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2000/05/03 産経新聞東京朝刊
【主張】憲法記念日 改憲への「場」を設定せよ その機運を逃すべきではない
 
 森喜朗首相は初めて臨んだ党首討論で、憲法と教育の見直しの必要性に言及した。自由党の小沢一郎党首が「戦後システムのなかで、行き詰まっていると認識しているものは何か」とただしたのに答えたものだ。その後、発言はトーンダウンしているとはいえ、現職首相が憲法改正に意欲を示したかのような国会答弁を行ったのは、きわめて異例である。
 改憲派で知られる中曽根康弘氏でさえ、首相在任中は「現内閣は憲法改正を政治課題とはしない」と言明せざるを得なかったのだ。森首相と小沢氏のやりとりは大きなニュースにはならなかったが、その事実はむしろ、首相が「憲法見直し」を口にしても非難される時代ではなくなったことの証左と受け取るべきであろう。
 
◆森首相の歴史的な役割
 小渕恵三前首相が突然の病気に倒れるという異常事態によって政権担当の座を得た森首相だが、自民党政治家の系譜からすれば、憲法と密接なかかわりがあることを忘れてはなるまい。森首相は福田赳夫元首相、さらには岸信介元首相の流れをくむ政治家である。岸氏が「自主憲法制定」を悲願として、政界引退後も改憲運動の先頭に立っていたことは改めていうまでもない。
 自民党内の保守本流といわれる勢力は、佐藤栄作元首相の後継をめぐる「角福対立」によって生じた田中派(竹下派−現小渕派)、福田派(現森派)の両系列と、池田勇人元首相による宏池会(宮沢派−現加藤派)の三派である。このうち、宏池会は軽武装・経済重視路線をとり、宮沢喜一、加藤紘一両氏らは改憲慎重派だ。田中派系もこれと似ており、田中元首相の懐刀といわれた後藤田正晴氏は「改憲はわれわれの世代が消える二〇一〇年ごろに」と述べている。
 これまで田中派系と宏池会系が連携して政権をつくることが多かったのは、そうした政治的スタンスも作用していたのではないか。ところが、小渕前政権で加藤紘一氏が非主流派に転じたため、この政権形成構造が崩れた。森首相は田中派系と福田派系が初めて連動した結果、誕生したのである。
 小渕政権時代、自由党との連立を果たした時点での支持率が最も高かったことを思い起こしたい。保守再結集に対する潜在的保守層の安心感が、支持率を押し上げたのであろう。
 そうした意味からすれば、森首相の役割はおのずと定まってこよう。「保守らしい政策」を掲げて突き進むことであり、その軸は憲法しかあり得ない。
 
◆“改憲戦線”は広がった
 憲法改正への機運は、かつてない盛り上がりを示している。衆参両院に設置された憲法調査会は、言いっ放し聞きっぱなしのきらいもないわけではないが、まがりなりにも多角的な論議を展開している。民主党の鳩山由紀夫代表は依然として改憲論を主張、党の政策として組み込むことができるかどうかが問われている。
 自民党から民主党まで、濃淡はあれ、少なくも「論憲」では同じ土俵に乗ったのである。この枠組みから外れている憲法墨守派は、社民、共産両党などだけで、その勢力は衆院の一割にも満たない。
 このところ、教育基本法の抜本的見直し、衆院の優位性を高める参院改革論、強い指導力を示す石原慎太郎都知事に触発された首相公選論など、憲法に手をつけなくては実現不可能なテーマがいくつも浮上している。改憲論議の広がりをもたらすうえで、きわめて好ましい状況といえよう。
 もちろん、その一方で現行憲法を理想の平和憲法とあがめ、この憲法の世界的波及を日本の使命だとする古典的護憲論も存在する。長期不況と財政危機の二重苦にあえいでいるいま、国論を二分するような改憲問題に手を染める時間的余裕はないとする現実的反対論もある。
 問題はそうした広範な議論を集約する「場」の不在であり、これは、政治の怠慢という以外にない。国会の憲法調査会は改正案の審議はしないという前提でスタートしたが、それですまされる段階ではなくなったのではないか。政治の責務は一段と重くなったといえよう。
 実現可能なことからいえば、党首討論でさらに改憲論議を深めてほしい。六月末とされる総選挙で、改憲を正面から争点に据える政党が有権者からどんな審判を受けるかも見てみたい。
 憲法をめぐり、「公と個」の関係をどう認識すべきかという議論が起きていることは特筆すべきである。公的規範や国家意識がすっかり希薄となってしまった風潮を、どう克服していくべきか。これを当面の憲法論議の核心に据えたい。


 
 
 
 
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