授業という公の場において、反論したり拒否したりすることの困難な子どもたちに対して、私の考えを一方的に伝えようとするものでした〉。そして、この授業をしたのは、〈私と意見の違う教員に対する反発心から実施したものでした〉。こうした非教育的な発想より、〈「意見の違う教員との対抗」ということに気を取られてこうした授業をおこなってしまった自分を情けなく思う気持ちで一杯です〉。そこで、〈皆さんが色々と指摘されることは当然のことだと考え、申し訳ないことをしたと深く反省しています。現在、教育委員会の指導を受けながら総括に取り組んでいます。今回のことを肝に銘じて、これからの教員生活をどこまでも子どもとともに歩んでいく決意を新たにする〉というものである。
 このように、「菅川確認書」に従った福山市教委の教育指導は、第四回告示・学習指導要領(平成元年三月十五日告示)の、〈入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする〉(小中高校共に同文)という主旨に即応した授業は絶対容認しないというものである。
 それにしても、市教育委員会が佐藤教諭の『反省文』と称して、各方面に偽造文書を流し、それを県議会で糾弾されても柳に風と聴き流す県教育委員会の態度には呆れ果てるばかりである。
 
「菅川確認書」を要約した「木曽・新見解」
 
 広島県議会では、平成九年十月十七日(金)の文教委員会で石橋良三議員等が『菅川確認書』関連について質問を行った。その要旨は、
 
◆石橋委員質疑
 「二・二八文書」の文理解釈の中に、いわゆる「日の丸・君が代」は、国民の十分なコンセンサスが得られていない状況にあると書いてあるが、そういうことはないのではないか。
◆木曽県教育長答弁
 「二・二八文書」、「菅川確認文書」のことだが、個々の表現については、五年前の当時の状況の中でつくられたことなので、そういう表現になっていることもあるが、現時点において、県教育委員会としては、どう考えているかということを話させてもらいたい。
 国旗・国歌の扱いは、学習指導要領に基づいて行われる事柄である。これは大原則であり、その際、広島県の実情を踏まえ、国旗・国歌に関する学習指導要領に定められた内容とともに、過去の歴史的経緯もあわせて教育内容とすることが適切であると考えている。
 ただし、その教育内容については、当然、学習指導要領に基づき、かつ、一般的社会常識の範囲内である必要があるととらえている。今後、国旗・国歌については、こういう基本的な考え方で指導していきたい。
 
 この『木曽新見解』なるものを平成九年十月二十四日付で県教育長名で教育事務所を通じ各地教委に通知した。それは、
 
 国旗・国歌の指導に関する基本的な考え方について。
 
 国旗・国歌の取扱いは、学習指導要領に基づいて行われることがらである。
 その際、広島県の実情を踏まえ、国旗・国歌に関する学習指導要領に定められた内容とともに過去の歴史的経緯をあわせて教育内容とすることが適切である。
 ただし、その教育内容は学習指導要領に基づき、かつ一般的社会常識の範囲内である必要がある。
 
 この「木曽・新見解」を受けて、福山市教委は、〈国旗・国歌の教材化にあたり、戦前の歴史的経緯に重きを置いた指導がなされている実態は、教職員組合等の働きかけもあって、「県教育長の一九九二・二・二八見解」を一方的に解釈し、学習指導要領を踏まえた指導となっていなかった結果と考えられる。今後は、これまでの経緯にとらわれることなく、平成九年十月十七日付の広島県教育委員会教育長通知(「国旗・国歌等の指導について」という標題=筆者注記)及び同日の広島県議会文教委員会での広島県教育委員会教育長の「新たな見解」にそって対応するよう各学校を指導してまいりたい〉としている。
 
 この「木曽・国旗・国歌の新見解」は、〈学習指導要領に定められた内容とともに過去の歴史的経緯をあわせて教育内容とすることが適切である〉としている如く、『菅川確認書』を“要約”したものである。この〈過去の歴史的経緯〉とは、「菅川確認書」の、〈君が代については歌詞が主権在民という憲法になじまないという見解もあり、身分差別につながるおそれもあり、・・・日の丸は、天皇制の補強や侵略、植民地支配に援用されたこと、これからもそのあやまちを繰り返すおそれを、日の丸のもつ問題として〉教育する必要性があるとした文言を端的に表現しているものである。
 即ち、「木曽・新見解」を容認することは、「菅川確認書」を容認することに通ずるものである。
 
三、反日教育県広島をルポ
 
 広島県の「反天皇制学習」が県教委通達による「菅川確認書」にあることを『正論』(十月号)に執筆すると広島県内の教師をはじめとして多数の方々より電話や手紙を頂戴した。
 そこで、現地に出向いて実際に見聞しようと思っていたところへ、石橋良三県議の御配慮で十一月二十一日(金)夜に約四〇〇人以上の広島市民を中心とする方々にお話をする機会を得た。その参会者の方々を始めとしていろいろな方々と懇談したり電話取材してみて、これが法治国家の中にある県とはと絶句する話の連続であった。
 広島へ出発前に『ゼンボウ』(平成九年十二月号)の小田勉著「自殺者続出!!疑惑渦まく広島・千代田町の“怪”」を読み、課長四名自殺し二十名以上も中途退職との記事にショックを受けた。そして、広島に行って、二度ビックリしたのは、福山市教育界では管理職を中心として十名以上がある時期に自殺したという話である。
 筆者の周辺でも最近教育管理職一人がノイローゼ気味で自殺したが、その警察の事情調査たるや実に徹底したものであった。こうした警察の調査があればこそ第二、第三の自殺が予防できるのである。
 広島県では一体どうなっているのかと、その捜査実態を知りたい欲望にかられたと同時に広島県の暗黒教育の実態の一端に接した思いがした。
 次に、その実態の紹介と共に、暗黒教育・反日教育の打破に挺身している方々をも紹介しよう。
 
教育正常化の旗手・児玉光禎市議
 
 広島市と合併する前の五日市町の町会議員児玉光禎(みつまさ)氏は、五日市町立南小学校PTA会長に昭和五十九年に就任して、荒廃した学校教育の現状に遭遇し、五日市町が広島市に昭和六十年に合併されてより現在まで広島市議会議員(広島市佐伯区)として、終始一貫して教育正常化に挺身されている。
 その活動は、次の三冊の「教育正常化シリーズ」(広島市中区八丁掘二―四―四〇二 清風社刊)に記録されている。特に、第三作には、「菅川確認書」問題にまで言及してあり、広島県の「反日教育」の実態の歴史と現状を知る上での必読書である。それは、
◆第一作・『教育正常化をめざして』(平成四年九月十二日刊)
◆第二作・『教育県広島は再生できるか』(平成六年九月二十日刊)
◆第三作・『誰も語らない広島県教育の問題点』(平成九年十月二十八日刊)
 この三部作と児玉氏の話とをまとめて彼が教育正常化にいかに挺身してきたかを紹介しよう。
 昭和六十三年九月二十五日の市立五日市町南小学校の運動会当日のセンターポールには「日の丸」が掲揚してなかった。PTA会長の児玉氏は、開会式の祝辞の中で、その状況を「寂しくて悲しい光景である」と表現した。そして、演台を降りてきた児玉氏に一人のA教師が近づいてきて、非難の言葉を吐き捨てるように言い、激しい抗議姿勢で対峙してきた。しかし、児玉氏はそのまま自席に戻った。
 さらに、運動会が終了し知人二人を同乗させて車で帰ろうとすると、例のA教師が他の二人の教師を誘って抗議にきた。しばらく問答していると知人二人が子供達が教室で待っているのだから早く教室に行きなさいと忠告して事態は一応おさまった。
 実は、国旗不掲揚は、運動会の当日、七時三十分頃に学校長が「日の丸」を掲揚するため掲揚台に近づこうとしたところ、掲揚反対派教師に実力で阻止されてしまったのであった。この昭和六十三年度の運動会での国旗の掲揚状況は、佐伯区内の十二校中四校のみが掲揚という状態であった。そして、運動会で問題なのは、国旗掲揚問題のみならず、選手リレーを差別・選別の観点から行わない学校が五校もあった。又、市水泳記録会及び市陸上記録会にも出場させない学校が三校あった。
 ましてや、日教組運動ともなれば違法・非常識な行動は数限りないという状態であった。同年九月二日の組合の教育研究会へは、年休もとらず校長の指示を無視して無断参加をした教師のいる学校が八校で六十一名もいた。こうした過激派の教師の中に例のA教師もいるのである。
 A教師は、昭和五十一年から五十三年にかけて、成田闘争参加・校務拒否・左翼偏向教育と数々の問題行動で昭和五十三年六月十六日(金)に担任学級五年の児童三十二名中二十九名が登校拒否(二名登校、一名欠席)し教覚寺に集合する事件に発展し、休職処分となり、研修所に入ったという人物である。
 この運動会国旗掲揚妨害事件に関して、南小学校の校内研修(九月三十日)で「開会式での児玉発言には問題がある」として校長より申し入れをするよう発言があり学校長が児玉氏に伝達してきた等の経緯を踏まえて、児玉氏は、この真相と教育の正常化を念願して、「南小学校に何故日の丸が揚がらなかったか」を個人名で執筆して十月に校下全体に手配り等で一斉に配付した。続いて、南小学校分会の「南小分会ニュース」(十月十七日付)を受けて、「南小学校に何故日の丸が揚がらなかったか・第二報」を作成し十一月に配布した。
 この「第二報」には、「南小分会ニュース」(十月十七日付)を実物大で転載し大反響を呼んだ。その内容は、「侵略の旗 日の丸はいらない!」と冒頭に大書している。又、昭和天皇の御病状について、〈天皇ヒロヒトが死の床に横たわっている今、悲しむべき理由は二つある。第一は、彼がここまで、生き永らえてきたことだ。二番目には、二〇世紀の最も愚かしい罪業の数々に対して彼が罰せられることなく死ぬことである・・・〉等非常識な暴言の連続である。この「分会ニュース」の執筆者がA教師であった。
 こうした児玉氏の勇気ある行動に共鳴した町民が「南小学校教育を守る会」を十一月十三日に結成し、さらに、十一月二十七日に南小学校体育館で住民大会を開催するに至る。このことは、『自由新報』(十一月二十二日付)にも大きく報道された。
 これ以降、児玉氏は、広島市議会で教育正常化のため八面六臂の活動を展開し、教育正常の旗手となるのである。
 
「反天皇制学習」を誓約する広島県公立中学校長会
 
 全日本中学校長会は、平成九年五月二十九日に東京で定例総会を開催し、総会行事終了後、「皇居参観と天皇拝謁」が実施されることになった。そこで、同年三月十日に全日中事務局から広島県公立中学校長会事務局へ五名の参加割当て人数が通知されてきた。
 そこで、県中事務局は、希望者を募る手続きを開始した。ところが、この日程が広島県教職員組合の知るところとなり、十七日には「公開質問状」が届けられ、二十四日には両者の会談となり、広教組は「皇居参観・天皇拝謁」を拒否するよう強く求めた。このように校長会の非公開事案が右から左に組合の知るところとなるのは、校長の中に熱烈な組合支持者が相当数いて通報するとの噂であった。さらに、三月二十七日には民間団体よりも抗議文が届いた。
 さて、こうした抗議に盲従した広島県公立中学校長会(会長・玉岡重就)は、四月七日に全日中事務局に電話で「皇居参観・天皇拝謁」に参加しないことと、今回のこの企画そのものを見直してほしいとの要望をもしたという。さらに、五月十六日の校長会総会で全校長によって「皇居参観・天皇拝謁」に参加しないことが確認された。さらに、同月二十七日には全日中理事会にて次年度からの見直しをも要請するという、徹底した反天皇制の立場を明確にした。
 中学校長会が民間団体にまで反省文を提出している。その文面(四月十一日付)は、〈この度「皇居参観・天皇拝謁」の問題について、・・・何らの問題意識すらもたず全日本中学校長会の企画を追認してきた我々の体質を反省する〉、そこで、今後は、〈これまで問題意識をもたず追認してきたことを深く反省し、広島県公立中学校長会は皇居参観並びに天皇への面会の企画には参加しないことを表明する〉とした。
 この文章には、学習指導要領の『小学校編』の「社会」の「第六学年」に示す、〈天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること〉の教育理念は全く存在しない。
 即ち、この反省文は、反天皇制の立場を明示したもので、この立場に立脚する教育が「反天皇制学習」ということになる。
 まさに、「菅川確認書」に従って福山市教委の強力な指導のもと同市内各校で公然と実施されている「反天皇制学習」に広島県公立中学校長会が追随を表明して誓約し、全校長が異議なく賛同したという画期的な大事件である。
 こうした広島県の情勢を日本青年協議会(東京都目黒区)の代表椛島有三(かばしまゆうぞう)氏は、「広島の教育界は革命前夜である」という論文をその機関誌『祖国と青年』(平成九年十二月号)に発表している如く、広島は「反天皇制学習」教育のメッカと化している。
 
『加茂の教育』にみる「反天皇制学習」の成功
 
 広島県議会・文教委員会で平成九年十月十七日に石橋良三県議が問題化していた『加茂の教育・一九九五年版』について、県教育長は、〈この『加茂の教育』という冊子は福山市立加茂中学校の教職員が学校内で研修するために、平成七年度の同和教育を中心とした事項の教育実践をまとめた資料である。県教育委員会としては、国旗・国歌等の指導が、学習指導案どおりにされていたとするならば、学習指導要領の趣旨に照らし、問題があると考える〉と答弁した。『加茂の教育』は、「福山市立加茂中学校」の名義により刊行されていて、同中学校で印刷し、製本は業者が行って、製本代はPTA会費で支払っている。
 この『加茂の教育』を通読してみたが、反「日の丸・君が代・元号」教育と我が国の侵略戦争批判・植民地政策批判のオンパレードである。こうした同じような内容を中学三年間繰り返し聞く生徒の心境やいかにと思った。
 その中で、一九九五年度版は、加茂中学校の「人権学習」の目的・方法が明確に示されている。その「一学年 人権学習指導案」をみると、「1。日時 一九九六年二月九日(金)、二月一六日(金)」と二回実施する。「2。ねらい 日の丸・君が代が、現在学校の入学式、卒業式に強制されている現実を知らせる。日の丸・君が代の歴史を簡単に学習する中で、日の丸は国旗ではないし、君が代も国歌ではないことを知らせ、日の丸・君が代の強制に対してどう思うか、考えを交流しあう」とある。
 そして、第三学年では「1。卒業証書と元号」問題として、「2。教材設定の理由 三学年では、就職試験や入学試験での願書の記入時や卒業式にもらう卒業証書を通じて、直接私たちに関わってくる『元号』の由来やその持つ意味について学習をし、元号が国民主権の民主主義の社会では矛盾していることを学習する」とある。この学習の結果、卒業証書に西暦を求めるよう生徒を誘導する。そして、加茂中学校での卒業証書の歴史を実物をコピーして表示してある。
 それによると、昭和六十二年三月十日の卒業証書までは「元号」のみ、六十三年三月九日の卒業証書では「西暦」「元号」の併記、平成元年三月十日には「西暦」「元号」の併記と「西暦」のみの二種類の卒業証書となっている。こういう二種類の卒業証書は加茂中学校のみではないのである。かくして、昨年度は全員に西暦のみの卒業証書を加茂中学校では授与されている。まさに、「反日教育」革命は実現しているのである。
 
反日教育の“元凶”を破棄せよと県民決起す
 
 広島県教育界の荒廃を憂える声が大となり戸田一郎県議(福山市)等の議会活動となり、昭和六十年には県議会議長が県民の声を代表して県知事・県教育委員長に対して教育正常化の「要請文」を提出するに至った。しかし、これが反天皇制教育を主張する勢力の攻勢により、県会議長が「要請文」を撤回し、事態は一層悪化してしまった。
 これ以降良識ある県民の全県的な活動は沈滞してしまった。こうした情勢の中で福山市の中学校教諭佐藤泰典氏の勇気ある行動となり、『産経新聞』『正論』等の報道となってきた。
 ここに、再び、全県的な教育正常化の声が高揚してきた。平成九年十一月二十三日には日本会議の広島県支部の結成大会が開催された。その折に、「日本会議広島」(会長・岡本繁医師)として、「広島県教委の反『国旗・国歌』教育の是正を求める決議」を行った。その決議文は、
一、文部省、広島県教育委員会は、この度の福山市で起きた佐藤泰典教諭授業停止処分事件の真相を徹底的に解明し、国民、県民の前に明らかにすること。
一、広島県教育委員会は、「二・二八文書」を即刻破棄し、学習指導要領の趣旨に沿った教育を行うよう、小・中・高等学校で行われる教育内容を総点検し、適切な指導・監督を強化すること。
一、憂うべき広島県教育界の実情を正すため、早急に国会議員の調査団の派遣を強く要望する。
 この決議に従って、加盟団体の「日本青年協議会広島」(蓼征雄代表)は、若い青年の行動力をもって大車輪の活動を展開している。
 しかし、県教委・校長会のガードが固く反日勢力との二人三脚で事態の沈静化のみを念願している。この情勢の打破の鍵は、自由民主党の国会議員団の来県によって反日教育の実態の糾明以外には道なしとの声が高い。
 
四、「反日教育」の“元凶”破棄の成否をにぎる国会議員調査団
 
 広島県教育界の異常な実態が紹介されると自由民主党本部も関心を寄せ、特に、教育問題連絡協議会(会長・奥野誠亮衆議院議員)は最重要課題として論議を開始する方針であることを察知した石橋良三県議は、同協議会の有力議員に「資料」多数を添付して「請願書」(平成九年十月二十一日付)を送付した。
 その結論は、〈是非とも広島県へ協議会による調査団の派遣をお願いし、広島県教育の実態をつぶさに見聞していただきたいのであります。今や広島県教育の改革は、恥かしながら外部からのお力添え無くしては遂行はおぼつかない状態であり、緊急外科手術の必要があります〉と、国会議員団の派遺を切望された。
 この石橋要請等を背景として、十月三十一日に教育問題連絡協議会が開催された。会議は、広島問題が他の案件を圧倒して白熱化した。町村文相も、〈昨日も広島県教育長が来て、この問題についての新しい通達を出したと聞いている(十月十七日の「新見解」と福山市教育長への文書のこと)。指導要領に反する教育が現場で行われないよう徹底してゆきたい〉と発言した。板垣正参議院議員は、『菅川確認書』の破棄を強く主張し、河井克行衆議院議員(広島県)も広島県の教育正常化対策を訴えた。しかし、文部当局は弁明的態度に終始し、自主的な解決に努力をすると強調した。
 そこで、奥野会長は、石橋県議の議会活動を詳細に紹介した上で、〈同志たちは大変困難な中でこの問題に取り組んでいるので、党として支援したいと思っているが、文部省としては、広島の問題を根本的に解決するために、もうしばらく時間がほしいと言っている。今年中にもう一度この会を開き、文部省の報告を聞きたい。それまでは党としての調査団派遣は待とうと思う〉と発言された。
 そして、十一月二十八日に教育問題連絡協議会が開催された。最初に奥野会長より、広島県自民党県議の山田利明(自民党県議団教育問題研究調査会長)・平田修己(政調会長)・冨野井利明(県議会文教委員長)の各氏が谷川和穂衆議院議員の案内で奥野会長・板垣正・岩永峯一(滋賀県)の各議員と面談し、〈高校入試総合選抜制度の改革が来年四月に控えているし、地元でも努力中のため、国旗・国歌問題については結果が出るまで(来年三月まで)待ってもらいたいとの要請があった〉。又、〈菅川確認書のような文書はこれまで多数だされているので、これを撤回するというのは現実的にはできない。これを修正する文書を積み重ねて出して行くことによって、菅川文書を無化していく〉と意見表明を行ったとの報告がなされた。
 この広島県議団の意見に対して強い批判発言が相次いだ。
 
◆能勢和子衆議院議員(中国比例区)
 広島の教育実態は容易なものではない。菅川文書を撤回をしなければ、問題の根本的解決にはならない。そのために必要な時期に「国会議員調査団」を派遣すべきである。そして、広島県教委の「新たな見解」でない、しっかりとした見解を出すべきである。
◆尾辻秀久参議院議員(全国区)
 広島県教委の「新たな見解」にも、「過去の歴史的経緯をあわせて教育内容とすることが適切である」という文言があるが、これは結局、日の丸、君が代が侵略のシンボルであるということを認めることになり、全く変わっていないのではないか。
◆板垣正参議院議員(全国区)
 石橋議員への答弁をもって広島県教育委員会は良しとしているが、これはおかしい。・・・菅川文書を破棄すると明言していない点が問題である。これで終わってしまったら元の木阿弥になってしまう。国会議員派遺も早急になすべきである。
 
 結論として、奥野会長は、冒頭の報告のとおり、地元県議団よりの「三月まで見守ってほしい」との要請を尊重して対応したい。次回は一月か二月に会合を開きたいとした。
 以上の如く、教育問題連絡協議会は、一回目は文部省の要請、二回目は広島県自民党の要請を受け入れている。これで解決しなければ国会議員団派遣ということになる。
 木曽県教育長は、永年の懸案事項である高校入試の総合選抜制度を平成十年三月に単独選抜制度に切換えを遂行し、国旗・国歌問題では「新見解」をもって事態を沈静化して、この二つを土産にして文部省に凱旋しようとしているのであろう。そこへ、国会議員調査団の来県は迷惑ということになる。
 しかし、この機会を逸して『菅川確認書』を放置してしまえば広島県の教育の救出は不可能化してしまう。救出の騎士は自民党国会議員である。即ち、教育問題連絡協議会の動向にかかっている。
 最後に付言したいことは、年末より佐藤泰典教諭への個人攻撃が激化してきたことである。これは、木曽県教育長の奔走で事態は沈静化しつつあると判断した反日勢力が反転攻勢に出た証拠である。文部省と自民党はこの機会を逸することなく『菅川文書』破棄まで努力することが期待される。
◇上杉 千年(うえすぎ ちとし)
1927年生まれ。
国学院大学史学科卒業。
岐阜県立斐太高校、同高山高校の社会科教諭を務め現在、歴史教科書研究家。


 
 
 
 
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