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2003/11/11 産経新聞東京朝刊
【2003総選挙】共社惨敗に見た護憲派の凋落 編集特別記者・皿木喜久
 
 総選挙で示された有権者の民意は何だったのだろうか。いささか悩んでしまう。与党の絶対安定多数獲得ということを見れば、小泉改革路線の継続を求めているようだし、民主党の“躍進”からは逆に、政権交代の願望も根強いぞ、ということになるからだ。
 だが実は、もっと明瞭(めいりょう)に示された民意があるように思える。それは護憲論、特に九条改正に反対する空想的平和主義といったものに対する決別である。
 二十議席から九議席の共産、十八から六という社民両党の壊滅的敗北については「自民、民主という二大政党対立の陰に埋もれた」とされる。否定はしないが、それだけでは同じ小規模政党の公明党の議席増は説明できない。やはり自民・民主対決となった前回総選挙で、社民党や旧自由党が“善戦”したことも理解できない。
 共産、社民両党とも今回「憲法改悪反対」「護憲」を前面に戦った。そのことが、有権者の拒否反応にあったと考えていいのではないか。
 逆に民主党の大勝には、改憲を掲げた旧自由党と合体することで、渋々という感じもあったが、「創憲」という名の「改憲」論で、護憲勢力と一線を画したことへの有権者の評価や安心感が大きかったといえる。
 「憲法に『平和』と書いて平和になるのなら、憲法に『台風は日本に来てはならない』と書けばよい」。これは哲学者、田中美知太郎氏の名言とされている。しかし今や日本人の多くが、こうした蒙昧(もうまい)な九条擁護論から脱却しつつあることは明らかである。
 このことはすでに湾岸戦争のころから見られ、ここ十年ほど各種の世論調査の多くは、九条を含めた改憲への賛成が多数を占めてきた。それを決定付けたのが北朝鮮の日本人拉致事件であり、核開発だった。
 隣国の常軌を逸したような行動の前にもはや「諸国民の公正と信義に信頼して」という憲法による平和に懐疑的にならざるを得なくなってきているのだ。
 それだけに今、護憲論を声高に唱えるのはむしろこうした国民感情を逆なですることになる。ところが、社民党の場合など自らの拉致問題への対応の失敗や、北朝鮮への過剰な傾斜というミスを補おうとしてこれまで以上に強く「護憲」を打ち出した。拒否されるのは当然だったといえる。
 思えば、社民党にとってその前身の社会党時代から長い「護憲」の歴史だった。特に、昭和三十年憲法改正を目指して保守合同がなり、自由民主党が結成されてからはこれに対抗して「頑固に」護憲を貫いてきた。
 これに対し自民党も、国会の円滑な運営のため社会党の機嫌を損ねまいと、改憲を口にすることすら避けてきたという歴史がある。
 しかし今、そうした護憲政党が一気にゼロに近い存在となった。自民党などの改憲勢力にとっては、長年の「くびき」がはずれたといっていい。その意味では歴史的選挙であった。
 だが、かつての社会党の護憲派の一部が、緊急避難的に民主党の中に入り込んでいるのは事実だ。自民党の中にすら引退した宮沢喜一氏らの流れをくむ護憲派がいる。
 少なくとも表には憲法改正を掲げた自民、民主の二大政党にとってこれからは「内なるくびき」との戦いとなる。


 
 
 
 
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