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私はこう考える【憲法改正について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1996/05/02 産経新聞朝刊
【正論】憲法を考える 健全な常識で条文を読め
加地伸行(大阪大学教授)
 
◆一度も実施されない改正
 久しぶりに日本国憲法を読んでみた。格調高く歴史的仮名づかいで書いている。たとえば「思ふ・誓ふ・負ふ」。漢字も常用漢字にはない「詢(じゆん)・竝(ならび)」を堂々と使っている。他の法規ならばともかく、国の最高法規である憲法がそうであるのなら、常用漢字以外の漢字、正体漢字、また歴史的仮名づかいをふだん使ってもいいのではなかろうか。
 私は、以前、中国人に公文書を発行することがあったが、「招聘」の「聘」字が常用漢字にないとのことで、大学当局は「招へい」にすると言った。相手は漢字の国の中国人であり、そんな不格好なことは日本人中国学者としてできないと掛け合い、結局、わざわざ理由書を一札入れて「招聘」となった。
 憲法ではことばの多様な使用を許し、公用や日常生活ではこれを許さないというのは、常識から言ってどこかおかしい。憲法をめぐっての議論には、そういう奇妙な話がよくある。それを増幅しているのが、憲法学者先生たちの果てしなき神学的解釈論争である。
 私は法学について無知である。しかし、法は、本来、健全な常識に基づいているはずである。憲法も健全な常識に依って読むべきものであろう。そういう気持でこのたび日本国憲法を読み返してみた。
 まず第一に感じ入ったのは、「改正」ということが明記されている点である。人間が作ったものなのだから、必要があれば改めるのが当然である。たとえば、中華人民共和国憲法など、一九四九年以来、四回も制定し直しているし、一九八二年制定の現行憲法は、すでに二回修正している。
 ところが日本国憲法は一度も改正されていない。これは不思議である。だれが見ても参議院など無用であるからつぶすべきである。もし無用の用があると言うのならば、少なくとも衆議院議員とは異なった選出をしてこそ、国民の多様な声を反映できよう。或る国立大学入試においては、前期入試は科目中心、後期入試は特技中心とかと工夫しているではないか。参議院議員も、たとえば推薦制などでいいではないか。そうすれば、多種多様な業界代表が参加できよう。わざわざ投票して何人ものコメディアンを選ばずとも、お笑い業界からは一人出れば十分である。そのように選出方法を改正して衆愚政治をすこしでも食いとめるべきであろう。
 
◆法の実質から議論すべき
 私は小学校以来、学校で憲法の教育を何回か受けてきたが、自由や権利が侵されると、憲法違反として追及すべきだと教えられた。すると、権利についてそう言えるならば、義務についても同じことが言えるのではなかろうか。権利と義務とはセットになっているからである。
 事実、二六条「すべて国民は・・・その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」がゆえに、この義務を怠ると憲法違反となる。
 すると、これと同様に、二七条「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ」のであるから、働らかないで、勤労の義務を果さないのは憲法違反である。同様に、三十条「国民は・・・納税の義務を負ふ」。
 ところが現実には、働らきはせんわ、働らいても所得税は払わんわ、という人が多い。もちろん、子どもや心身上の問題などで働らけない人がいる。そういう場合は特例的に勤労や納税の義務を免除しよう。しかしそれ以外の働らける人は、まじめに働らき、きちんと納税すべきである。
 聞けば、一定所得以下の場合は無税であるという。それはおかしい。たとい一万円といえども所得税を納め義務を果してこそ、主権者ではないか。国民主権を主張する以上、国民は権利だけではなくて義務を全うするのが当然である。そのための税法に改めるがいい。納税してはじめて予算について批判できる資格があるというものだ。
 しかし、学校における憲法教育、ジャーナリズムの憲法観、そして世間の憲法感覚を見ると、国民主権における権利を強調することはあっても、国民主権における義務を主張する意識はきわめて稀薄である。権利と義務とのバランスが崩れている。
 国民が主権者であると言うのならば、権利感覚ばかりでなく、主権者としての義務感覚を積極的に養うべきであろう。その義務感覚において、現在、最も欠けているのは、国防の義務感覚である。
 古今東西を問わず、国防を国政の重要な柱としない国家はない。主権者は、主権を守るために自らの手で国防を行なう。他国の軍隊に国防を委ねるのは、主権の放棄である。だから、憲法に条文として書いてあろうと書いてなかろうと、主権者は国防の義務を果すというのが、健全な常識というものである。
 第九条「戦争の放棄」についての憲法学者先生たちの神学的条文解釈論争は聞き厭いた。そんな不毛の空論よりも、主権者の義務という、法の実質から議論すべきであろう。
 われわれ日本人は、ともすれば実(内容)を忘れ、名(形式)にこだわる。実(主権者の義務)を忘れ、名(第九条条文)の解釈に熱中してきたのがこの五十年である。われわれは、健全な常識の下に憲法を読み、それに反するところがあれば改正するという冷静な態度であるべきである。
 
◇加地伸行(かじ のぶゆき)
1936年生まれ。
京都大学文学部卒業。
名古屋大学助教授、大阪大学教授。現在、大阪大学名誉教授。


 
 
 
 
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