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1994/11/10 産経新聞朝刊
【正論】現憲法は自衛隊に“違反”せり
西部邁(鈴鹿国際大教授)
 
◆真の憲法意識の始まり
 日本国憲法はいうまでもなくアメリカ占領軍の軍人たちによって起草されたものであるが、彼らは日本および憲法の理解については素人も同然の連中であった。外国の素人衆が、戦後日本のために「根本規範」を書きしたためてくれた、という次第である。
 ところが、こんな怪しげな代物を後生大事に抱え込んでいる日本人がいる。その代表が憲法学者とよばれる玄人衆である。そういう連中の手から憲法論議を取り戻すこと、それこそが真の憲法意識の始まりとなる。その意味で、最大の販売部数を誇る読売新聞が、一般国民に接することの多いジャーナリズムの資格において、このたび憲法改正試案を発表するに至ったのは、実に結構な成り行きだといってよい。
 私が「真の」憲法意識というのは、国民みずからが、みずからの良識にもとづいて、みずからの根本規範を確認することにほかならない。そして私が「良識」とよぶのは、長い歴史のなかの幾世代にもわたるおびただしい数の国民が少しずつ蓄積してきた、常識の体系のことである。つまり憲法という根本法の本来の姿は、歴史のなかで「熟成」するものだという意味において、不文たるべきものである。
 
◆憲法を「設計」する誤り
 歴史の流れの外に立って成文の憲法を「設計」し、それに従って国家を構築しようとするのは、フランス革命にはじまる近代主義の錯誤といわなければならない。成文憲法があっても構わないが、それは国民の歴史的常識に明文を与えるといった脈絡においてである。憲法学者であれジャーナリストであれ、政治家であれ軍人であれ、国民に範を垂れるといった調子で憲法を書いたり語ったりしてはならないのだ。彼らのほうこそが、国民の歴史的常識に学んで、自分らの理念や理屈の未熟ぶりを省みるのでなければならない。
 だから、たとえば自衛隊やその国際的貢献の必要がすでに国民の歴史的常識に組み入れられているのならば、その必要を否定しているような成文憲法はもはや憲法の名に値しない。自衛隊が日本国憲法に違反しているのではなく、日本国憲法が自衛隊に違反しているのだ。そういってみせるのが真の憲法意識というものではないのか。これを冗談あるいは暴言と受け取るのは、その人の憲法意識が日本国憲法によって麻痺させられていることの証拠であろう。
 読売の憲法改正試案は、少なくとも軍隊の問題にかかわっては、真っ当な憲法意識に立脚している。「大量殺傷兵器」や「徴兵制」の当否は国内外の情勢によって左右されるものであるから、読売試案がそれらの禁止を ったのは平和主義的な勇み足であるように私には思われるが、しかし、戦力の保持とその国際的展開の必要を認めただけでも、非常識な現憲法からの決定的な離脱になりえている。
 とはいえ、現憲法が日本国民の歴史的常識から外れるものであるのは、さらにはその常識を破壊することになったのは、第九条第二項の「戦力不保持、交戦権否認」においてばかりではない。それ以上に現憲法が設計主義−−国民の常識を強引に成文憲法の鋳型に流し込もうとすること−−の誤まりに導かれたのは、基本的人権なるものを憲法に先立つものとしてとらえたせいである。歴史のなかで醸成された基本法によって許されている行為の可能性、それが「国民の基本権」であるはずなのに、現憲法では、歴史否定の上に構想された空疎なヒューマニズムにもとづいて、いわば「天賦の人権」が高らかに い上げられている。他国の憲法にもそうした傾向が濃厚なのだが、戦後日本のは純粋種のヒューマニズムとでもいうべき域に達している。基本的人権という観念あるいは妄念が憲法に優先していて、逆に、そうした観念を敷延したものが憲法だということになってしまっている。そこから、現憲法における権利観念の極大化と義務観念の極小化が発生しているのである。
 
◆“脱国入人”への反省を
 読売試案がこの点にはっきりと気づいているとは思われない。たしかに、その試案の「前文」に、歴史・伝統・国土・文化・学術にかんする強調はあるものの、それらを保守することが国民のいかなる義務となって具体化されるのかが明確ではない。逆にその試案は権利観念をいっそう肥大化させているとみることすらできる。
 歴史に根差そうとしない人々は、国民ではなく、人民である。憲法論議が必要なのは、戦後の民が(日本国憲法の下で)、いわば脱国入人の方向にひた走ってきた、ことに反省を促すためではないだろうか。
 読売試案はそうした議論への入口を疑いもなく与えているのだが、その出口についてまで指示するものではない。そうであればこそ、読売の誘いにのって、気力と能力のある集団や個人がどしどしおのれらの憲法試案を発表し、それを通じて日本国民の歴史的常識は何なのかを問いつめていかなければならないのである。
 
◇西部 邁(にしべ すすむ)
1939年生まれ。
東京大学経済学部卒業。
東京大学教授を経て、現在、秀明大学教授。評論家。


 
 
 
 
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