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私はこう考える【憲法改正について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1993/05/05 産経新聞朝刊
【正論】憲法シリーズ 護憲論と矛盾しない改憲論
小林節(慶応義塾大学教授)
 
◆本来的には不可避なこと
 なぜか、わが国では、これまで長年にわたって、憲法改正を論ずること自体がタブー視されてきた。もちろん最近ではその風潮がだいぶ弱まってきたとはいえ、未だにその残滓(ざんし)が見られる。その原因は何か、考えてみたが、それは、第一に、憲法の本来的な不完全性に関する無知であり、第二に、私達、主権者・国民と憲法の本来的な主客関係に関する無自覚であり、それらの背景をなすものが、あの第二次世界大戦においては一方的にわが国が悪かった…とする東京裁判史観であろう。だから、敗戦によって米国から与えられた現行憲法を、「完全な」ものとして「下から」仰ぎ見る癖が私達、日本国民にはついてしまっているようである。
 しかし、まず、憲法も、神ならぬ本来的に不完全な人間が特定の時代状況の中で急いで作ったものである以上、本来的に不完全なはずである。現に、高度の工業化とその副産物としての公害を予測できなかった現憲法の起草者達は、公害に対抗する力としての環境権という規定を考えつかなかった。同じく、高度情報社会・管理社会を生きぬくには不可欠な国民の知る権利とプライバシーの保護も日本国憲法には規定されていない。また、国家という共同生活の目的は全ての国民が幸福になることで、その目的にそって国家を管理・運営するために私達、主権者・国民が国家につきつけたいわば指令書が憲法である。だから、憲法制定者の予測を超えた新しい時代状況の中で、私達の幸福追求の道具にすぎない憲法に何か不足を発見した場合に、私達は、その改正を提案することをためらう必要などない。まさに、憲法にとって、改正は本来的に不可避なことなのである。
 
◆旧来の改憲論者にも責任
 もっとも、これまでわが国で改憲論がタブー視されてきたことについては、旧来の改憲論者の側にもいささか責任がある、と思われる。つまり、旧来の改憲論の多くは、まず、敗戦時に米軍によって無理矢理新憲法を「押しつけ」られたことに対する恨みを動機としたもので、その上で、旧憲法(大日本帝国憲法つまり明治憲法)への復帰を指向するものであったために、その点が、すでに日本国憲法に愛着を感じている国民多数の反発を招いた、と思われる。
 もちろん、憲法制定の経緯を論ずることも大切であるが、それ以上に憲法の内容が大切で、その点では、もはや大多数の国民が日本国憲法を基本的に良いものだと思っている…という事実は、否定できないであろう。そして、国民主権、平和主義、人権尊重主義を三大原理とする現憲法は、基本的には良い憲法である。だから、そのような良い憲法を否定しようとする改憲論の人気が出なかったのも、当然のことなのかも知れない。
 ところが、最近盛んに登場してきた新しい改憲提案の多くは、日本国憲法の基本原理を守るという意味においては、護憲論と矛盾しないものである。まず、国民主権とは、要するに、政治の結果を負担させられる国民大衆こそが政治の決定権を握るべきだ…という原則であるが、この原則は今日では自明のことであり、もはや誰もそれを否定できないはずである。と同時に、国際社会において日本国の顔となり一億二千万余の国民の精神的な連帯の絆(きずな)ともなる天皇の存在が、その歴史的背景と政治的中立性の故に、私達の国家生活にとって有用不可欠な存在であることも明らかである。だから、このような調和的立憲君主制を定めた日本国憲法は、基本的に、正しい。そして、その点をはっきりさせようとするのが、新しい改憲論の立場である。また、あの第二次世界大戦の直後に、世界の諸国とともに永遠の平和を求めようとしたわが国の動機は正しい。
 思えば、生命を持った人間達の共同生活としての国家が、軍国主義を排して平和主義を標(ひよう)榜(ぼう)することは当然で、国家にとってほかに選択肢などあるはずがない。ただ、敗戦国であった日本は、当時、いわば一方的に悪者にされてしまった立場を前提として、わが国の側から他国に戦争をしかけさえしなければ世界平和は維持できる…と読める、思えば非常識な条文を作ってしまった。だから、独立国としての主体性を回復して久しい今日、世界の常識に適った、私達が他国に対して侵略を試みることはしないが、同時に、他国がわが国を侵略することを許さない…という条文に書き直す必要がある。
 加えて、世界中の資源と善意に支えられて復興を果たした大国として、わが国はもはや世界警察活動にも参加すべきである。さらに、国民の幸福こそが国家共同生活の目的であるが、そのためには、各人の人格が十分に尊重される必要がある。だから、例えば、上述の環境権やプライバシーや知る権利の明定や、外国人や女性や子供や老人の保護の強化などが、必要になってくる。これが新しい改憲論の立場である。
 このような、言葉の本来の意味での「護憲」論と矛盾しない、日本国憲法の発展的改正を追求すべきである。
 
◇小林 節(こばやし せつ)
1949年生まれ。
慶応義塾大学大学院修了。法学博士。
ミシガン大学研究員、ハーバード大学研究員を経て、現在、慶応義塾大学法学部教授、弁護士。


 
 
 
 
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