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2002/06/11 読売新聞朝刊
[社説]学力絶対評価 「悪平等主義」の変革が必要だ
 
 狙いはよくても、理想通りいくかどうか、不安を抱かざるを得ない。
 全国の小中学校に、今年度から絶対評価が導入された。生徒の学習到達度で学力を評価するシステムだ。文科省が学習指導要録記入に際し、集団の中の順位に基づく相対評価から切り替えるよう通知した。
 相対評価には、全体のレベルが高ければ生徒が努力しても成績は上がらないなどの問題が指摘されていた。絶対評価だと集団のレベルに関係なく、各生徒の達成度を見ることができるとされる。
 しかし、高校入試で中学から高校に提出される調査書(内申書)まで、絶対評価で記されることには、高校側や保護者に懸念が強い。
 絶対評価は個々の中学教師の判定によるため、客観的な評価がなされないのではないかとの不信感があるからだ。
 調査書が大きな比重を占める公立高校入試では、東京都や宮城県が来年度入試で絶対評価を導入する一方、鳥取県が判定材料としないことを決めるなど、地方教委の対応は二分されている。
 東京私立中学高校協会は、推薦入試では調査書だけを判定材料とはせず、独自に共通試験を行うことを打ち出した。
 推薦入試はペーパーテストでは測れない、生徒の多様な能力を見るものだ。だが、だからといって、学力評価をあいまいにはできないということだろう。
 絶対評価を導入する以上、こうした不安を一掃する取り組みが不可欠だ。中学間、教師間の評価のばらつきをなくす努力が求められる。一人の教師に任せきりにしないチェック体制も必要だ。
 具体的な学力評価の仕組みとしては、地域ごとの学力テストを実施することを考えてもよいのではないか。イギリスでは、すべての生徒を対象とする全国一斉テストが行われてもいる。
 障害となるのは、適正な学力評価を、「差別・選別につながる」として、忌避しようとする傾向が、中学教師の一部に依然としてあることだ。
 授業の進め方には、教師の独自性発揮が期待される。しかし、その成果の判定にはやはり、共通性、統一性が求められる。基礎的な学力がどこまで備わっているかを見るために、客観的な物差しを設定することは、教育の根幹だ。
 学力評価は適正に行い、生徒一人ひとりの適性や特質も加味して、合否判定する。それが入試の原点である。
 そこに立ち戻るには、学力評価をあいまいにすることが生徒の個性尊重になるという、教師の“悪平等主義”の変革が必要となる。

 
 
 
 
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