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2001/11/07 産経新聞朝刊
「国民の教育」対談 渡部昇一氏Vs八木秀次氏(2-1)
 
 戦後教育の問題点をついた渡部昇一・上智大学教授の「国民の教育」が五日、扶桑社から出版された。「新しい歴史教科書」の代表執筆者、西尾幹二氏の「国民の歴史」、「新しい公民教科書」の代表執筆者、西部邁氏の「国民の道徳」に続く「国民」シリーズ第三弾である。今日の教育現場における悪平等やそれに伴う学力低下、国への誇りを失わせるような歴史教育などの実態について、渡部氏と同じように日本の国の将来を憂える八木秀次・高崎経済大学助教授と話し合ってもらった。(司会は論説委員、石川水穂)
 
◆占領軍は日本を“実験台”に
――渡部先生がこの本を書かれた動機は。
 
渡部 半世紀以上前のことですが、僕の故郷は山形県で、昭和天皇のご巡幸のとき、僕はたまたま川で泳いでいました。対岸の土手の上に見知らぬ車が三、四台現れ、「あれは何だ」「あっ、今日は天皇陛下がいらっしゃるんだ」というので、シャツを着て橋のたもとで陛下をお迎えしました。警護はほとんどなく、お泊まりになるところもそれほど厳重な警戒ではありませんでした。当時は終戦直後で、天皇陛下のお命が危ないときだったはずです。親は子を失い、女は夫を失い、子供は親を失いました。しかし、天皇に恨みをぶつけた人はいませんでした。
 その後、半世紀近くがたち、昭和天皇が崩御された後の大喪の礼は厳戒体制が敷かれ、それでも爆弾で妨害しようというやつがいました。この極端な変わりようはどこからきたのか。貧乏のせいじゃない。みんな豊かになったんですから。戦後教育の結果ではないかと思いました。
 
 八木 ご巡幸のころは、昭和天皇のご聖断によって国民の命が救われたという思いが強く、むしろ天皇おいたわしやという思いだったように思います。それが今、親しみは覚えるものの、皇室に敬意を抱く人はおそらく少数になっている。それは、戦前の日本人が抱いていた思いとは違うものです。やはり、戦後五十数年間の教育の結果だと思います。戦後教育というのは、はっきりいってしまえば、社会主義社会を実現するための闘士を養成するものだった。それが皇室観、天皇観にも影響を与えています。
 幕末から明治の国家建設期には、自由民権論者も含めて日本が欧米列強からの独立を維持するためには身分の上下に関係なく国民全体が一体とならなければ危機を乗り切れないというナショナリズムが根底にあった。そういう一体感の中で、近代化や今日の豊かさが達成されたのですが、これを否定した人たちもいる。もちろん全体から見ると少数でしょうが、そういう心性を持った人たちが教育という次世代の国民を育てる役割を担ったところに、日本の不幸がある。
 
渡部 終戦直後、占領軍は公職追放をやりました。当時の占領軍はニュー・ディール左派が多く、その見地から望ましくないとされる教授が一掃され、彼らから見て好ましいと思う左翼的な教授がどっと入ってきました。その過程で日教組も結成されます。占領軍は自分たちがアメリカでできなかったことをやろうとしたのです。財閥解体も農地改革もそうです。
 
 八木 象徴的な例ですが、今の憲法の二七条に勤労の義務規定があります。これはスターリン憲法に倣ったものです。占領軍と日本の社会主義者が結託して、社会主義の規定を入れたのです。
 元日教組委員長の槙枝元文氏がかつて渡部先生との会話で、理想の教育は「北朝鮮のようにやればよい」と言ったそうですが、やはり、日教組は北朝鮮に理想を見ていたのでしょうか。
 
渡部 先生たちは従順な人が多いんです。勉強好きです。上の方が左翼的な話をすると、それを一生懸命勉強するんです。
 
◆英語も数学も塾がおもしろい
――渡部先生は「塾を認知せよ」と言っておられますが。
 
渡部 「公教育重視」というと聞こえはいいが、公教育しかない国は最悪です。スターリンや毛沢東の国では、私立学校はつくれません。日本は明治以降、私立は比較的自由につくれたんです。私立大学はどんどん増え、「トットちゃん(黒柳徹子さん)の学校」のような小規模な塾も小学校として認められました。戦後、自由になったといわれますが、教育に関しては戦前の方が自由だったといえます。
 
 八木 私は現在の公教育は完全に“国鉄化”したと考えています。学問的に破たんしてしまった原理が生きている場は、そんなに多くはないのですが、その最たるところが教育現場ですね。学校の先生たちはほとんど競争意識を持っていない。そこに起爆剤として、渡部先生は「塾の認知」を主張されているのでしょうか。塾というと学習塾をイメージしますが。
 
渡部 私は学習塾でも高く評価すべきだと思います。英語のできる生徒の多くは「塾に行って初めて英語のおもしろさが分かった」と言います。数学のできる子も、おもしろさが分かったのは塾だったというケースが多いようです。
 塾の弊害といえば、普通の時間に教えられないことだけです。休日とか正月とか夏休みとか、あるいは夜という普通の時間ではないときに授業をせざるを得ない。学校と同じ昼の時間に塾の授業をやれば、全然問題ない。僕は「塾を学校として認めてください」と言いたいのです。
 塾だけでもいいし、公立学校だけでもいいし、両方行ってもいい。公立学校が今のままなら、塾だけでいいという子がどんどん増えてくると僕は思いますよ。だって、円周率3でいいなんて教育は嫌だという親が多いと思います。やがて、公立学校に行く子が少なくなり、その分だけ教室も先生も減らす。そして、空いた教室は塾に貸す。そうすれば、地方自治体の予算の三分の一から四分の一を占める教育費が浮き、逆に地方の税収が増えるというわけです。
 
 八木 今、東京などの大都市では、中学校から私立に行く子供が増えています。学習量三割減の新学習指導要領が発表されてから、さらに増えました。積極的に私立へ行きたいというよりも、公立に行きたくないという「避難」の流れのようなものを感じます。公立では学力が身につかない。規律も教えてくれない。そんな学校に子供を預けたくないという父母が増えているのではないでしょうか。
 以前の国鉄のトイレと同様、今の公立学校のトイレはものすごく汚い。子供に掃除をさせない。強制はよくないなどといって指導が徹底していないのです。今の公教育は危機的な状況を迎えています。
 
渡部 平等主義がいいものだと思っているんですよ。しかし、基本的人権の平等と普通の平等とは全然違います。基本的人権の平等は、神様から見てすべての人間が平等だという意味です。キリストも釈●も、この世の中が平等だとは言っていません。奴隷であっても貧しくても、心正しければ天国に行けるし、僧侶でも悪いやつは地獄に行くと言っているのです。ところが、この世だけで平等にしようという妄想が生じた。ルソーから始まるあらゆる革命がそうです。レーニン、スターリン、毛沢東…、最後はポル・ポトでしょうね。
 人間の才能には、天地ほどの差があります。数学のできる子供に数学のできない子供が合わせるなんて、できるわけがない。かけっこの速い子に遅い子が合わせることも、できっこない。どうしても合わせようとするなら、一番できない子に合わせるしかない。そんなやり方を教室に持ち込んだら、限りなく下に行くわけです。円周率が3ならまだしも、そのうち円周率は要らないというところまでレベルを下げなければならなくなる。
 それは一般の社会でも同じです。旧ソ連は相続権を廃止し、みんなを平等にした。下に合わせる思想ですから、結局みんな貧しくなってしまった。そういうことが二十一世紀になる前に、はっきり分かったにもかかわらず、日本の公教育の現場だけが相変わらず、この世の平等という妄想からぬけ出せないでいるのです。
 
 八木 私は広島県東部で悪平等教育を受けました。私の一学年前から、東京の学校群制度に近い総合選抜制度が適用されました。くじを引いて高校の進学先を決め、その地域の高校をすべて同じレベルにするという制度です。当時、広島県東部で最も大きい福山市には、五つの普通科高校があり、中でも旧藩校の福山誠之館高校は一学年の卒業生三百数十人のうち二百数十人が国公立大学に進学するという進学校でした。ところが、総合選抜制度を導入した結果、その第一期生の大学進学実績を見ると、国公立大学の合格者は福山市の五校全体で五十数人に減りました。
 広島県の中で平等教育を実践したわけですが、それが広島県全体の学力を下げてしまう結果になった。
 
渡部 昔は広島県は教育県でしたね。高等師範学校の代表格は、東の東京高師と西の広島高師という時代がありました。
 
◆わが子を私立へ入れる公立校教師
――広島に近い現象は東京と神奈川の公立高校でも起きていますが。
 
渡部 ただ、東京や神奈川は私立が多いから、逃げ場所があります。
 
 八木 私は逃げ場所がありませんでした(笑い)。
 
――広島県東部の進学希望者は隣の岡山県に逃げているのでは。
 
 八木 それは、かなり時期がたってからです。広島県東部の勉強のできる子供たちが越境して行ける私立の学校が岡山県に何校かできました。広島県東部の公立学校の先生の子供たちも越境して岡山県の私立学校に行くという話も聞いています。
 
渡部 昔、京都で蜷川府政のころにそれ式なことをやり、京都の公立学校の先生の子供はみんな私立に入れるというのは有名な話でした。
 
――文部科学省が進める「ゆとり教育」については。
 
渡部 僕は一部でゆとり教育をもっと進めればいいと思うんです。うんとゆとりがなきゃ学校にいられない子を集めて教育するのも、公立学校の義務です。ゆとりを取りたくなく、人生で何かをなしたいという子は自分に合った私立に行けばいいと思います。
 
 八木 最近の少年非行の増加は、ゆとり教育のせいではないでしょうか。かつては、スポーツの好きな子はクラブ活動などで日が沈むまでグラウンドで汗を流しました。進学を希望する子も学校に残って勉強していた。
 最近では子供たちは放課後、街に出るようになっていますが、学校が子供たちに負担を課さず、管理もしなくなった。いわゆる援助交際などの発生も、ゆとり教育と関係があると思いますね。


 
 
 
 
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