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2001/03/03 産経新聞朝刊
【正論】高崎経済大学助教授 八木秀次 道徳教育の理念補う教育基本法改正を
 
◆成人式騒動も危機象徴
 国会はKSD問題と外交機密費問題、森首相の危機管理問題で持ち切りである。確かにそれらも重要だが、一刻の猶予も許されない重要問題が控えていることを忘れてもらっては困る。
 首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」は、昨年暮れに発表した最終報告書で「教育をめぐる現状は深刻であり、このままでは社会が立ちゆかなくなる危機に瀕している」と述べている。
 今年一月八日の成人式の騒動は、まさに今日の教育が、「危機」に瀕していることを象徴的に示したものであった。また平成十年の少年の刑法犯検挙人員率は同年齢人口十万人あたり一六九一・九人で、これは成人のそれ(十万人あたり一六七・五人)の十倍にも上るものであり(つまり、少年は成人の十倍の割合で犯罪を起こしている!)、平成十一年には少年の殺人検挙人員率が遂に成人のそれを上回った(何(いず)れも前田雅英著『少年犯罪 統計からみたその実像』=東京大学出版会=による)など、少年犯罪も深刻化している。今、教育を立て直さなければ今後、我が国が「立ちゆかなくなる」事態である。
 教育の立て直しは一刻の猶予も許されない喫緊(きっきん)の課題となっている。今国会は当初の予定通り「教育改革国会」と位置づけ直してほしい。
 教育を立て直すに当たり、戦後教育の理念を提示している教育基本法の見直しは避けては通れない課題である。なぜなら今日の青少年の荒廃は戦後教育のある意味での“成果”であり、戦後教育の理念の見直しなしでは今日の教育の「危機」は打開できないものだからである。
 
◆教育勅語の存在を前提
 教育基本法を見直すに当たってまず確認しておかなければならないのは、その「立法者意思」である。中でも留意しなければならないのは、教育基本法は教育勅語を否定し、それに代わって制定されたものではないという点である。教育基本法の「立法者意思」は教育勅語を否定していないのである。むしろ教育勅語の存在を前提とし、それを補完することを目的として制定されたのが教育基本法なのである。
 分かりやすい事実を挙げておこう。教育基本法が制定されたのは昭和二十二年三月三十一日。その一年三カ月後の昭和二十三年六月十九日に国会の衆参両院でそれぞれ教育勅語の排除決議、失効確認決議が採択されている。この決議によって教育勅語は教育の世界から葬り去られたわけだが、逆をいえば、教育基本法の制定後、一年三カ月近くも教育勅語は否定されていないのである。
 そればかりか、教育基本法の制定関係者は何れも教育勅語を一貫して擁護している。当時の文部大臣は、前田多門も田中耕太郎も高橋誠一郎も何れも帝国議会で教育基本法の制定は教育勅語を否定するものではないと発言している。また文部省の公的解釈も教育勅語は教育基本法と矛盾するものではなく、その中には「天地の公道」たるべきものが含まれているので廃止する意思はないというものであった(文部省調査局の第九十二回帝国議会予想答弁書「教育基本法」の部)。
 教育基本法の制定関係者は主として道徳教育の理念を示している教育勅語の存在を当てにしながら、新憲法との関係で教育勅語には欠けている「個人の尊厳」や「平和の希求」などの理念を教育基本法を制定することで補完しようとしたのである。
 このように教育基本法の「立法者意思」は教育基本法と教育勅語を相互補完関係にあるものと捉え、両者を一対のものだと構想していたのである。
 
◆外された片方の「車輪」
 ところが、この道徳教育の理念を示したものとして当てにされていた教育勅語が昭和二十三年六月十九日に占領軍の圧力によって国会決議が行われ、葬り去られてしまうことになるわけだが、この国会決議が戦後の教育に与えた意義は限りなく大きい。
 つまり戦後の教育は教育基本法と教育勅語という両輪でもって歩むことが当初の構想であった。それがこの国会決議によって教育勅語という一方の車輪が外されることになったのである。これ以降、戦後教育は道徳教育の理念を欠いたまま、教育基本法という片方の車輪のみで歩まざるを得なくなったのである。
 現行の教育基本法は「個人の尊厳」をいい、教育の目的として「人格の完成」を掲げている。しかし道徳教育なきところに「人格の完成」も「個人の尊厳」もないはずである。道徳教育を通じて陶冶(とうや)することではじめて人格は完成され、尊厳性が備わるのである。
 しかしながら戦後の教育は道徳教育の理念を欠いたまま、ただただ「個人の尊厳」や「人格の完成」という空念仏を唱えてきた。陶冶されていない幼稚で低俗な「個性」にも「尊厳性」が備わっているかの如く子供たちに接してきた。その結果が今日の教育荒廃であることはもはやいうまでもないことである。
 現行の教育基本法は本来、教育勅語との両立を前提としていた制定の経緯から、道徳教育の理念を欠いている。そうであるなら、欠けている部分を補うための改正が必要であろう。戦後教育は片方の車輪のみの運行で今や転倒寸前にまで立ち至っている。外された車輪を補うための教育基本法改正が求められている。(やぎ ひでつぐ)
◇八木秀次(やぎ ひでつぐ)
1962年生まれ。
早稲田大学大学院博士課程で憲法を専攻。
人権、国家、教育、歴史について、保守主義の立場から発言している。著書は「論戦布告」「誰が教育を滅ぼしたか」「反『人権』宣言」、共著に「国を売る人びと」「教育は何を目指すべきか」など。「新しい公民教科書」の執筆者。フジテレビ番組審議委員。


 
 
 
 
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