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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1992/10/26 産経新聞朝刊
【21世紀への提言】教育改革 「脱学校」を図れ
 
 「邑(ゆう=むら)に不学の戸なく家に不学の人なからしめん事を期す」と、すべての人々に開かれた学校を目指して明治五年に学制が発布されてことしで百二十年。この間、教育は量、質ともめざましい発展を遂げ、戦前は近代化、国力の増強、戦後は民主化、経済発展に貢献した。欧米先進国に追いつき追い越すことが明治以来の国家、国民の悲願であり、そのためには、西欧の知識や技術をいかに効率的に吸収するかが重要だった。これには「知識注入型」の教育が有効で、短期間に先進国と肩を並べるようになったのは、このためであろう。 しかし、知識や科学技術の面で世界のトップグループに仲間入りしたいま、もはや見習うべき手本は世界中どこにもあまり見当たらない。逆に日本は各国の手本になるようなものを自ら生み出していかなけばならない時代となった。「知識中心」から「創造性重視」へ教育の転換が叫ばれる理由がここにある。
 
◆地球社会の新思考を
 創造性重視の教育は現代社会が抱えている課題解決のためにも、大事である。二十世紀を彩った科学技術主義は大量消費社会と情報化社会をもたらした。お陰でわたしたちは、たいがいのものは手に入るし、世界中の出来事を同時進行的に知ることができようになった。しかし、モノの大量消費は欲望を肥大化させるとともに、地球環境の悪化を招き、貴重な資源を枯渇させる恐れがある。また、膨大な知識と間接体験と引き換えに、実体験や主体的な深い思考、判断、創造といった大切なものを犠牲にしがちである。ふだんから周囲の物、事柄に疑問を抱いて思考する「クリティカル・シンキング」(批判的思考)をしたいものだ。そして、「地球社会」に住むわたしたちは国際的視野に立ち、新しい価値や思想、システムを模索する必要に迫られているといえる。
 こうしたことから、教育にあっては、学力は知識や技能の量でなく子供が自ら考え主体的に判断、行動するために必要な資質や能力であるという考えに立つことが何よりも大事である。新しい学習指導要領はこうした学力観を前提に、個性を伸ばし、創造性を培う教育を目指している。これを軌道に乗せるうえで欠かせないのが、適正な学級編制と教員の配置である。
 
◆学校は競争と工夫を
 文部省はこの夏、研究協力者会議の提言に基づいて小・中学校については学級規模の縮小を見送り、新しい指導方法に意欲的な学校に先生を増やすという教員の重点配置方式を導入した。これが現場の意向を十分に反映して実施されれば、学校に競争原理が働くようになり、教室にも明治以来続いた「一斉授業」だけでなく、多様な指導方法が展開されることになる。
 たとえば、複数の先生がチームを組んで一つのクラスを一緒に教える「チームティーチング」(TT)は子供の習熟度や興味、関心の生じやすい算数(数学)や外国語、体験学習中心の生活科などに有効だ。「TT」の最大の特徴は「マス」のなかの個人指導である。習熟度別グループ指導の場合、優越感や劣等感といった差別意識を生む恐れがあるが、「TT」なら、この心配が少ない。そのうえ、子供たち一人ひとりは全体の刺激のなかでたくましく伸びていき、クラス全体の学習意欲や活動も向上するだろう。
 しかし、「TT」には教師側が克服しなければならないいくつかの課題がある。まず教師は「学級王国の王者」の意識を捨て去ることだ。次に、学校全体で指導方法への共通の理解を持つことである。なによりも大切なのは、教師集団が協調性に満ち、互いに好意を持てる間柄であることだろう。
 「TT」など多様な指導方法を実効あるものにするには教授スタッフと非教授スタッフのそれぞれの充実、両者の連携、協力関係の確立が強く望まれる。米国の教師は学習指導以外のことにはほとんど時間を割くことがない。日本の教師は学習指導のほか、部活動の指導や教育相談、庶務的事務などがあり、多忙を極めている。事務職員の増員、学校カウンセラーの導入、司書教諭の充実などを急がなければならない。
 文部省の推計では、児童・生徒数はこれから数年間は毎年三十数万人づつ減っていく。子供の激減期こそ教職員の増員、学級規模や指導方法の改善、施設、設備の整備充実には絶好のチャンスだ。文部省当局の高い志と財源確保への努力を期待したい。
 
◆学校の垣根をなくせ
 九月からスタートした「学校五日制」は学校依存の度合いを弱め、子供の生活時間のうち、家庭や地域社会での時間の比重を高め、学校、家庭、地域が一体になってそれぞれの持ち味を生かして子供の人間形成を図るというものだ。そして目指すところは、豊かな心と個性、創造性を培う教育である。とすれば、できるだけ早く完全学校五日制に踏み切るのが望ましい。その前に学校、地域、家庭がやるべきことが多い。
 まず、学校教育では教育内容の切り捨て精選が不可欠だ。新しい学習指導要領は学校五日制を前提にしたものではない。いまから指導要領の全面改訂の作業に着手すべきだろう。技術革新や情報化で知識の量は増える一方だ。何を教え、何を捨てるかは生易しいことではない。各分野の専門家による腰を据えた科学的分析作業が必要である。
 最優先課題は入試制度の改善である。知識、記憶力中心の学力判定を止め、思考力や判断力、創造力や学習意欲などを重視する判定にするとともに、多様な選抜方法を導入することだ。
 次に、学校と地域との垣根を取り払おう。先生と子供たちは教室を飛び出し、地域社会の実態を理解したり、自然との触れ合いを深めたりする機会を増やしてほしい。また、博物館や美術館などを訪ねて本物の文化財や芸術作品に直に触れることだ。新しい感動や発見が得られるだろう。
 その一方で、地域にいるその道の達人を学校に招けば、授業に幅と厚みがでるだろう。いや、新しい現象や複雑な問題が次々と生じる時代だけに、学校は積極的に各分野の知識や知恵を借りる必要がある。そのためには、外部人材の教員登用や教員の外部研修を制度化し、閉鎖的といわれる教師集団を開かれたものにしなければならない。
 学校はまた、地域の人々の学習や交流の場として大いに活用したいものだ。これによって知識や情報が増えれば、情報の受け手から送り手へ転換でき、地域は活性化するだろう。
 家庭はいま、メディアに四六時中侵入され、一家だんらんや親子の会話を奪われている。こうした日常を改めない限り、教育力の回復は難しい。
 生活時間の見直しも必要だ。例えば、サマータイムを導入すれば、日照活動時間の増加で健康的な戸外活動や学習が盛んになり、実体験を増やすことになる。
 
◆学校も生涯学習の一部
 二十一世紀に向けての教育改革の柱は、何といっても「生涯学習社会」の構築だろう。だれでも、人生のいつでも自由に学ぶことができ、その成果が評価される−。こんな社会が「生涯学習社会」である。
 日本では、学校依存型教育と新卒一括採用という雇用慣行から、「なにを学んだか」でなく「どこの学校で学んだか」(学歴)がその後の社会生活を左右する大きな意味をもっている。このため、青少年期に過度の期待と負担がかかり、受験戦争や受験準備教育の激化をもたらしている。
 学校教育ですべてが決まってしまうような仕組みは生涯にわたる多様な成長を阻む。青春の一時期の「敗者」は再度挑戦のチャンスと意気込みを失い、一方の「勝者」も燃えつき症候群のように、おう盛だった学習意欲や好奇心がしぼんでしまう。こうした弊害を取り除くためにも、学校教育も生涯学習の一環、生涯にわたる学習の蓄積こそ大切だ、という視点が欠かせない。とすれば、知識中心の教育が若年期に連続して集中するのは好ましくない。間接体験と実体験、教育と労働を交互に進める仕組みがあってよい。たとえば、高校卒業後は一年間のボランティア活動。国土清掃隊や緑化隊、看護隊として社会貢献するというやり方も考えられる。もちろん、こうした活動が大学入学時に評価されることが大事だ。
 また、全員が年齢に応じて学校教育の階段を登っていくこともない。大学を中退して結婚生活に入った女性が、再び他大学の入試に挑戦して合格、学部での成績も抜群で、大学院を目指しているという例もある。しかし、現状では希なケースだ。途中での乗り降りが自由にできるシステムのほか、個性に応じた多様なコースが用意され、それぞれが適正に評価されることが生涯学習を中心に据えた教育の基本だろう。
 さる七月に出された生涯学習審議会の答申は、▽社会人を対象としたリカレント教育(高度で専門的、体系的な再教育)▽ボランティア活動の支援▽青少年の学校外活動の充実▽現代的課題(生命、健康、人権、環境、国際貢献、知的所有、家庭など)についての学習機会の充実を挙げている。そして産・官・学の連携による「リカレント教育推進協議会」の設置や企業におけるリカレント教育休暇、ボランティア休暇制度の創設、メディアによる放送大学の全国化など具体的な提案をしている。
 このなかで強力に推進してほしいのは、リカレント教育だ。各大学で公開講座が花盛りだが、教養、カルチャー教室のようなものが多い。それはそれで結構だが、大学には、高度で体系的なリカレント教育を求めたい。そして、そこで履修したことが正規の単位として認められるようになれば、学習意欲も増すだろうし、みんなが一時期に挑戦することによって生じる受験戦争も緩和されるだろう。
 生涯学習の一部である学校教育で大切なのは、基礎、一般教養である。穴は幅広く掘らなければ深く掘れない。専門を極めたり、個性を伸ばしたりするには、しっかりした基礎、土台が必要だ。昨年七月、大学設置基準が改訂され一般教養と専門教育の区別がなくなったことにより、教養部が次々と消えて行く。「高校の繰り返し」「知識中心の無味乾燥な講義」の反省から、一般教育はまるで悪者扱いされている。これは果たして正しいのだろうか。一般教育を、学習者の興味や関心、好奇心や探求心を募らせるように改善、工夫するこそ必要ではないか。
 明治以来今日まで日本の教育は、その時々の政治や経済などの要請に応える受け身の存在だった。しかし、これからの教育は自ら未来を開くためのものでなければならない。二−三十年後の社会を展望した教育が求められる。教育とは次代を育てる営みである。


 
 
 
 
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