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私はこう考える【憲法改正について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2001/04/11 産経新聞東京朝刊
21世紀日本の国家像を考える 「日本憲法こう直す」座談会
 
 日本国憲法をどう見直したらよいだろうか。作家の三浦朱門さん、坂本多加雄・学習院大学教授、島田晴雄・慶応義塾大学教授、長谷川三千子・埼玉大学教授、森本敏・拓殖大学教授の五氏による「二十一世紀日本の国家像を考える」第十五回会合のテーマであった。前々回の天皇、前回の基本的人権に続く「憲法を考える」第三弾の論議は、憲法第九条や私学助成の根拠になっている憲法第八九条などを具体的にどう改正すべきなのか、などに焦点をあてた。(司会は編集局次長兼政治部長 中静 敬一郎)
 
《座談会出席者》
 三浦 朱門氏(作家)
 坂本 多加雄氏(学習院大学教授)
 島田 晴雄氏(慶応義塾大学教授)
 長谷川 三千子氏(埼玉大学教授)
 森本 敏氏(拓殖大学教授)
 
《憲法9条の制約》
 −−国家像の議論でこれまで欠落した部分を論議したいと思います。憲法第九条をどう考えますか。
 森本:憲法九条一項は不戦条約(注1)を基本にして起草されたといわれているが、九条は先の大戦で敗れ、占領軍に占領されていた状況下での日本のあり方を象徴する条文です。すなわち、これは戦後半世紀の日本のありようを示したものであり、さらに今後、日本が国際社会の中でどのようにして国家国民の安定と繁栄を維持するかを象徴的に表す条文であって、九条を論じることは、日本がどのような国として存続していくかという問題に集約される。
 九条の憲法解釈(注2)は日本の安全保障政策に二つの大きな制約を加えてきた。領域外において武力行使にあたる一切の行為を控えてきたこと、集団的自衛権を行使できないことだが、日本の安全保障にとってはむしろ武力不行使の方が深刻な問題だ。同盟国が他国から攻撃された場合にともに戦う、集団的自衛権行使というケースは現実にはあまり考えられない。それよりも日本の領域外で武力行使をしないという縛りを日本が自らかけてきたことが、日本の政策をゆがめてきた。
◆二項だけの修正を
 やるべきことは三つある。一つは今の憲法の枠の中でできることを精いっぱいすすめることだ。例えば、PKO(国連平和維持活動)やPKF(国連平和維持軍)、アジアでの地域協力、多国籍軍への後方支援など、やれることは多く残っている。二番目に憲法改正の手続き法を整備する。衆参両院憲法調査会の活動に時間がかかっているのは納得できない。昭和三十二年から三十九年にかけて行われた憲法調査会(注3)の作業を掘り起こし、できるだけ早く結論を導く必要がある。最後は、そのプロセスの中で、国家の危機管理法、緊急事態法、領域警備法、安全保障基本法、国連の平和活動に参加し協力するための法など、現憲法の枠内での法的整備をやりつつ憲法の改正に持っていく必要があると思う。
 改正の場合、何が問題かというと、まず憲法前文でわが国の安全保障が、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、国家の安全と生存を確保するという論旨の立て方になっていることが、戦後の憲法に対する認識をゆがめてきた。九条にはいろんな議論があるが、二項だけ改正すればよいと考えている。具体的には国家の危機管理のための法体系を根拠づける規定、すなわち、自衛権を明記し、自衛権を行使するために自衛力を保持すると明記することだ。
 さらに憲法の他の条項で認められている権利義務との関係を明らかにする。自衛力をあくまで文民統制の中で運用させる。これが明記されていれば、九条二項の修正という単純だが最も大事な結論に到達する。
◆国家の力をゼロに
 長谷川:九条問題は非常に重大な問題なのですが、それ以前に近代成文憲法においては、それがいかなる力によって作られたのかということが一番の核心となります。
 敗戦直後の二カ月間で、日本国政府はポツダム宣言との整合性を検討した上で、帝国憲法の改正は必要なしという判断を下しました。ところが、GHQ(連合国軍総司令部)は実質的に憲法改正を指示し、さらに自らの作成した草案を日本政府案と偽って発表することを強制した。これは明らかな犯罪行為です。日本が主権を喪失しているのを幸い、自らの犯罪行為に日本政府を巻き込んだという二重の犯罪行為です。そして、その結果できあがったのが日本国憲法なのです。
 そういう国家の主権を完全に踏みにじったゆがみが集中的に出ているのが九条二項です。九条二項は国家主権、すなわち国家の「力」をゼロにするための条項です。国家主権がゼロになったまま、防衛上の戦略や政策を立てようとしても不可能です。そういう欠陥を抱えたまま、何とかやりくりしてきたツケが、国家像に背骨がない一番大きな原因を作っているような気がします。
 三浦:私も、一九四五年と今日とは日本のあり方がまったく違っているという角度から憲法を考え直すべきだと思います。
 
《国家意識》
 −−国家意識をどう考えますか。
 三浦:日本国憲法を読むと、日本人が人類社会の一員として完成することを目指しているような印象を受けます。国際社会において尊敬されるべき地位を占めたいということはその表れだと思いますが、一人の人類と言っても、生物学的には人類の一員であるけれども、人類の一人になるために、われわれは日本語でわれわれの子供を教育しなければいけない。日本語は当然、他のさまざまな国の言葉とは違う構造、伝統を持っている。自然とは何かを教えるにしても、われわれは日本の国土を題材にして自然を教えるよりしようがない。
 われわれは日本の伝統、文化というものを通じて一人の人間を教育していく。従って国家という枠組みを否定することは何も教育しないことに通じる。国家の中の価値観によって自分の国と他国の違い、われわれの悪いところがわかる。
 例えば幕末に幕府の役人がアメリカに行った(注4)。そのとき、アメリカの人たちは自らと全然違うマナーの日本人の使節が礼儀正しいとほめる。同時に、彼らは日本の使節の従者たちが、ホテルの廊下で土下座して上役を送り迎えすることを非常に不思議に思う。
◆民主主義の本質
 だが、福沢諭吉は、アメリカをつくったジョージ・ワシントン(初代大統領)の子孫がどうしているか、を尋ねたとき、だれも知らなかったということによって民主主義とは何かということを悟った。日本の悪い点、優れている点を知っている福沢だからこそ、アメリカの民主主義の本質を直感的にとらえることができた。その意味で国民教育、国家教育、民族教育は絶対に必要で、それがないと恐らくいかなる外国人も理解できない。愛国心のない人間には他の国の人々の愛国心も理解できないし、人類愛も理解できない。
 その意味で憲法に欠けているのは国家意識だ。一九四五年に日本が国家を形成する必要性が国際的に認められていなかったことを背景に憲法を考えるべきだ。
 「与えられた憲法だから悪い」というのではなく、新しい国際社会における日本の地位を考えて、新しいコンスティテューション(憲法)を考えなければならない。
 
 ■注1 一九二八年(昭和三年)、パリにおいて日本、ドイツ、米国など十五カ国間で締結された。「締結国ハ国際紛争解決ノ為戦争ニ訴フルコトヲ非トシ」などと、国際紛争の解決はすべて平和的手段によるべきことを約した。
 ■注2 憲法九条の解釈に関して、吉田茂首相は昭和二十一年六月、衆議院で、自衛権の発動としての戦争も放棄したと答弁。二十九年の自衛隊発足を受けて、政府は同年十二月、自衛の目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは憲法に違反しないとの見解を発表し、個別的自衛権を認めた。集団的自衛権については、昭和五十六年に提出された質問主意書への答弁書の中で、「保有」するが、憲法上「行使」し得ないとの憲法解釈を示した。
 ■注3 昭和三十二年、憲法調査会設置法に基づき内閣に設置された憲法調査会は約六年余をかけ報告書をまとめた。改憲の是非については賛否の意見を並記するにとどまった。
 ■注4 安政七年(一八六〇年)、日米修好通商条約批准使節団が米国に派遣された。随伴艦の咸臨丸は勝海舟を艦長(軍艦総頭取)とし、福沢諭吉も従事(奉行従者)として乗船した。福沢はのち、慶応義塾を設立した。主著に「学問のすゝめ」など。 
 
《私学助成》
 島田:私は違った角度からの感想がある。憲法八九条は、公の財産は宗教団体、公の支配に属しない慈善、教育もしくは博愛の事業に対して支出、利用してはならないとしている。国民生活にかかわる教育、博愛、慈善は、公の支配に属する団体のみ公金を使用していいということで、高等教育ではなし崩し的に補助金を出しており、真正面から議論されれば憲法違反となる。子育てや高齢者のケアといった少子高齢社会を支える役割は基本的には官だ。民でも官の完全な支配に属する団体でやらなければならない。
 これから成長が止まり、人口が減り少子高齢化する。限られた所得の中から税を徴収して官がそれを分配する形をとっていくと、税負担がものすごく大きくなってしまい、経済循環が成り立たなくなる。だから、民の資源配分にその主軸を移さなければいけない。
 ただ、私的財やサービスを扱う企業の存否は市場が決めるが、高齢者の介護や子育てなどは市場原理ですべて対応はできない。だから、介護や教育などは、民の柔軟で多様な対応と官による最低保障を混合した「準公共財」としてある程度公共のお金を使い、同時に徹底的な情報公開で公正さと質を担保しなければいけない。
 長谷川:いまのお話は、憲法八九条の問題というより、いずれにしても高齢者の介護その他で公共の支出が莫大(ばくだい)になってゆくのをどうしたらよいか、という問題のような気もするのですが。
 三浦:島田先生は日本国憲法をちょっと買いかぶりすぎている(笑い)。かなりいい加減に作られてる。八九条は靖国神社や伊勢神宮に公共資産が行かないためにつくられた。
 島田:しかし、宗教とは別に厚生や教育行政を担当する役所がそれを根拠として盾に使う。会計を透明にして投資家に説明しなければならない株式会社などは福祉分野に入れない。その結果、ものすごい無駄づかいや非効率が淘汰(とうた)されない。高齢者のケアでも少しでも補助が入るところは国の支配に属する社会福祉法人しか施設経営をしてはいけないことになっている。膨大な貯蓄を高齢者が持っているので、民間がいいサービスをしたいのだけれども許可されない。
 坂本:だけど、国会が任意に予算を特定の民間団体に回そうというような立法をしてはいけないと歯止めをかけていることに、公の支配の意味がある。これが全くなくなると、国会の党派いかんによってはいくらでも自由になる。
◆必要な情報公開
 島田:だから情報公開法が必要なんですよ。
 長谷川:情報公開というのは、要するに悪用を防ぐためのチェックとして出てくる話ですね。
 島田:おっしゃるとおりです。公の支配という言葉自体はいいが、支配する口実を与えることになるからです。
 森本:八九条の議論のように、行政府にとって都合のいい解釈が行われ、それが憲法とは別のものとして一人歩きしたという問題はほかにもたくさんある。自衛権の問題もそうだ。一九五四年に自衛隊ができ、自衛隊は憲法違反だという議論が起きた。その時に、九条二項の有権解釈を作ってしまった。つまり個別自衛権は行使できる、集団的自衛権は国家の権利として持っているが行使できないというレトリックです。それは、当時の日本国内での反対やアジア各国の感情などに配慮し、自衛隊を個別自衛権を行使する実力部隊として認知させようという政治的な判断から有権解釈を作った。その有権解釈にいわば壁に白塗りするように重ねて今日に至っている。
 
《日本国民の概念》
 −−国民の概念も問題になりますね。
 坂本:日本国にいる外国人の問題がそのことを考える端緒になる。一つは治安の問題。石原慎太郎東京都知事が「不法に入国した三国人」と言って問題になったが、日本では従来の犯罪文化と異なった新しいタイプの犯罪が横行しつつあるのも事実です。
 例えば、連係プレーで私鉄沿線を次々とピッキングしていくといった犯罪。これは国家の根本機能である治安の能力に対する一つの大きな挑戦です。
 もう一つは、国家として不法にではなく大量に入ってくる外国人にどういうスタンスで臨むか。従来、日本国民といえば日本人だったが、今後は日本語がよくできないような定住者も増えていくであろう。彼らの中には日本国民になりたいと思う人々も出てくるかもしれない。彼らを日本国民として受け入れる用意が私たちにあるのか、ないのかという問題につながっていきます。
 その場合、永住外国人への地方参政権付与問題に関する議論にみられるように、人権一本やりで対処できるのだろうか。要するに外国人も人権があるのだから、人権である参政権を与えるのは当然という。しかし、参政権は人権ではない。人間であれば当然発生する権利を人権と呼ぶのであり、もし参政権が人権なら、世界中の人間が日本の参政権を持つという話になる。 参政権は、人間であることに加えてなにがしかの条件がついたうえで発生する権利、つまり国民の権利なのです。
 この問題は参政権にとどまらず、国民とは何かということを考えさせられる。日本人は他の民族に比べて異民族との接触が限られていて、対等な形で混血していくという経験が非常に乏しかった。
 だから、国際化と聞いただけでプラスのイメージを抱く。歴史的にみれば、異民族が接触すれば常に衝突が起き、さまざまな問題が起きている。そうした問題を乗り越えて従来の日本人イコール日本国民というカテゴリーとは違った国民感覚を身につけなくてはいけないかもしれない。治安の整備とともに新しい国民の概念を確立することが、二十一世紀の国家論として欠かせないテーマだ。
◆認定は法務省裁量
 島田:歴史を振り返ると、先進的な成熟国で外国人労働者を入れなかった国はない。日本でも今、少子化で社会保障が維持できなくなり、外国人労働者問題が本格的に議論されるようになった。
 一方で交通、情報手段が発達し、昔の何倍、何十倍という民族移動が起きている。それなのに日本の法体系では、国籍法、出入国管理及び難民認定法があるだけ。日本人としての認定を受けたいと思っても法規があいまいで、法務省の裁量で行っているのが実態だ。
 これは国際社会ではいささか異常な国といえる。移民を受け入れている国は、言葉の能力、技能の有無、財産の有無などを聞く。それで優先順位をつけて、いい人間を受け入れる。
 それは当たり前のことであり、日本も日本国民になるための条件を明確に示すような移民法の制定が必要だ。ところが、戦後は人の能力に上下があったりしてはいけないという思想があったから、移民法を堂々と論じるのはタブーだった。
 長谷川:しかし、単に能力のある人間を求めるというのでは会社の人事採用と変わりがない。やはり日本という国をどういう国と考えるのか、という問題は避けて通れないでしょう。たとえば、いくら能力があっても、ものの哀れのわからない人間は欲しくない、といった日本としての価値観を何らかの形ではっきりさせる必要がある。それがなにもなかったら気持ち悪いことになると思います。
 三浦:日本国籍を外国人に与えるときには、日本人とは何かということをはっきりさせないといけない。アメリカの場合には、英語のほかに、憲法、アメリカへの忠誠ということを誓約します。誓約することによって建国の精神を注入させる。では日本は外国人に何を課すかというと、納税義務ということになる(笑い)。
◆防衛義務は必要
 坂本:納税義務は、日本国民になる資質にはなりにくい。国家が社会契約説的に個人の便宜をはかるために存在するという前提に立つと国家の重要な面は見えなくなる。要するに国家は、その地域にふりかかってくる利と害を共有する人々によって構成されるのであって、単に自分の便宜のためだけにあるのなら、危なくなったら、その国の国民をやめるということになる。その国の国民になるか、ならないかというのは、その地域の共同の運命を担うか担わないか、ということであり、最低限、防衛義務が必要となる。その点、九条二項が改正され、国民の防衛義務が加われば、はっきりしてくる。
 島田:日本国民のあり方を論じると、防衛義務のほかにわれわれは何を一番価値あるものとして守りたいのか、という本質的な問題を問うことにもなる。 それは国土もそうだが、ある種の文化伝統、誇りの源泉みたいなものではないか。
 長谷川:結局、どういう憲法を作るかという問題にかえってきますね。憲法を示して「あなたはこれに忠誠を誓いますか」「全面的に共感して守る意思を持ちますか」と、問えるような憲法でなければ憲法とはいえない。アメリカの場合、建国の歴史と理念を示して、それを誓うかと聞く。そういう審判をくぐり抜けてアメリカ人になる。実は日本の場合にも、建国の思想、理念というものがあったわけですよね。
 森本:ありますが、それを今の日本人に問うと、皆考えてしまう。戦後半世紀、日本人は国家観を遠ざけて生きてきたので分からないのではないか。
 長谷川:しかし、もし建国の思想、理念が日本人自身のなかですらコンセンサスになっていないとすると、そんな状態で日本は果たして移民法をつくり得るのでしょうか。
 坂本:明確な国民の概念がなければ、つくり得ない。
 長谷川:まさに日本人自身の問題なのですよ。
 
《守るべきもの》
 −−一番価値あるものとして守るべきものとは。
 長谷川:そのように尋ねられて「汝、神を敬うべし、汝、安息日を守るべし、云々」という「十戒」のようなものを並べておけば、いいということなら苦労はないのですが、日本の思想というものはそれほど単純なものではない。
 しかし、日本の思想、建国の理念をみんなが共感できるような洗練された分かりやすい形で取り出す作業というものは、ぜひやらなくてはなりません。それは私自身にとっての課題でもあります。
 三浦:一番価値あるものとして守りたいという場合、日本文化とか、日本文化の伝統とか、そういう言い方であっていいと思う。内容として何を付け加えるかは民族全体がやるべきことだし、個々の人間でいうとその人の教養の問題になる。だから、現実的な状況から日本というものが確実に必要だという形で憲法を作っていけばいいのではないでしょうか。
 森本:そうすると、憲法は改正するというより日本人が国のありかたを考えて自らもう一度作り直すという形になる。
 坂本:並行して日本の初等教育を立て直さなければいけない。
 島田:初等教育というより家庭教育です。
 坂本:家庭教育をよくするのに、政府に何か手だてはあるのだろうか。アメリカにはファミリーバリュー(家庭の価値)という言葉があるが、ファミリーバリューの復活が唱えられるときには、政府がやるのではなく必ず市民運動のようなものが起きる。
 長谷川:アメリカ人はやることがつねに意図的なのですが、日本の場合はむしろ、あるがままにという形で健全さが保たれていくという感じがします。そうすると、そのあるがままが壊れたときにどうするかということが難しい。そこで突然意図的なことをやると、かえって、そのことで壊れる部分もある。「家庭が大事だ。だから、お父さん、家庭に帰りましょう」なんて言えば言うほど、日本の本来のあるべき家庭の姿が崩れていくようなところがあります。
◆自信を持てない親
 島田:日本経済が高度成長したときにサラリーマンが増え、彼らは産業戦士といわれた。父親は母親に教育をまかせてしまい、本来両親がしなければならない教育が偏ってきた。家庭教育における親の空洞化現象です。それと表裏一体で、親が自分の生涯を振り返って自信を持って語れないという問題があるのではないか。ある中高年の集まりで、六十代の人が異口同音に「戦後を清算していない」「天皇の問題を清算していない」と言う。
 その世代は戦後、教科書が墨塗りされた世代。天皇に戦争責任があったのか、ないのかわからなくて、屈折して生きてきた世代です。そういう人たちは、ニュージェネレーションの子供たちに、こうしろ、ああしろといえないんだと思う。
 長谷川:もし日本の政府が家庭の立て直しのために何かできるとしたら、「日本はいい国なんだぞ」ということをみんなが胸を張って言えるような、そういう形をきちんと作ることに尽きます。
 坂本:私的世界と公的な世界は実は非常に密接にかかわっている。公的なレベルの歴史観と私生活は関係ないように思えるけど、自分が生活したり働いてきたりした日本という社会空間がどこかゆがんでいるのではないかという歴史観を持っていると、子供に対する教育も自信をもってできなくなってしまう。
 島田:二月の米原子力潜水艦衝突事故で、CNNのインタビューを受けた際、キャスターの質問にどきっとさせられた。原潜が百パーセント悪くて、日本の国民が行方不明になった。ところが日本国民の反応は、こぞって自国の首相を批判している。これは一体なんですかって(笑い)。自分たちのリーダーを年中批判して、外国に出ても恥ずかしがっているというのは、異常です。日本の歴史教科書のように自分の国を悪い国なんですねって平気で書く国がありますか。屈折している。それが家庭教育にハネ返ってきているのではないですか。
 −−日本がいい国ということをいかに書くかが新しい憲法になりますね。
 島田:そうです。
 坂本:だからいろいろな意味で大東亜戦争の話を相対化すべきです。
 島田:日本はいい国だという考えに立って、中国、韓国との歴史的な問題に努力を尽くして事実を究明しよう、という態度があっていいと思う。
◆韓国を断固守る
 長谷川:最初の森本さんの話に戻りますが、どうすれば日韓の未来関係を築くことができるかを考えてみると、結局「もしもあなたたちがだれかに襲われたら、私たちは断固あなたたちを守りますよ」と言えるかどうかだと思う。そう言える基盤を失っていては、日韓の未来関係も築きようがないと思います。
 島田:安全保障の制度以前に、そうした心情が多くの人たちに共有されることが根源ですね。それがないと防衛は機能しない。
 長谷川:そういう心意気は、九条二項があるかぎり、持ちえないと思います。
 
《憲法条文》
 前文(抜粋)日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いずれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。
 第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 第八九条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
 
◇坂本 多加雄(さかもと たかお)
1950年生まれ。
東京大学大学院修了。
学習院大学法学部教授、米ハーバード大学客員研究員。2002年没。
 
◇島田 晴雄(しまだ はるお)
1943年生まれ。
慶応義塾大学大学院、米ウイスコンシン大大学院修了。
現在、慶応義塾大学教授。
 
◇長谷川 三千子(はせがわ みちこ)
1946年生まれ。
東京大学大学院修了。
現在、埼玉大学教授。
 
◇三浦 朱門(みうら しゅもん)
1926年生まれ。
東京大学卒業。
小説家、元文化庁長官。
 
◇森本 敏(もりもと さとし)
1941年生まれ。
防衛大学校卒業。
防衛庁、外務省、野村総合研究所主任研究員を経て、現在、拓殖大学教授。


 
 
 
 
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