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2003年12月発行 『人文書のすすめIII』(人文会)
教育改革を読む 佐藤 学(東京大学教授)
 
 
1 歴史的転換点
 
 二一世紀を迎え、教育は歴史的転換点に立っている。世界各国において「教育危機」が主たる社会問題の一つとなり、教育制度、カリキュラム、教育と学びの様式、学校の組織と構造、大学の制度と機能など、多様な教育問題が改革のテーマとなり、教育の政策は「国家戦略」の要とされている。今日ほど教育改革をめぐる論題が氾濫した時代はない。過去をさかのぼれば、一九一〇年代から一九二〇年代に世界を席巻した新教育運動のように、「教育改革」が社会と文化の変革の標語になった時代はあった。しかし、今日の教育改革は、それよりもはるかに多岐にわたり根源的である。
 なぜ、これほどドラスティックな変化に教育は直面しているのだろうか。この問いに答えるためには、今日の教育をマクロな歴史の文脈において認識するとともに、個別の論題を社会的文化的な文脈において再認識する必要がある。この作業を怠ると、教育の危機と改革に関する議論と施策は、マスメディアのエキセントリックな論調と俗論に振り回され、独善的な政治に翻弄されるほかはないだろう。
 教育危機の根源を探ってゆくと、どの側面から接近しようとも、教育の近代性(モダニティ)という論題にいきつく。たとえば、「子ども」「青年」「家族」「学校」「教師」「授業」「カリキュラム」「学年」「学級」など、教育活動を構成する要素のほとんどが近代の概念でありその産物である。そもそも近代以前に「教育」という言葉は存在しなかった。もちろん教育といういとなみが存在しなかったわけではない。世代間の文化の伝承は人類の歴史を形成してきたし、知識や技能を伝達し修得する活動や修行や修養の伝統は、どの時代においても綿々といとなまれてきた。しかし、私たちが親しんでいる教育という観念と制度と実践は、近代の市民社会とともに成立し、産業と文化の近代化とともに発展してきた。
 アメリカのある教育学者は公立学校の制度化の意味を、同じく近代の象徴であり、近代国家の内側を縦横に組織した鉄道の比喩によって説明している。鉄道が離れた町や村を結んで「国民国家」というまとまりを形成したように、学校も共通の文化と道徳によって離れた町や村の子どもを結んで「国民国家」の統合を促進し「国民国家」と運命をともにして発展してきた。さらに鉄道は、離れた土地の物資を輸送し「産業社会」の発展に貢献してきた。それと同様、学校も、多様な知識や技能を教授して産業化の要請に貢献し、「産業社会」とともに発展してきた。そして鉄道は、それを利用する人々が見知らぬ地域を旅する経験を提供し、一人ひとりの「アイデンティティ」を形成する機能をはたしてきた。同じく学校も、狭い経験の世界しか知らない人々に未知の世界を旅する経験を提供して、一人ひとりの「アイデンティティ」を形成する役割をはたしてきた。
 鉄道と学校との比喩は雄弁であるが、痛烈なアイロニーを含んでいる。アメリカにおいて、国内のすべての地域を蜘蛛の巣のように結んでいた鉄道は、今では大半が廃止され、残存したわずかの路線も貧しい人々の簡便な乗り物へと変貌している。多様な交通手段が鉄道に置き換わったためである。公立学校という制度も、鉄道と同様、歴史的使命を終え、他の装置に置き換えられる運命なのだろうか。
 もちろん、鉄道の比喩から敷衍して公立学校制度の将来を予測するのは乱暴である。しかし、グローバリゼーションの進行によって国民国家の時代が終焉へと向かい、情報化社会の出現によって産業主義社会からポスト産業主義社会へと急速に移行する現在、公立学校の存続を支えてきた規範や正統性が揺らいでいることは事実である。
 さらに、学校をとりまく家族と地域共同体も変貌している。「コミュニティ」という名前は冠しているものの、共同体という名にふさわしい人々の絆とそれを生み出す文化を保持している地域がどれほど存在しているだろうか。より大きな変貌を遂げているのが、家族である。核家族において親が養育の責任を負う近代家族のシステムが解体し、子ども期(childhood)それ自体も消滅しつつあることが指摘されている。
 
2 新自由主義の教育改革
 
 教育の歴史的転換は二つの基軸を中心に進行している。一つは国民教育制度の再編であり、もう一つは産業主義社会の教育からポスト産業主義社会の教育への移行である。
 日本を含む先進諸国において、公教育は国家の管理から市場のセクターと共同体のセクターヘと委譲されつつある。この転換の起点となったのが、イギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、および日本の中曽根政権による新自由主義と新保守主義の政策とイデオロギーによる教育改革であった。
 新自由主義の教育改革は「小さな政府」をめざし、国家が中央集権的に管理し統制する画一的な制度を批判して地方分権化と規制緩和を推し進め、教育サービスの多様化を促進しつつ、親と子どもの選択の自由を拡大して、市場原理による競争によって公教育を統制しようとする。他方、新保守主義の教育改革は、国家共同体と家父長制家族の擁護を掲げて、文化的・宗教的原理主義に基づくナショナリズムとその道徳規範の教育を提唱する。新自由主義と新保守主義は、一方は「小さな政府」のもとでの市場競争による教育サービスの多様化と自律的な個人の自由な選択を標榜し、他方は「国家戦略としての教育」を推進し国家共同体の文化と規範の同一性を志向するというように、原理と論理において対立するにもかかわらず、現実の改革や政策においては共犯関係において機能してきた。
 日本では、中曽根首相の私的諮問機関である臨時教育審議会(一九八四年設置)が、新自由主義の教育改革の出発点となった。臨時教育審議会は、当初、バウチャー制度の導入による「教育の自由化」を企図し、公教育の民営化の方向を探っていた。バウチャー制度は、一九六〇年代にアメリカの経済学者ミルトン・フリードマンが提唱した制度であり、子どもに費やされる公教育費を教育委員会が発行する金券(バウチャー)で親に配給し、この金券を授業料として活用して学校選択を自由化することによって、公立学校を私立学校と同等に運営させる方式である。このバウチャー制度による公教育の民営化の構想は、教育の機会均等の原則(平等の原理)を蹂躙するものとして文部省が強く抵抗して頓挫し、「教育の自由化」という改革の標語は、「教育の個性化」へと転換して今日に至っている。
 新自由主義による教育改革の登場は、明治以来、中央集権的で官僚主義的な統制によって教育の量的拡充を達成してきた日本の教育行政の転換を意味していた。欧米をモデルとする「キャッチ・アップ型」の教育改革は「画一的平等の教育」による窒息状況を生み出したと批判され、「選択の自由」と「自己責任」に基づく市場競争の原理で教育の「多様化」と「個性化」を促す教育改革がメイン・ストリームを形成することとなる。公教育の私事化・民営化(privatization)を基調とする改革である。
 国家による中央集権的で官僚主義的な統制を批判して地方分権化と規制緩和を断行し、自律的な個人の自己決定と自由な選択を促進する新自由主義の政策は、その限りで言えば、左翼の政治運動や教員組合運動や市民運動が提唱してきた政策と一致する。実際、新自由主義の教育改革は、旧来の批判勢力や抵抗勢力を巻き込み、一九九五年には「五五年体制」以来、反目と対立を重ねてきた文部省と日教組との「歴史的和解」を達成する。
 その一九九五年、新自由主義の教育改革は「公教育のスリム化」を機軸とする「二一世紀の学校」のヴィジョンを提示している。経済同友会の「合校論」はその典型の一つである。「合校論」は、現行の学校教育の機能を「基礎教室」(言語能力と論理的思考力とナショナル・アイデンティティの教育)、「自由教室」(自然科学、社会科学、芸術の教育)、「体験教室」(行事、課外活動、修学旅行など)の三つの「教室」に分割し、そのうち「基礎教室」だけを文部省と地方教育委員会の責任において運営する「公教育のスリム化」論を提起した。「自由教室」は民間の教育施設(塾やカルチャー・スクール)を子どもと親が自由に選択する「教室」であり、「体験教室」は民間の文化スポーツ施設や旅行会社と地域のボランティアによって運営される「教室」とされている。経済同友会の「合校論」は、公表直後、文部大臣と中央教育審議会会長の賛同を獲得し、半年後には日教組委員長の賛同も獲得している。新自由主義のイデオロギーと政策は、こうして一九九〇年代半ばには教育改革の翼賛体制を形成している。
 二〇〇〇年には、新自由主義の教育改革は新たなステージヘと突入している。小渕首相の私的諮問機関である「二一世紀日本の構想」懇談会は、その第五分科会において教育の未来構想を審議し、従来の公教育を「国家のための教育」と「個人のサービスとしての教育」に二分し、前者を国家管理によって統制し後者を民営化する構想を打ち出している。この二分法が端的に示しているように、新自由主義の教育改革は、新保守主義の教育改革と共犯関係を形成して機能する点に留意する必要がある。個人の自由な選択による市場原理を基礎として「小さな政府」を標榜する新自由主義の改革は、他方で、国家主義のイデオロギーと国家の官僚的統制を強化する新保守主義の改革とセットになっている。この共犯関係は、二〇〇二年から実施されている新学習指導要領における教育内容の三割削減、義務教育段階にエリート・コースを準備する中高一貫教育の選択的導入、文部省による日の丸・君が代の強制、森首相の私的諮問機関である教育改革国民会議による「奉仕活動」の強制と教育基本法「改正」の提言、国立大学の独立行政法人化、そして、東京都を中心に拡大している学校選択の自由化と教員に対する考課制度(評価制度)などに見ることができる。
 新自由主義の教育改革は、しかし、あらゆる局面で破綻と矛盾を露(あらわ)にしている。今日の教育危機は、皮肉なことに教育改革によって生じた危機と言っても過言ではない。新自由主義の教育改革は、制度や組織の責任を極小化し個人の責任を極大化するイデオロギーに基づいている。このイデオロギーはさらに、市場競争による統制を絶対化していることから推察されるように、人間不信と政治不信を基礎としている。そして新自由主義の教育改革は、「責任」としての教育を「サービス」という商品に置き換え、「応答責任」(responsibility)を「説明責任」(accountability)へと転換している。その結果、新自由主義の改革は、市民社会の根幹をなす「信頼」という社会契約を破壊し、相互扶助というセーフティ・ネットを破壊し、モラル・ハザードを助長し、人々を希望のない生存競争へと追い込んでゆく。
 この破綻が最も激しく作用するのは、社会的に最も不安定な位置にある子どもたちであろう。この一五年間、子どもの危機は拡大し深まる一方である。不登校の増加、校内暴力の増加、いじめや引きこもり、学級崩壊などは、「自己決定」と「自己責任」という負荷のもとであえぎ挫折する子どもたちの現象であり、信頼と希望を喪失して浮遊する子どもたちの生態に他ならない。なかでも「学びからの逃走」と私が名づけた現象は深刻である。今や、日本の子どもの校外の学習時間(塾を含む)は世界で最低となっている。大量の子どもたちが日本社会の未来と自らの可能性に対する希望を失い、学びの意味を見失い、学び合う仲間を見失って、学びから逃走している。グローバリズムにおける産業主義社会からポスト産業主義社会への急速な移行が、この傾向に拍車をかけている。過去一〇年間に高卒求人数は一六五万人から一五万人までに激減した。若年労働市場の九〇%が消滅したのである。「自己責任」の極大化は、社会構造の急激な変化のもとで、さらなる危機を拡大するだけだろう。
 
3 未来への展望
 
 歴史的転換点に立つ教育改革の諸現象は、教育学の研究に多くの課題を投げかけている。
 教育改革における新自由主義と新保守主義の政策とその共犯関係は、日本を含む東アジアにおいて顕著に進行している。国家主導のもとで産業と教育の「圧縮された近代化」を達成した東アジアの国々において、なぜ、新自由主義と新保守主義の教育改革が猛威をふるっているのか。この現実を認識するためには、グローバリゼーションにおける教育と経済の世界システムの変化を考察する必要があるだろう。
 地方分権化と規制緩和の進展も、いくつもの検討を要する課題を提示している。地方分権化と規制緩和は、地方教育委員会と学校の自律性と教師の専門職性を強化する機能を発揮するはずなのに、なぜ、それとは逆の現象が起きているのか。地方財源における教育費の激減は、なぜ生じているのか。学校や教師に対する官僚的な評価と統制は、なぜ強化されているのか。学校選択の自由を筆頭とする市場競争の原理は、学校と教室をどう変化させているのか。さらに、市場競争と地方分権化による学校改革は、たとえばチャーター・スクールをめぐる言説と運動が示すように、なぜロマンチックな言説で語られ、教育の私事化(privatization)と同時に、同一性を志向する部族化(tribalization)を引き起こしてしまうのか。
 もっと大きな論題が、新自由主義と新保守主義の教育改革には潜んでいる。国家が中心的に管理する公教育が終焉の時代を迎えたとすれば、公教育に責任を負う代替的システムはどのようにデザインされるべきなのだろうか。市場のセクターと共同体のセクターが国家に代替して公教育を維持し運営することは可能だろうか。もし可能だとすれば、その公教育はどのような原理によって設計されるべきなのだろうか。
 これらの問いは、教育改革において「公共性」と「民主主義」の二つの原理をどう具体化し、どう政策化し、どう実践するかという問いに収斂されている。「公共性」と「民主主義」という公教育制度を内側から支える二つの原理に着目することによって、私たちは、新自由主義と新保守主義に対抗しうる草の根の教育改革のうねりが、粛々と進展している事実も発見することになるだろう。声高の政策論議の向こう側で、全国の学校と教室と地域で二一世紀にふさわしい新しいカリキュラムと授業と学びと学校参加の様式が模索されている。この草の根の静かな改革は、一連の政策論議とは異なる学校の未来の可能性を示唆している。
 教育改革は、子どもたちの将来を決定する重大事であるだけでなく、未来社会の選択の問題でもある。新聞やテレビのメディアに翻弄されるだけでなく、ぜひ、自らの目で教育の現実を直視し、教育研究の確かな知見を踏まえて議論し、一人ひとりが当事者として改革に参加し責任を負う意志を育てながら教育の未来をデザインしていただきたい。
 
参考文献
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フィリップ・アリエス、杉山光信・恵美子訳『〈子供〉の誕生』みすず書房、一九九五年
馬越徹編『現代アジアの教育――その伝統と革新』東信堂 二〇〇一年
門脇厚司『子どもの社会力』岩波書店、一九九九年
苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』中央公論社、一九九五年
苅谷剛彦『階層化日本と教育危機――不平等再生産から意欲格差社会へ』有信堂高文社、二〇〇一年
黒崎勲『学校選択と学校参加』東京大学出版会、一九九四年
経済同友会『学校から「合校」へ――学校も家庭も地域も自らの役割と責任を自覚し、智恵と力を出し合い、新しい学び育つ場をつくろう』一九九五年
斉藤貴男『機会不平等』文藝春秋、二〇〇〇年
佐伯胖『「学ぶ」ということの意味』岩波書店、一九九五年
佐伯胖・汐見稔幸・佐藤学編『学校の再生をめざして』(全三巻)東京大学出版会、一九九二年
佐伯胖・藤田英典・佐藤学編『シリーズ学びと文化』(全六巻)東京大学出版会、一九九五―九六年
佐伯胖・黒崎勲・佐藤学・田中孝彦・浜田寿美男・藤田英典編『岩波講座 現代の教育――危機と改革』(全一三巻)岩波書店、一九九八年
佐藤学『教師というアポリア――反省的実践ヘ』世織書房、一九九七年
佐藤学『学びの快楽――ダイアローグヘ』世織書房、一九九九年
佐藤学『教育改革をデザインする』岩波書店、一九九九年
佐藤学『「学び」から逃走する子どもたち』岩波書店、二〇〇〇年
佐藤学『学力を問い直す――学びのカリキュラムへ』岩波書店、二〇〇二年
佐藤学編『教育本44』平凡社、二〇〇一年
志水宏吉『学校文化の比較社会学』東京大学出版会、二〇〇二年
R・P・ドーア、松居弘道訳『学歴社会――新しい文明病』岩波書店、一九九八年
恒吉僚子『人間形成の日米比較』中央公論社、一九九二年
恒吉僚子『「教育崩壊」再生へのプログラム――日米学校モデルの限界と可能性』東京書籍、一九九九年
「二一世紀日本の構想」懇談会「最終報告」二〇〇〇年
原聡介・宮寺晃夫・森田尚人・今井康雄編『近代教育思想を読みなおす』新曜社、一九九九年
藤田英典『教育改革』岩波新書、一九九七年
藤田英典『市民社会と教育――新時代の教育改革・私案』世織書房、二〇〇〇年
藤田英典『新時代の教育をどう構想するか』岩波書店、二〇〇一年
藤田英典・志水宏吉編『変動社会のなかの教育・知識・権力』新曜社、二〇〇〇年
P・ブルデュー、J・C・パスロン、宮島喬訳『再生産』藤原書店、一九九一年
堀尾輝久『現代教育の思想と構造』岩波書店、一九九二年
ニール・ポストマン、小柴一訳『子どもはもういない』新樹社、二〇〇一年
◇佐藤 学(さとう まなぶ)
1951年生まれ。
東京教育大学卒業。東京大学大学院修了。
三重大学助教授、東京大学教育学部助教授を経て、現在東京大学大学院教育学研究科教授。


 
 
 
 
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