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2000/10/29 毎日新聞朝刊
[社説]こども論 地域社会 大人の郷愁持ち込むまい
 
 広場や小路に、遊ぶ子供たちの歓声が毎日のように流れていた。集団の中心には、がき大将がいる。
 そんな光景は、かつて、いたるところで見られた。多くの大人が幼いころを振り返る時、胸に浮かぶ「原風景」でもあろう。
 鎮守の森も、彼らに格好の遊び場を提供した。がき大将が大活躍をする場所でもある。彼は遊びの秩序や「禁じ手」を教え、子供たちは時に、けんかにも「やり方」があることを、身をもって知らされる。
 森でのルールは、鎮守の森を維持する地域社会で親から子に受け継がれてきた。子供たちが地域社会に支えられていた時代だ。
 子供たちの歓声が街から消え、がき大将が死語同然となってから久しい。全国で15万カ所を超えていたという鎮守の森も、激減した。
 1960年代から始まる経済の高度成長で若者は都市に集まり、一方で田舎の大家族も核家族化と高齢化が進む。鎮守の森を支え切れなくなった地域が続出し始めた時代と重なる。視点を変えれば、個人が家の束縛から解放される戦後民主化の過程でもある。
 大人たちが同窓会などで「原風景」を、懐かしさを込めて語り合うのは楽しいことに違いない。が、今の子供たちに、がき大将の再現を求めたら「いらぬおせっかい」と映るだろう。がき大将が出てくる環境が消えたのだから。
 ここまでは「ない物ねだり」で片付けられるが、郷愁が政治や教育行政の場に持ち込まれると、「おせっかい」を超えて、危うさを帯びてくる。教育勅語を評価する森喜朗首相が掲げる教育改革に、私たちが時代とのずれと、うさんくささを感じる一因は、ここにある。
 IT(情報技術)革命が叫ばれている時代に、かつての「原風景」を持ち込むのには無理がある。「原風景」には少年野球チームの姿はあっても、サッカーチームは見当たらない。インターネット時代にあってテレビゲームは、ごく自然な子供の遊びである。新しい「原風景」は、かつてもそうであったように、子供たち自身に任せればいい。
 だが、子供が被害者、あるいは加害者となる衝撃的な事件に直面するたびに、たじろぎ、かつての「原風景」には、こんな事件はなかったと振り返りがちだ。
 しかし、時間は戻せない。今、大人たちに求められているのは、消えつつある鎮守の森を維持し、子供たちを支えた地域社会に代わるものを、どうやって作るかである。
 しかし、「これこそが代わるものだ」という明確な答えを残念ながら、この社会も私たちも、まだ持ち合わせていない。ただ、情報化社会にあって、個人が情報の受け手だけでなく、発信者として大きな力を持ち始めたことに注目している。
 それは、個人が対等の立場で参加する非政府組織(NGO)や非営利組織(NPO)への期待につながる。子供自身が犯罪から自分を守るすべを、全国で伝えている「子供への暴力防止プログラム」(CAP)運動の活躍は期待に十分、応えている。すでに、グループは優に100を超えた。
 子供にかかわるさまざまな分野で、こうした組織が生まれ結びつく。そんなネットワークに地域社会に代わる「芽」を感じている。


 
 
 
 
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