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私はこう考える【教育問題について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1998/04/15 毎日新聞朝刊
[記者の目]所沢高校の卒業・入学式問題=日下部聡(熊谷支局)
 
◇システムのひずみ露呈 「自主性」と「管理」矛盾
 埼玉県立所沢高校(内田達雄校長)の「卒業記念祭」「入学を祝う会」の実施をめぐり、校長主催の卒業式・入学式に多くの生徒が欠席した問題は、大きな論争を巻き起こした。生徒の動きに管理職以外の教職員、PTAが足並みをそろえたことでより大きな力となったわけだが、背景には校長への不信感があったとみられる。
 同校は制服や頭髪規制のない自由な校風で知られる。体育祭や文化祭(所高祭)などの行事を生徒が運営する伝統は受け継がれ、生徒は深夜まで熱心に準備を重ねる。生徒、保護者ともに、校風にあこがれて同校を選ぶケースが多い。
 今回のPTAの動きについては、PTA内にも「役員が突っ走りすぎ」との批判はあった。だが、生徒が「主張する」伝統的な体質は、PTAも持っており、それが主流にもなってきたという。1995年、単位制導入問題でもPTAが前面に立ち反対運動をした。
 今回の問題の発端は、昨年4月の入学式で、着任したばかりの内田校長が「日の丸・君が代」導入を強行したことにさかのぼる。
 同校には、職員会議と生徒会の決議が食い違った時、双方の代表による「協議会」で合意を探るなど、独自のルールが築かれてきた。学習指導要領の改定で、入学式や卒業式での「日の丸・君が代」指導が強化された90年、生徒会は「生徒にも賛否のある『日の丸・君が代』の強制には反対」との決議文と、生徒自治を明文化した「生徒会権利章典」を決議した。
 内田校長の前任者までは、最終的にはこれらを認めて「日の丸・君が代」を実施しなかったため、混乱には至らなかった。
 今回の問題でも「背後で教職員が操っている」との批判や憶測があったが、これらの決議に教員側の影響はあったのだろうか。日教組の組合員で、90年当時、生徒会顧問だった教諭は「学習指導要領改定の話は私たちから生徒に伝えた。教育の問題について一定の示唆を与えるのは必要と考えたから。ただ、その後の動きは生徒会役員が熱心だった結果」と話す。
 同校の教員は現在62人。約半数が教職員組合に加盟している。うち3分の2は全日本教職員組合系の埼玉県高校教職員組合(埼高教)、3分の1は日教組系の埼玉高校教職員組合(埼玉高教組)だ。だが、新入生や保護者に「入学を祝う会」への協力を要請したことで処分された教諭の事情聴取には、非組合員も含めて40人近くが校長室に集まるなど、「組合が牛耳っている」という単純な構図でもない。むしろ、「話を聞こうとしない」「部活動などに関心を示さない」など、内田校長の日常的な態度についての不信感が、教員側を結束させている面が強いといえる。
 昨年の入学式後、生徒会など生徒側のリーダーは「従来通りの式をする限り、混乱する。『式』そのものをやめて、新しい形の行事にすれば混乱を回避できる」と訴え、クラス討議などで合意を図ってきた。その結果、昨年11月の生徒総会で入学式・卒業式に代わる「記念祭」「祝う会」の実施を決議、管理職を除く職員会議も了承した。ところが、内田校長は、2学期の終業式で突然、卒業式の実施を宣言した。
 生徒たちは、「好き勝手」をしたわけではない。自分たちが進めてきたことを突然、一方的に否定されたことに憤った。彼らは借り物の言葉や押しつけのスローガンではなく、少なくとも自分の言葉で語っている。
 一方、内田校長は生徒にも、取材にも「学習指導要領で定められている厳粛で清新な式を行いたい」と繰り返した。県教委も「公教育である以上、内田校長は法規で定められた入学式をしようとしただけ」(高校教育2課)と話す。
 ある卒業生は言う。「校長は、愛国心があって君が代や日の丸をやろうとしているのではなく、教育委員会に従って言っているだけ」。まさにその通りと思うが、学習指導要領があり、文部省―教育委員会―学校という管理システムがある以上、校長や県教委の職員は「自分の言葉」を語れないのは、当然とも言える構造だ。内田校長はある意味では不器用だったために、生徒・教員・PTAと正面衝突したのだ。
 今回の問題は、文部省の進める「自主性」「個性」の尊重と、旧態依然としたシステムとのひずみが表面化したものと考える。
 生徒たちは、彼らなりのルールで「自主性」「個性」を主張したといえる。一方で、文部省、県教委も「自主性」「個性」の尊重を言う。だが、今回のように「下から」の「自主性」「個性」の主張があった場合、結局、県教委は法令を盾に旧来の管理主義的体質を現した。「自主性」「個性」を尊重する教育を目指すのであれば、旧来のシステムを変えなければ、この矛盾は解決しないだろう。「自主性」「個性」は自ら判断することであり、上からの押しつけで育つものではない。今回の問題はそのことを問いかけている。


 
 
 
 
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